経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

諸悪の根源

2010年10月13日 | Weblog
日常生活の中では、取り立てて戦略、戦略と意識することはない。
それは無知といったことではなく、そうする必要を感じていないか、
無意識になしているからであろう。

しかし企業経営において、戦略を意識もせず、考えもせず、
判断、決済を無邪気にと言うわけにはいくまい。

ところが現実的には、そうした「無邪気」を
行っているところが随分と多いというのが
私の体験上からの実感である。

確かに経営会議などでは口泡を飛ばした激論が
戦わされたとして、その節々に「戦略」の単語は頻繁に発せられる。
が、その中身は極めて情緒的、短絡的、思いつき的なものである。

その典型的な例が、組織を挙げて、
あるいはトップ指示の偽装事件の類である。

長期戦略にもとづく思考、長期戦略にもとづいてこその会議、議論
長期戦略にもとづいての今の判断、決済、今日の為すこと。

こうしたことは知らずして自分と自社の「あやうさ」の要因を
コツコツと日々蓄積しているのことになる。

俗にこれを「自ら墓穴を掘る」という。
当人はまじめに墓を掘っているのだが、
それが自分と組織の骸を納めるためのもの、
ということがわかっていない。

その墓穴を掘る行為を、「会社一丸になって頑張ろう」と
シュプレヒコールし、上は配下の尻を叩いている。

まことにはたからはみると滑稽、かわいそうなことでもある。


「戦略」には2つの側面がある。
1つは「長期」という主眼。短期戦略があるじゃないか、
と反論もあろうが、それは違う。
長期があってそれに即した一里塚的なものが、
短期、中期の戦略の位置づけである。

だから長期戦略ないところに短期なし。中期なし。

2つ目は、ゴール、目的があってこその戦略ということだ。
ゴールがあるということは起点と終点が明確である、ということだ。
これは絶対不可欠なことである。

ところが、手元にある何十社かの経営計画書をみても、
始点はあるが終点がない。

このことは「方向が決まらない」と言うことを意味する。

「方向が決まらない」、このことこそ組織が機能不全に陥る、
そして諸悪の根源なのである。