Luigi Tencoが亡くなってちょうど50年。1967年のサンレモ音楽祭で期待され入賞を逃し、失意の中で命を絶った、若干28歳の青年だった。昨日は黄砂が漂う憂鬱な空の下、Luigiの音楽に久しぶりに浸っていた。その理由は、新しいCDの中に収められた、Chiara Civellが歌う「Quello che conta」に感化されたと言っていいのかもしれない。
彼がサンレモに持参した楽曲は「Ciao Amore Ciao」だったが、今聞いても「惜しかった」と思う反面、歌い方が明るすぎたのではないかなぁと思う。もちろん悪い曲ではないのだが、後に発見された「Piu m'innamoro di te」やエンリコが作曲した「Quello che conta」の曲の方が源太郎は好きだ。
思い出せば、彼の死によって5歳年上の彼女だったDalidaが後を追い、そして失意の中で命を取り留めた彼女の気持ちはどうだったのか、想像することはできない。残されている一枚の写真から、そして「Il Venait D'Avoir 18 Ans」という一曲からその気持ちを想像するしか手はない。その彼女も後に自ら命を絶ったのは残念だった。
この曲は、1973年に発表されたから、彼が世を去って6年の歳月が過ぎた。こんな歌詞だったと思う。
彼は18歳になったばかりで、子供のように美しかった。
しかし、大人のように力強かった。
確か夏の夜だったと思う。私は彼を見つめて自らの歳を思った。
私は髪の手入れをし、アイシャドーを少し濃くした。
そして、その姿を見て彼は笑った。
彼がそばにいるとき、私は彼を繫ぎ止めるため何でも与えた。
彼は18歳になったばかりで、すてきな言葉を使った。
そのことで、彼は聡明であると思った。
ただ、彼は私に愛について語ることはなかった。
それは「愛という言葉は馬鹿げたことだ」と考えていたから。
「ぼくはあなたが必要」と私に言った。
彼は映画の「青い麦」を見ていた。
私は、簡易なベットに身を沈めて、素晴らしい空に感動していた。
彼は18歳になったばかりで、彼は生意気だった。
彼が、身なりを整えたとき、私は私の孤独に気がついた。
私は彼を引き止めておきたかった。でも私は彼を行かせた。
何も思い出を作ることもなく。
彼は若さのままに、素直に「素敵だった」と言った。
私は髪の手入れをし、アイシャドーを少し濃くした。
いつも通りではなく。
私がふたたび18歳になっていたように。