レポートも一段落したので、「お花屋さんでフランス語」という酒巻洋子さんの本を読んでいた。その本の中で「Lilas」、そう、この時期に咲くライラックのページを読んでいると、フランス語で文字化けするかもしれない(ブログの文字コードが変わったのでわからないが、iPhoneやiPad、Macなら文字化けしないけど)が、そのまま記述すると。
Mon cœur est à vous. (私の心はあなたのものです)
というフレーズが目に止まった。この花をライラックと覚えている人、リラと覚えている人どちらが多いいのだろう。元々の名前はペルシャ語の「青みを帯びた、nilak」に由来されているらしい。とするとライラックが語源に近い。学名はsyringaとされて「葦」を意味し、これはライラックの新芽の茎が空洞なことから付けられたと、この本には解説されていた。フランスに持ち込まれた時から「愛する人」に贈るブーケとして人気になり、20世紀にはこの花を題材にした歌が作られた。でも、シャンソンでは花名は「リラ」だ。
その代表的な曲は、アズナヴールの「La Boheme」だろう。ここでフランス語の歌詞を書いても仕方ないので、面白い対比をしてみたい。この曲は世界中のいろいろな人が歌い、日本でも訳詞で多くの歌手が歌っているので、日本語訳と日本語歌詞の比較をしてみよう。日本人歌手は「金子由香利、岩崎宏美、しますえよしお、西島三重子、嵯峨美子、加藤登紀子、、、」と挙げればきりがない。みんな各様の歌詞で歌っている。
ラウラ、起きて聞いたらどうだい。
「なんなの、わたしは寝ているの」
ラ・ボエームは、ジャック・ブラント作詞、アズナヴール作曲、1965年の作品だから50年前の曲ということになる。初演はオペレッタ「ムッシュ・カルヴァル」の中でジョルジュ・ゲタリーによって歌われたが、のちにアズナヴール自身が歌い、ヒットした。「若き画家志望の青年の夢と挫折」をアズナヴールはステージで白いハンカチを小道具にして歌って演じみせる。
梅原英正さんの訳詞
いまはもう遠い 二十歳にも満たない日々の 話をしよう
モンマルトルのアパルトマンの 二人の部屋の窓には リラの花が咲いていた
粗末な家具付きの部屋が 二人の愛の巣で 見た目にはパッとしなかったが
そこで二人は知り合い 僕はろくに食べるものさえなかった
君は僕の前で裸でポーズをとっていた
ラ・ボエーム それは二人が幸せだということ
ラ・ボエーム 一日おきにしかものを食べていなかった二人
近くのキャフェに仲間が集い 来るべき栄光を夢見て
僕らはすっかりひとかどの人物になりきっていた 空き腹をかかえた
みじめな暮らしにもかかわらず 未来を信じてやまなかった
ビストロの 温かい食事を前にして 二人で一つのナプキンを使い
詩句を口ずさんだ 冬の寒さを忘れて 暖炉のそばに集まったものだった
ラ・ボエーム それは 君が美しいということ
ラ・ボエーム 僕たちはみんな天才だった
画架を前に 絵を描いて 夜を過ごしたものだった
デッサンに手を加え 胸の線や 腰の輪郭を書き直した
夜が明けて クリーム入りのコーヒーを前に やっと腰をおろした
疲れてはいたが うっとりとして 二人は愛し合い 人生を愛していた
ラ・ボエーム それは 二人が二十歳だということ
ラ・ボエーム 二人は時のながれに乗って暮らしていた
ある日 気まぐれに 昔の住まいを訪ねてみた
僕の青春の日々を見守っていた 建物の壁も、通りのたたずまいも
もう、わからなくなっていた 最上階にあるアトリエを
探してみてみたが なにひとつ残ってはいない
新しい舞台装置に囲まれて モンマルトルは悲しげで
リラの花は散り果てた
ラ・ボエーム 僕らは若かった 狂気じみていた
ラ・ボエーム それはもう何も意味しない言葉
Charles Aznavour - LA BOHÈME 1991
そして、金子由香利さんが歌っている「なかにし・礼」さんの歌詞
モンマルトルの アパルトマンの 窓辺にひらく リラの花よ
愛の部屋で あなたはいつも 絵を描いていた 愛しい人よ
あたしを モデルに 愛し合った あなたと わたしの二十歳の頃
ラ・ボエーム 幸せの夢よ
ラ・ボエーム 根のない草花
・・・・・
「終わったの。起きようかな。お腹も空いたし」
「ラウラ、もっとポエムのように女らしく」
「腹減った。おやつちょうだい」
本当にほんとうに感激しました~、有難うございました、もちろん、別嬪さんラウラちゃんにも安らぎをいただきました。
猫も音楽もスパイス以上、主食におなじですね。
「ラ・ボエーム」、です。 ごめんなさい。