経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

頭隠して

2014年12月04日 | Weblog
これまで客対応と言いながらその逆、
内実は、内部の内部による内部のための対応であったこと。
それを「お客様第一主義」といったきれいな包装紙で上手に包装。

さらにそれに
美辞麗句や気の利いたキャッチコピーやトークを添えて
といったことが、上手な販売といわれ、努力、精進の目的とであった。

要は、外部の消費者のお金を如何に内部に取り込むか
そのために、あの手、この手を講じること。
それが「消費者に対応すること」ではなかったろうか。

その考え方の一つとして、「お客様第一主義」ではなかったか。
しかし、「頭隠して尻隠さず」だ。

消費者はその尻からちらちら垣間見える
しっぽの動きから、売り手側の本音を知ることになる。
こうしたことで頭隠したこと自体が無意味になってくる。

事実,今時、
「お客様第一主義」と、声高らかに唱えても、
感動する人などいやしない。

無意味な対応に苦心してどうなる。
無意味な対応に工夫と改善を加えてどうなる。

対応とは、対するものに応じる、ということであって、
対するものに、こちらの思惑に応じてもらうことではない。

対するものに応じるには、
対するものの動きを知らねばならない。

こちらがこちら都合に動いてもらうように仕向けることではなく、
対するものが、自分いしで、こちらの思うつぼと合致するよう
言動をしてもらうようにすること。これが「応ずる」ということだ、

経営の場合、上の「対するもの」とは、消費者だ。
ああした場合、こうした場合、
消費者が、どう考えるか。どう動くか。

企業内外での日常のあらゆる
ああした場合、こうした場合の、こちらの思考、言動に対して
消費者はどう思うか、考えるか、どう動くか、を押さえることだ。

それには、相手になりきる。これ以外にないのである。
自分がお客だったら、そのことでどう動くか、

そのことはお客にとって、直接的、間接的にプラスになるのか、
消費者になり切る。お客になり切る。
なり切りって、考える以外にない。

では、そのためにはどうしたらいいか。


2014年12月04日 | Weblog
ああら、不思議

組織の外、消費者のことまでを経営判断の範疇として、
その全体最適を図ることが、組織のトップだけでも浸透すると、
組織は、次第に活性化してくる。

その理由は、我が社のため、わが課のため、自分のため
今月の予算達成のため、といった、
「のため」が、実は足かせ、縛り、とらわれ、こだわり
になっていたためと考えてよい。

だから内部と外部の、そうした仕切りが取れると
一気に、視野が広がる。思考が広がる。

よく「先の見通しが立たない」
「先行き不透明だ」
「お先真っ暗だ」
「展望が開けない」
といった言い方をする。

そう言っている人をいちいち調査したわけではないが、
その人たちが位置している場所は、
上空からではあるまい。山のてっぺんではあるまい。

先の見通しが立たないのなら、
見通しが立つ場と位置に立てばいい。
あるいは
眼鏡の度数を上げるか、望遠鏡を使えばいい。

先行き不透明なら、透明化を図る手立てを打てばいい。
それができないなら、見えない先では見ず、
この今見えるところで、仕事をすればいい。

お先真っ暗ならどうするか。
灯りを付けたらいい。
普通の電灯で駄目ならサーチライトでお先を照らせばいい。
明かりで失せない闇はないのだから。

展望が開けない、のであれば、
どこかのお山のてっぺんに上って、
展望台に上がってみるといい。
展望台と名が付いているところで、
展望が開けないところはないのだから。

そもそも部屋にいて、展望が開くはずはないのだ。

要は、
見通しが立ち、透明で、明るい、展望の開ける
場を探し、自分が手足を動かし変えたらいいのだ。

それを、
見通しが立たない、不透明だ、真っ暗だ、開けない、
と口で言っている。言うことで、「仕切り」を増やす、
といった逆のことをしきりになしている。

自らブレーキを踏んでいながら、
この車、動かなくなった、と言っている。
家の中にいて、外が見えない、といっている。


といったことで、
組織のトップの思考、判断が全体最適化と言った場合の
その「全体」が拡大し、外をも含まれることになれば
当然、外の消費者も見えてくる。

トップの思考、判断の仕切りが取り除かれると、
あら不思議、いや不思議でも何でもなく、
組織は、次第に活性化してくる。

仕切りが外れると、各人、個々、何をなさねばならないのか、
その優先順位までを含めて、見えてくる。
やはり、あら不思議か。