奈良県明日香村は、1980年にできた「明日香村特別措置法(明日香法」により明日香村の風土が守られています。
その為、開発にあわず古代からの地形等が残されています。
今回は、飛鳥の水田や畔に残る「古代の足跡」(1)ということで、何回に分けて紹介したいと思います。
1 明日香村にある川原寺と橘寺の間にある古代道路跡の水田
・飛鳥時代の東西道路(飛鳥の横大路)よ呼ばれている古代の道の延長で、おそらく水田の畔と畔の間が古代の道と考えられています。この道を東へ直進すると飛鳥浄御原宮の大極殿ではないかと考えられているエビノコ郭の西門に繋がります。
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2 明日香村の「水落遺跡」近くにある古代道路跡の水田
・この東西に細長い水田は、7世紀初め頃の道路跡(古山田道)ではないかと考えられています。古代の飛鳥寺の寺域の北側にあります。
608年に小野妹子と共に隋の使者である「はいせいせい」が、当時の宮である小墾田の宮へ行く為に通った道かもしれません。この近辺に宮があった可能性があり、毎年発掘調査が行われています。
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