経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

その意義、私の場合

2009年09月24日 | Weblog
自分の最善の選択が、長い目で見ると正しくはない。
またその逆で、そのときはミスったと悲嘆した選択が、
後々そのことがなかったらえらいことになり、今の自分はいない、
と、いったことは珍しくはありません。


そう考えると、問題は、どこでその判断を下すかであって、
その「こと」そのものにあるのではないといった見方ができます。

情報は「こと」。様々な情報を得て受け取る人が、
それに「良い」という判断を下し、「良い」というラベルを貼ったら、
それは「良い情報(こと」。

悪いとみて悪いというラベルを貼ったら、それは「悪い情報(こと」。
情報(こと)そのものに甘辛や色、重要度がであるのではない、
といったことを、以前、ここに書きました。

とすれば、「そやとすれば時間的長短とは関係ないのとちがいまっか?」
と問われそうですが、長い期間経ないと、長い目で見た判断は出来ない。

高い位置に立たなければ俯瞰的見方は出来ない。
やはり、時間軸は欠かせない。高低も欠かせない。
両面思考、多角度から見ることは欠かせない、といったことになります。


だから、「長く生きてきても、ろくなことない」といったことは、
長い期間に起こる「こと」に対して、その大半の出来事について
「ろくでもない」と判断したということになります。

命短し、つまり短期間でこうした「ろくでもない」と判断し、
その時点で、人生を閉じるとするのであれば、
それは「ろくでもない」人生、と言えるのかもしれません。

しかし長い人生、たとえば100年生きていて、生まれてから
100年連続で「ろくでもない」と判定するような事態はまずない。

そう考えて、今日までの我が人生、赤字の判断。
収支を黒字にも持って行くためにはあと30年欲しい。
できれば、50年。これで人生黒字確実。

赤字で終えられたら、神や仏は取り立て不能で、
困りなさるのでは、とお祈りのたびに申し上げ、
日々楽しく粉骨砕身、過ごす今日この頃であります。