経営者が戦略的に自社の行く末を、
ゴーイングコンサーンに目標を置いていたら
今のために将来(さき)を担保にしたり、今の業績確保のために、
将来を危うくしたり、といった短期的な判断は取らない。
社員が「背を腹に替えらる」といったやり方、
今のために将来がどうなろうと、知ったことか、
といった類のことを、一切やらせないであろう。
しかし現実は、今の飯食えず、将来が食えるか、
それいけどんどん、さぃを心配する暇あったら
今、電話しろ。今、はんこ押させろ。
朝駆け夜がけ、それでおまえらの死活が決まるんじゃ、となる。
長期戦略、長い目で物事を考える。俯瞰的思考は、
大陸ではない、島国に住む日本人は苦手、というか
そうした考えすら欠如しているとされる。
さもありなん。
「やあやあ、我こそは・・・」といった一対一の戦い、
すなわち戦術レベル、技の競い合い。これが長く続いていたのである。
あるいは感じように任せて、将来(さき)の見通しもなく発作的に
戦いを起こして、自滅した明智光秀の如く「思いつき」か。
いずれかが主流だったと言える。
そうした時代に、桶狭間の戦いに見られるような、
[戦略にもとづく戦術の行使」を実践で自在に行使した織田信長は、
まさに傑出した人物といえよう。
経営者がゴーイングコンサーンを選択しているにもかかわらず、
配下が後者的行為、すなわち「その場良し、後わからず」
といった仕事をなしているのであれば、
それは戦略が徹底されていないことになる。
だから、その点を反省、徹底を図ればいい。これが対策だ。
だが、経営者が、「いけいけどんどん」を組織に命じているのなら
それは事業にとって死の選択を自ら採っていることになる。
その場合そのことに気が付いた者が諫止できればいいが、
そうした経営者はたいてい聞く耳持たず、諫言を嫌い甘言を歓迎
といったタイプがほとんどであるから、まさに粗指呼の不幸である。
良識あり将来が読める者は。その組織を去り、
甘言を弄して身の出世、身の安泰を図ろうという取り巻きが、
組織に残ることになる。
そして、タイタニック号の悲劇で見られるように、
船中でゲームに勝った者も負けた者も、船もろとも滅びる、
といったことは、古今東西の歴史の中にはごまんとある。
いな、歴史上の栄枯盛衰は、この2つの路線の織りなしで
綴られているといえる。(
ゴーイングコンサーンに目標を置いていたら
今のために将来(さき)を担保にしたり、今の業績確保のために、
将来を危うくしたり、といった短期的な判断は取らない。
社員が「背を腹に替えらる」といったやり方、
今のために将来がどうなろうと、知ったことか、
といった類のことを、一切やらせないであろう。
しかし現実は、今の飯食えず、将来が食えるか、
それいけどんどん、さぃを心配する暇あったら
今、電話しろ。今、はんこ押させろ。
朝駆け夜がけ、それでおまえらの死活が決まるんじゃ、となる。
長期戦略、長い目で物事を考える。俯瞰的思考は、
大陸ではない、島国に住む日本人は苦手、というか
そうした考えすら欠如しているとされる。
さもありなん。
「やあやあ、我こそは・・・」といった一対一の戦い、
すなわち戦術レベル、技の競い合い。これが長く続いていたのである。
あるいは感じように任せて、将来(さき)の見通しもなく発作的に
戦いを起こして、自滅した明智光秀の如く「思いつき」か。
いずれかが主流だったと言える。
そうした時代に、桶狭間の戦いに見られるような、
[戦略にもとづく戦術の行使」を実践で自在に行使した織田信長は、
まさに傑出した人物といえよう。
経営者がゴーイングコンサーンを選択しているにもかかわらず、
配下が後者的行為、すなわち「その場良し、後わからず」
といった仕事をなしているのであれば、
それは戦略が徹底されていないことになる。
だから、その点を反省、徹底を図ればいい。これが対策だ。
だが、経営者が、「いけいけどんどん」を組織に命じているのなら
それは事業にとって死の選択を自ら採っていることになる。
その場合そのことに気が付いた者が諫止できればいいが、
そうした経営者はたいてい聞く耳持たず、諫言を嫌い甘言を歓迎
といったタイプがほとんどであるから、まさに粗指呼の不幸である。
良識あり将来が読める者は。その組織を去り、
甘言を弄して身の出世、身の安泰を図ろうという取り巻きが、
組織に残ることになる。
そして、タイタニック号の悲劇で見られるように、
船中でゲームに勝った者も負けた者も、船もろとも滅びる、
といったことは、古今東西の歴史の中にはごまんとある。
いな、歴史上の栄枯盛衰は、この2つの路線の織りなしで
綴られているといえる。(