経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

上に立つ

2009年09月09日 | Weblog


祭りと言えば、思い出した。
数年前の博多商人塾の打ち上げに
元塾生の中島夫妻が駆けつけてくれた。
適当に飲んだ後、その日が、博多多の三大祭りの一つ
「 博多祇園山笠」の前夜祭ということで、
見せ場を案内してくださった。
 
山笠の上に、大きな恵比寿様が掲げられている。
その膝の位置に、数名の下は締め込み、
上には羽織の人が座っている。
「選ばれた人」である。


三角形を紙に書いてそれを眺めていると
そこから、様々なことが見えてきます。
広さでみたら、底辺に近いほど広い。
△の頂点の部分が狭い。

高さで見たら、頂点が一番高く底辺が低い。

数(ドッド)で見たら、上に行くほど少なく、底辺は多い。
安定感でみたら、底辺が広いほど安定する。
上を下が支えているから、この部分が短く狭くなれば
三角形は不安定になる。

論理で見たら、底辺が普遍性、主流。
上に行くほど特殊性を帯びる。

この三角形を社会構図に置き換えてみたら、どうか。
上が、士農工商でいえば、士。 下が庶民。

組織で言えば、経営者。下がバイトやパートタイマー
財力で言えば、上が大金持ち、中が中金持ち。下が・・・・・。

人はなぜか上に高く進もうとする。
向上心といえば、いいことだ。
出世欲といえば、まあ、これも良し。

競争心もその在り方が問われることがしばしば。
だがこれも良しとする。

下のような皮相的な見方も、またある。

上り詰めたところが一番狭いのに。
なんでそんな窮屈なところを目指すのか。

人皆、上に登ったら、どうなるか。
逆三角形になり、不安定を招くことになるのでは。

三角形の頂点にたって、俺はえらいのだ。
人々の上に立っている。
俺は、底辺から抜け出ることを考え、三角形の頂点を目指して、
がんばってきたのだ。と思う人も多かろう。

ここまでくると、底辺は悪い。
努力をしない人のたまり場。
上は立派。偉い人、選ばれた人の指定席、
といったニュアンスが、感じられる。

それに人皆、上に登っったら、どうなるか。
逆三角形になり、不安定を招くことになる。

それ、入らぬ心配。そこでまた格差が生まれ、
全体を上に押し上げつつ、ピラミットは維持されるのだから。


朝から、そんなことをあれこれ考え、考えが固まらないまま
キーで、こうして記している。

まてよ。上に立つことをいったん良いこと、悪いこととせず
上に立つ人の、心の問題として、考えてきたらどうだろう。


ここで、
「あっ。俺がこの頂点にいる状態はたくさんの人々から
支えられていることを表しているのだ」と思う人がいたら。

「あっ。この高さは、たくさんの支持者の1票に支えられた結果だ」
と、選挙の期間以外に実感している政治家がいたら。

エクセルで作った売上グラフをみて
「あっ。この売上げは、たくさんのお客様が購買されたその結果だ」
と、思わずパソコンに向かって、頭を下げる人がいたら。

「あっ。うちの企業が存在できるのは、多くの人々が支えがあればこそ」
と、経営者が毎朝、神仏に頭を下げると同じに、感謝を表したら。


お祭り。山笠、御神輿。
御輿の上に乗っかる人は、選ばれた人である。
ここに乗ることを夢見て、子供の頃から、選ばれる人を目指すという。
それは、御輿なり山笠なりを担ぐ人たち、誰しもが担ぐに値する、
と納得する人でなければならない、と親や周囲から教えられからだ。

子供たちは、人々から支えられる条件を自分たちなりに考え、課し、
自分を磨き、磨かれ、人を磨き、育つ。

人を育てるために先人が作り出したしくみが、祭りだとしたら、
先人の知恵はすごいと驚嘆せざるを得ない。

ならば、三角形の頂点は、すばらしいことではないか。

「そんな暇があったら勉強しなさい。大人になっも上に立てませんよ」

で育った子が、大人になって三角形の上に立てるだろうか。