イエス様が「私たちに祈ることを教えてください」と尋ねて来た弟子たちにお答えになった言葉が「主の祈り」です。いわば「主の祈り」はお祈りのお手本です。
その主の祈りの中に、「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。」という一節があります。イエス様が教えられたお祈りの最も基本的な要素の中に、世界のために祈ることが挙げられていることを忘れてはなりません。
私たちの祈りは、どうしても個人的、自分の身近な範囲に留まりやすく、信仰生活が長くなるほど、自分の教会や信仰の仲間たちとの交流関係が深くなり、視野が狭まりがちです。中には、クリスチャンは信仰の世界のことだけを思い、この世の政治活動などに手を染めるべきではないという考えを持つ人たちもいます。
しかし私たちがこの世に生きている限り、今の世界と隔絶された環境で生きてゆくことはできません。むしろ、クリスチャンは神様の栄光がこの世に現され御心に適う世界となるようにこの世に遣わされた者であって、世の喧噪と離れた山奥深くで霞を喰って生きてゆく仙人とは違うのです。
私たちクリスチャンは、世の光となってこの世に輝きを放つ者でありたいと願います。私たちが神様から授けられた福音の希望の灯火を、枡の下に置くようなことはするべきではありません。
ですから、もっとこの世のことに正しい心で関心を持ち、この世界のために祈りたいと思います。この世が神様の御心に適う世界となるように、神様を悲しませることが起こらないように、政治家や行政のためにも、国々や地域のためにも、世界の平和のためにも、真剣に祈り求めるクリスチャンでありたいと思います。
その主の祈りの中に、「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。」という一節があります。イエス様が教えられたお祈りの最も基本的な要素の中に、世界のために祈ることが挙げられていることを忘れてはなりません。
私たちの祈りは、どうしても個人的、自分の身近な範囲に留まりやすく、信仰生活が長くなるほど、自分の教会や信仰の仲間たちとの交流関係が深くなり、視野が狭まりがちです。中には、クリスチャンは信仰の世界のことだけを思い、この世の政治活動などに手を染めるべきではないという考えを持つ人たちもいます。
しかし私たちがこの世に生きている限り、今の世界と隔絶された環境で生きてゆくことはできません。むしろ、クリスチャンは神様の栄光がこの世に現され御心に適う世界となるようにこの世に遣わされた者であって、世の喧噪と離れた山奥深くで霞を喰って生きてゆく仙人とは違うのです。
私たちクリスチャンは、世の光となってこの世に輝きを放つ者でありたいと願います。私たちが神様から授けられた福音の希望の灯火を、枡の下に置くようなことはするべきではありません。
ですから、もっとこの世のことに正しい心で関心を持ち、この世界のために祈りたいと思います。この世が神様の御心に適う世界となるように、神様を悲しませることが起こらないように、政治家や行政のためにも、国々や地域のためにも、世界の平和のためにも、真剣に祈り求めるクリスチャンでありたいと思います。