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【COGHCC聖書通読】 2018/11/19

2018-11-19 07:30:08 | 一日一章・聖書通読日記
ルカによる福音書 10:1-9

その後、主は別に七十二人を選び、行こうとしておられたすべての町や村へ、ふたりずつ先におつかわしになった。 そのとき、彼らに言われた、「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい。 さあ、行きなさい。わたしがあなたがたをつかわすのは、小羊をおおかみの中に送るようなものである。 財布も袋もくつも持って行くな。だれにも道であいさつするな。 どこかの家にはいったら、まず『平安がこの家にあるように』と言いなさい。 もし平安の子がそこにおれば、あなたがたの祈る平安はその人の上にとどまるであろう。もしそうでなかったら、それはあなたがたの上に帰って来るであろう。 それで、その同じ家に留まっていて、家の人が出してくれるものを飲み食いしなさい。働き人がその報いを得るのは当然である。家から家へと渡り歩くな。 どの町へはいっても、人々があなたがたを迎えてくれるなら、前に出されるものを食べなさい。 そして、その町にいる病人をいやしてやり、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。」

収穫は多いが働き人が少ないとイエス様が言われたことは、昔も今も変わりありません。イエス様が12使徒の他に72人の伝道者を選んで先に二人ずつ派遣されたように、福音の御言葉を伝える最前線に立つ者が必要とされています。職場や家庭、学校や地域など、私たちが教会の他に置かれている持ち場で、自身の生き様や言動を通してキリストを証することは、福音の種が蒔かれる前に土を耕す働きとして大切な過程です。直接献身者とならなくとも、それぞれの持ち場でキリストの芳しい香りを放つことが、私たちにできる伝道の第一歩です。

http://bible.com/81/luk.10.1-9.ja1955

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ルカによる福音書 10:17-20

七十二人が喜んで帰ってきて言った、「主よ、あなたの名によっていたしますと、悪霊までがわたしたちに服従します」。 彼らに言われた、「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た。 わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう。 しかし、霊があなたがたに服従することを喜ぶな。むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」。

福音の先行隊として遣わされた72人の弟子たちは、主イエスの御名によって命じると悪霊さえも聞き従うと喜び勇んで帰ってきました。しかしイエス様は、悪しき霊が自分たちに聞き従うことよりも、むしろ天のいのちの書に名が記されていることを喜びなさいと戒められました。私たちは自分たちの行いとその結果に一喜一憂することなく、何のためにこの世に遣わされているのか、その原点に立ち返って、神の御国が近付いていることに感謝を捧げる者でありたいと願います。

http://bible.com/81/luk.10.17-20.ja1955

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ルカによる福音書 10:21-24

そのとき、イエスは聖霊によって喜びあふれて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことに、みこころにかなった事でした。 すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子がだれであるかは、父のほか知っている者はありません。また父がだれであるかは、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほか、だれも知っている者はいません」。 それから弟子たちの方に振りむいて、ひそかに言われた、「あなたがたが見ていることを見る目は、さいわいである。 あなたがたに言っておく。多くの預言者や王たちも、あなたがたの見ていることを見ようとしたが、見ることができず、あなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである」。

イエス様のなされた福音宣教の働きは、それまでの多くの預言者たちが夢見ていたことの実現でした。この驚くべき福音の成就を、新約聖書を通して知ることができる今の私たちは、まことにさいわいな者です。

http://bible.com/81/luk.10.21-24.ja1955

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ルカによる福音書 10:25-37

するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。 彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。 彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。 彼に言われた、「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。 すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。 イエスが答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。 するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。 同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。 ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、 近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。 翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。 この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。 彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。

良きサマリヤ人の譬として有名なこの箇所は、イエス様を試みようとして投げかけられたある律法学書の質問をきっかけに、自分の立場を養護するために投げかけた第二の質問の答えとしてイエス様が語られたことでした。生まれながらの罪人である私たちも、何が良いことか、何が悪いことかは漠然とわかっています。しかし頭で理解するだけでなく、実際に行動に移すことなしに、神の御国に入ることはできません。

http://bible.com/81/luk.10.25-37.ja1955

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ルカによる福音書 10:38-42

一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。 この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。 ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。 主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。 しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。

マルタとマリヤのエピソードも、有名なお話です。教会で一生懸命に奉仕する者が陥りやすいのが、このマルタの思い違いです。クリスチャンにとって最大の献身は、御言葉と真剣に向き合い、聞き洩らすことなく耳を傾ける姿勢です。御言葉によって養われることなしに、教会の奉仕は成り立たないことを、私たちは肝に銘じなければなりません。

http://bible.com/81/luk.10.38-42.ja1955
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【今日の聖句】 2018/11/19

2018-11-19 06:35:09 | 今日の聖句
詩編 63:4-5 新共同訳

あなたの慈しみは命にもまさる恵み。
わたしの唇はあなたをほめたたえます。
命のある限り、あなたをたたえ
手を高く上げ、御名によって祈ります。

通常、人は自分のいのちが一番大事だと考えます。しかし神様の慈愛が自分のいのちにも勝ると感じることができるならば、自然といのちの限り神様の御名をほめたたえるようになるでしょう。わが身わがものと思わず、神様の栄光のために全精力を傾け、言葉に尽くせぬ感謝を神様に捧げる私たちでありますように。

http://bible.com/1819/psa.63.4-5.新共同訳
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