経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

葦と足

2014年12月22日 | Weblog
この店がないと、「うちらは困る」といった地域の人たち、
この地域の人に買ってもらわないと、
「生きては、いけない」という商店の思い。

こうした双方の思い、露骨にいうと
利害の一致の上に存在するのが商店ではないか。
これを原点と考えることにします。

その原点に遠ざかる距離に正比例して商店が苦しくなる。
あるいは住民が大変になってくる。
そのいずれか、ということになります。

この店なぞあってもなくても困らない
ということになれば前者。商店が困る。
この地域の住民を相手にしていては大きくなれない、
ということで、その商店が遠くの町へ移転した
と言うことであれば、地元住民が困る。

今、全国で、こうしたいわばすれ違い現象が起きている。
首都圏の繁華街では、お店がたくさんあって、過当競争。
その中のいくつかが消えても消費者は困ることはない。

だから売り手の方が、消費者にたいして
あの手、この手、テクニックで客の関心を誘う
涙ぐましい努力が欠かせない。


一方、郡部では、そうした努力をせずとも
消費者は、近くにあるといった理由だけで利用してきた。
なにせ銭(あし)はあっても、遠くへ買い物に頻繁に通う
足はないのだから、仕方がなかったのだ。

そうなるとその商店は、足元を見てサービスと品質は低下し、
頭(ず)と値段は高くして、サービス、設備などに
コストをかけない、というやり方で安定売上を確保してきた。

ちなみに郡部では、商品に値札をつけていないお店がみられる。
理由を調べたら、
1に、値札代もつける手暇も惜しい。
2に、定価で売る気はないから値札に値段を入れたら困る、
3に、売る人等によって変動価格を採用している。

ようはタチの寿司や伊勢エビなどに「時価」とある、
あれを雑貨屋や八百屋がやっている、とイメージあれ。

実例1つ。もう30年も前の話だが、
ある離島で、朝方には、1本230円の大根が、
夕方古くなったのを半分にきり、630円(一本1260円になる)
で売られていた事例を、わたしは目の当たりに。

驚いて、店主に言ったら、「経済の原理しらんのか」
といった顔をされた。
店主曰わく理由は、
明日あたりから海がしける。となれば島では野菜類は貴重品。
さすればすべからく需要と供給のバランスで価格は決まるから、
高くなるのは当然である。お分かりか、
この若造コンサルさんよ!

ながいあいだ経済の原理は、まさに売り手有利に働いていたのである。
それは時代のせいでも、経済の原理がえこひいきしたせいでもない。
足がなかったからである。

だが自動車が普及することで、距離を短縮する足ができ、
売り手と買い手の立場は、おおむね逆転した。

地元の住民たちに、足により自分の銭(あし)を使う場の
選択が出来るようになったのである。 

これで、郡部の町から、店が消えていった。
上位町に客を奪われた。
大型店に売上を持って行かれた。
中心商店街は空き店舗は。郊外へ客が流れたせい・・・・。

気持ちは分かるが、
こうした自らを被害者においた考えからは、
処方は絶対に出てこない。
こうした現象は、たった1つのことで決まっているからである。

それは、「消費者の選択の結果」。
逆に言えば、ここに気がつくことで我が店のバラ色を描き、
その具現を計ることが出来るのである。
それも難しいことではない。
難しいのは、作り手・売り手の論理を捨てきれないこと。
消費者中心主義を理解できないことである。

この1260円の大根との遭遇以来、
私は「消費者中心主義」を提唱始め、
ダイコン経営コンサルタントからの
脱皮を決断したのである。