年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

憲法記念

2012-05-07 | フォトエッセイ&短歌

 日野原重明(ひのはら・しげあき)100歳を越える聖路加国際病院理事長。話を聞いた事はないが『5月3日は憲法記念日、祝日の中でも特に大切なものとして心に留め置くべきだ』新聞のコラムの書き出しが目について読んだ。戦争放棄を宣言した日本国憲法は世界史上でも画期的なことで、「非武装の防衛手段」によって世界での存在感を増すような政策をとらなければダメだと云っている。斬新な発想が必要ともいう100歳の憲法9条の真っ当な見解には恐れ入る。
 今年、古稀を迎え「これからの人生は付録みたいなもの」などと年寄りぶっていたが、日野原氏に追いつくにはまだ30年もある。まだ足が動くうちは矍鑠(かくしゃく)と動かないといけないな~。社会的な視野を持って暮らしていると脳も活性化しボケないという。
 そんな思いでもないが小雨降る中を日比谷公会堂に向かい『5・3憲法集会』に参加した。~輝け9条 生かそう憲法 平和とくらしに被災地に~志位共産党委員長、福島社会民主党党首のスピーチなどがあり、改憲の危険な策動と憲法の条文を生かす戦いの重要性が話された。直面する原発再稼働・日米安保・沖縄基地問題と憲法の関わりには頷かせるものもあった。
 しかし、素人の私などから見ると日本国憲法は瀕死の状態に追いやられている感がある。9条の軍隊と戦争の放棄、基本的人権の保障、国民の政治上の主権など時々の政権によって限りなく侵害され歪められて来ている。この国に軍隊がなく、人権が大切にされ、国民に主権があるなどと実感している人が何人いるのだろうか。この実感の出所がどこから来るのかどうもはっきりしない。たぶん、それは、権力が政治から国民を遠ざけオカミが勝手に政治を引き回しているからであろう。
 1947(昭和22)年に文部省が発行した社会科の教科書に『あたらしい憲法のはなし』がある。これには…國の力のもとは、ひとり一人の國民にあります。そのために、國民のひとり一人に、いろいろいろ大事な権利があるのです。…文部省がこんな教科書を配って日本国憲法を懇切丁寧に教えた時代があっただ。国民主権というか、民主主義が遠くに漂い始めているのではないか。

<集会で憲法を語る、脚本家の小山内美江子さん>

  静もれる公会堂を五月雨が包みし外を街宣車騒ぐ

  憲法は権力縛る法規なり改憲論は民に足かせ

  二階まで立ち上りくる小山内の九条トークはドラマのような

  閉塞の時代を撃った啄木のテーブル叩く強き拳が

  霧雨が柳葉につもり一滴(ひとしずく)日比谷の杜は大河にならん