「そのことは、お客さまからみてどうか」、
という自問自答を常になし、その問をクリアしたことだけを実行する。
これを組織に徹底させない限り、知らずして消費者からの厭われ、
企業は自らの発展が阻害されることになりかねないのである。
売り手の事業は、購買者の購買活動によって成り立っている、
という両者協力関係にある、ということを考えれば、
せめてその協力者の協力を問いかける言葉、
「そのことは、お客さまからみてどうか」、
を自らに問いかけ、検証することは、
我が身を守る意味から積極的に励行されて当然と考える。
仕事は組織内だけではなく、組織外の人たちとの協力関係が不可欠。
そうした考えを組織内に取り込んで、徹底浸透させてこそ「仕事」、
いわばこれまでの、仕事の定義を変えるところまで
踏み込む必要があると考える。
人はとかく、相手様の都合は忘れる。
特に自分が忙しいときには、人の忙しさに気が回らない。
その上に自分たちの段取りで仕事を進めて、
それを「効率的」とか「段取りよく」とか称している。
それをさらに確実化、実効性を上げるために、
セミナー、研修会を受講し、専門書を読み、
コンサルタントに学んできたが、それらのなかに、
「お客様からみてそれがどうなのか」、
という、消費者を中心に置いた思考が希薄であった。
私たちは、こうした反省をしておかねばならない。
部屋の掃除とは、内のゴミを外に掃き出すことである。
節分に叫ぶ、おなじみの「鬼は外、福は内」の意味は、
いやなものは外へ出し、良いことは内へ、といった
まさに自己中心敵発想の象徴的な言葉である。
このように私たちは、常に自分(内)を中心に、
物事を思考する刷り込みの中で育ち、教育を受けて生きた。
だからこのまま、「しかたがない」では、
事業が潰れても仕方がないことになる。
仕方がない状態にしないために、仕事をするのだ。
お客様からみてそれがどうなのか
消費者を中心に於いてものを考える習慣
意識して外から組織内をみる習慣、
仕事の概念、定義を組織の外まで拡げるること
こうしたことを組織に培うことが必須になると考える。
これが、私が提唱している「消費者中心主義」。
先に触れたが、これは自分をこちら、中心において、
対岸の相手にお客様第一主義、顧客志向、といっているものとは
似て非なるものであることを、最後ここに確認しておきたい。
という自問自答を常になし、その問をクリアしたことだけを実行する。
これを組織に徹底させない限り、知らずして消費者からの厭われ、
企業は自らの発展が阻害されることになりかねないのである。
売り手の事業は、購買者の購買活動によって成り立っている、
という両者協力関係にある、ということを考えれば、
せめてその協力者の協力を問いかける言葉、
「そのことは、お客さまからみてどうか」、
を自らに問いかけ、検証することは、
我が身を守る意味から積極的に励行されて当然と考える。
仕事は組織内だけではなく、組織外の人たちとの協力関係が不可欠。
そうした考えを組織内に取り込んで、徹底浸透させてこそ「仕事」、
いわばこれまでの、仕事の定義を変えるところまで
踏み込む必要があると考える。
人はとかく、相手様の都合は忘れる。
特に自分が忙しいときには、人の忙しさに気が回らない。
その上に自分たちの段取りで仕事を進めて、
それを「効率的」とか「段取りよく」とか称している。
それをさらに確実化、実効性を上げるために、
セミナー、研修会を受講し、専門書を読み、
コンサルタントに学んできたが、それらのなかに、
「お客様からみてそれがどうなのか」、
という、消費者を中心に置いた思考が希薄であった。
私たちは、こうした反省をしておかねばならない。
部屋の掃除とは、内のゴミを外に掃き出すことである。
節分に叫ぶ、おなじみの「鬼は外、福は内」の意味は、
いやなものは外へ出し、良いことは内へ、といった
まさに自己中心敵発想の象徴的な言葉である。
このように私たちは、常に自分(内)を中心に、
物事を思考する刷り込みの中で育ち、教育を受けて生きた。
だからこのまま、「しかたがない」では、
事業が潰れても仕方がないことになる。
仕方がない状態にしないために、仕事をするのだ。
お客様からみてそれがどうなのか
消費者を中心に於いてものを考える習慣
意識して外から組織内をみる習慣、
仕事の概念、定義を組織の外まで拡げるること
こうしたことを組織に培うことが必須になると考える。
これが、私が提唱している「消費者中心主義」。
先に触れたが、これは自分をこちら、中心において、
対岸の相手にお客様第一主義、顧客志向、といっているものとは
似て非なるものであることを、最後ここに確認しておきたい。