泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

飛鳥の「不思議発見!(その7・8)」(4)

2021年07月05日 21時11分59秒 | 散歩

奈良県の飛鳥地域を散策していると、「これは一体何?」・「どうして、この様な物がここに?」というようなものを見受けられます。前回は、ロマンいっぱいの「古代の不思議なもの」を紹介しました。

今回は、飛鳥の「不思議発見!(その7・8)」(4)を紹介したいと思います。

〇「この石造物は、一体何?」      

          その7                     その8

         

(その7)

これは、奈良県明日香村祝戸地区に、不思議な男根型の石「マラ石」と呼ばれている不思議な石造物です。長さ1mほどの石で、対岸にある丘陵を「フグリ山」と呼び、マラ石と一対と考える説もあると言われています。マラ石は、五穀豊穣や子孫繁栄との関係があるとも考えられているようです。

この「マラ石」がある地区は、祝戸(いわいど)と呼ばれています。日本書紀によると、642年に「村々の祝部(はふりべ)の所教のままに、或いは牛馬を殺して諸の社の神を祭る・・・」とあります。

どうも、干ばつが続き「雨乞い」が行われたようです。この記事の続きに、当時の女帝である「皇極天皇」が8月1日に南渕の河上へ行幸して四方を拝み、天を仰いで雨乞いを行い雨は5日間続いて天下は等しくうるおった。国中の百姓は皆喜んで、「この上もない徳をお持ちの天皇である」といったと、日本書紀に記されています。

この記事にある「祝部」の「祝」は、「ほふり」と読み神を祀る者を指しています。この地域に「祝」の字がつく「祝戸」があるのも、古代において神を祀る「祝部」が住んでいたと推測されています。この場所に、「マラ石」があります。

また、この「マラ石」がある所は、古代の寺院である「坂田寺」の寺域にあります。

大字に伝わる話によると、昔に疫病やはやり病が流行した時に、稲渕方面に流行していかないように「祝戸」でくい止めるために「マラ石」を設置したと伝えられているようです。現在では、子どもが授かるようにと訪れる方もおられるようです。「明日香村の大字に伝わるはなし」より

(その8)

これは、明日香村川原地区にある「亀石」と呼ばれている石造物です。田んぼの横にあり、重さ推定40tという巨大な花崗岩を、 自然の岩肌を残したまま利用した石造物です。うずくまった亀のようなスタイルと残された伝説から「亀石」と呼ばれていますが、何の目的で造られたかわかっていません。造られた時代は、飛鳥時代のようです。

伝説では、昔大和が湖であった頃、湖の対岸の当麻(たいま)と川原とが喧嘩になり、長い喧嘩の末、湖の水を当麻にとられてしまい、湖に住んでいた多くの亀は死んでしまいました。数年後、哀れに思った村の人達は、亀の形を石に刻んで供養したと言われています。元は北向きだったものが現在の南西へと向きを変えていますが、この石は毎年粟粒1個づつ西に回っていると言われています。西を向き当麻をにらみつけた時、当麻の地は湖の底に沈んでしまうと言われています。「明日香村の大字に伝わるはなし」より

今回は、不思議な「石造物」を紹介しました!

      

 

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