泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

初夏の奥飛鳥 「稲淵集落散策」

2018年06月26日 14時47分24秒 | 散歩

奥飛鳥(おくあすか)は、奈良県高市郡明日香村の大字「稲淵」「栢森(かやのもり)」「入谷(にゅうだに)」の三集落周辺を指します。飛鳥川流域に点在する農地・森林などの景観が文化財保護法に基づく重要文化的景観に選定されています。

今回は、初夏の奥飛鳥「稲淵集落散策」の様子を紹介したいと思います。

稲渕の棚田を抜けると谷の幅が狭まり、その先の河岸段丘上には「稲渕集落」が存在します。集落には、「男綱(おづな)」や「飛び石」(2か所あります)・「竹野王石塔」(竜福寺)・「南渕請安」先生の墓等を見ることが出来ます。 景色だけでなく、歴史を感じさせられる素敵な場所です。

〇集落の入口には、「男綱(おづな)」と呼ばれる綱が掛けられており、毎年一月に飛鳥坐神社の神主が御祓いを行っています。これは子孫繁栄と五穀豊穣を祈願すると共に、悪疫などが飛鳥川を通って集落へ侵入することを防ぐための結界です。

〇集落内を流れる飛鳥川には、地元で産出された石英閃緑岩が「飛び石」状に並べられており、増水時にも流されない石橋として利用されています。現在、2か所復元されています。石橋の近くには、「ねむの木」がありピンク色の花が咲いていて、とても綺麗でした。

『万葉集』にも、『 明日香川 明日も渡らむ 石橋の 遠き心は 思えぬかも 』(明日香川の名のように明日も石橋を渡って行こう。飛び石のように間があいて隔たった心など持っていないよ。)という歌が詠まれており、飛鳥時代よりこのような石橋が飛鳥川に存在したと考えられています。

〇「竜福寺」は浄土宗鎮西派の末寺です。境内にある石塔は、在銘の石造層塔では最古です石塔は、四重目の軸部まで残存していますが、本来は五重塔であったと考えられています。銘文によって石塔が、751年に「朝風」という地に竹野王によって造立されたということが分かります。近くには、現在でも小字「アサカゼ」の地名が残っています。 

〇「竜福寺」の南約300mの明神塚には、「南渕請安」先生の墓があります。1662年建立の「南渕先生之墓」石碑を見ることができます。南淵請安先生は、小野妹子や後に国博士となる高向玄理とともに遣隋使として中国に渡り、帰国してからは、稲渕から飛鳥川を挟んで対岸の朝風に居住し、儒教を教えた先生です。請安先生のお墓は、ほこらの裏手にあります。

奥飛鳥には美しい棚田が広がり、風景や家屋がとても懐かしく感じられ、「日本の心の故郷」と呼ばれるという景色が見られます。 また、奥飛鳥の棚田の風景はは、奥飛鳥の大きな魅力のひとつですね!

                                                            

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