横浜市戸塚区にある「舞岡ふるさと村」は農業育成と田園景観保全を目的にしたもので里山の散策が楽しめる。尾根と尾根の間には谷戸田が広がり、その一角に古民家が移築されている。江戸時代末期から明治初期の様式を伝える明治後期の建築だという。
1950年代の中頃の神武景気をきっかけに経済の高度経済成長が始まり茅葺き屋根の家屋は田舎でも姿を消していった。横浜の郊外の茅葺き屋根の田舎家で育った私にはそれほどの古民家とは思えなかった。が懐かしいやら、よくもまあ、こんな所で生活していたものだ感心するやらで当時を思い出した。
古民家の農家の特徴は玄関口を入ると広い土間がある事だ。土間には囲炉裏が切ってあり冬などは一日中火を絶やす事がなく、鉄瓶や鍋が掛かっていて湯が沸いていた。
土間には、流し・竈(へっつい=カマド)・茶箪笥・食卓があるダイニングキッチンである。土間を抜けると井戸と風呂場があるのが普通だ。土間の機能はこれだけではない。 土間は屋内作業場でもあった。出荷野菜の箱詰め、筵や俵を編むワラ仕事、精米や粉挽きの作業、餅つき・味噌づくりなど季節作業もあった。記憶のひとつに日本茶を作ったり、菜種油を絞ったりの今では想像もつかない仕事もあった。土間は自給自足的な田舎の日常生活の中枢機能を果たしていたのだ。
ふるさと村の古民家の土間はそんなありし日の暮らしを彷彿とさせた。カマドには薪が放り込まれ火炎が吹き上げていた。サツマイモを蒸かしているのだという。薪の弾けるたびに煙が上がり太古の匂いが漂う。煙は家中を流れて柱、天井、板の間を黒々と染めあげていく。
農作業から上がって囲炉裏(炉:ろ)を囲んで食事をする風景は弥生時代からの風景である。2千年近くも続いたこの基本的な暮らしの有り様は僅か50年ですっかり消えてしまった。生活は豊かになり便利になり、その進歩度合いはますます速まり、留まることはない。それは、また多くの事柄を失う事でもあった。
カマドではサツマイも蒸かしていた。土間は煙で靄っている
鎮座する土間のカマドは命綱 荒神様と崇めし時代あり
赤々と火が火を重ね煽りおる伸びる火焔は閻魔の舌か
薪弾け火の穂燃えいるへっついの堅き土間に火焔映して
目に浸みる煙の匂い懐かしく土間の隅まで漂いて流る
湯気上がるザルに山盛り蒸かしいも飢えし戦後の思いも盛りて