年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

裸 木

2012-12-03 | フォトエッセイ&短歌

 Sさんの訃報に接した時には驚いた。悲哀とか心痛とかの悲しみの感情ではなく??……、これってどういう事。まさか冗談、悪戯…それはないだろう。昨日、メールで3日後の芝居のチケットの遣り取りをしてたのだから、急逝の訃報が信じられなかった。訃報の一時間後に明日の一時半から家族葬で送るからとの連絡があり紛れ無き事実を突きつけられた。
 午後7時頃、帰宅した息子さんがトイレで倒れているSさんを発見して救急車で搬送したが、既に意識はなく病院で死亡を確認されてということだ。昨日のメールの着信時刻を確認すると9時35分である。なんといつものような元気印のメールを送信して9時間後には亡くなっていたのだ。突然死である。
 「中高年に広がるピンピン、コロリ願望」新聞の一面ぶち抜きの大見出しが踊っている。全面広告とはいえ思わず目を通したくなる。ピンピンコロリを願う人々の現状を追ってみた~健康食品のCMで酵素をしっかり摂りましょう。病気や要介護になると子供や家族に迷惑をかけるから最後まで元気にし、死ぬ時はコロリと逝こうという趣旨である。
 しかし、マア、そりゃそうかも知れないが、現実にこういう場面に直面するとそうはいかないのではないか。「旅立ち」について語るべき事があったはずだし、聞き置くべき事もあったはずである。生きて行く者は、そうやって「旅立って」しまった旅人の空白になった部分を埋め合わせ糧にして生きて行くのである。突然死は悲しみの大きさを無限大にしてしまう事にもなる。
 Sさんは私学の教育に大きいな可能性を見出し、教育基本法や憲法問題にも危機感を募らせ、窮極の人権侵害である冤罪事件にも心を痛めていた。特に私学助成と教育づくり、平和教育と学園の民主化には頑張っていた。同時に宴会幹事長も自認していてSさんの行くところ懇親会ありで、楽しい議論は深夜に及んだ。
 「私学のつどい」を成功させ、疲れたよ~と、余韻の覚めやらぬ2日後に急逝したのも何やらSさんを象徴しているようだ。まだ、頭は真っ白で受け止められずにボヤッとしているとSさんの元気な姿が次々と映し出される。心臓疾患による突然死というのが医師の診断ということだそうです。ご冥福お祈り申し上げる。合掌

 北国の雪の便りの冷え込みに街路樹の裸木が枝を張って耐えている

 

  急逝のメールの文字が流れゆくまた繰り返すエンドレスで

  亡くなった ただそれだけの訃報ありそんな不条理がまかり通るか

  居酒屋の主にもなりし気使いて「まずはビール」と座を盛り上げる

  紫陽花を育て咲かせたS散ってムサコーの一時代が終りぬ

  落日のムサコーの時代をも抱え込み旅立つ友は何を見てたか

  伝説のムサコー時代を駆け抜けた私学教育の夢を語りて