イタグレブリーダー・ヨーロッパのイタリアングレーハウンド。

ヨーロッパから5頭のIGを輸入しました。出産や老犬のこと。家族として大切に育てています。

叶えられなかった夢もあった。。。

2018年11月24日 | Weblog

私がイタリアングレーハウンドという犬種を知ったのは約20年ほど前でした。当時は JKCでの登録も100頭を少しこえるくらい。IGを繁殖しているブリーダーも少なくて、子犬が生まれた~という情報があったとき・・まごまごしていると、手に入らない時代でした。私はこの犬種が欲しくて欲しくて~ 何件かのブリーダーさんと電話やファックスでやり取りをして(メールなどない時代です)やっと最初の子を手に入れました。めずらしくて手に入らないからと、どんな子でも良いわけではなく こだわりました。当時のブリーダーさん達は、どの方々も随分と前にお辞めになっています。ブリーダーは、続かないんですよ。続けられないでしょう。

そうしてイタグレを知っていくうちに、私はヨーロッパのイタリアングレーハウンドに魅せられました。当時は日本のIGは、アメリカタイプが90%以上を占めていました。国内には、私が目指しているIGはいませんでした。ですから、私が好きになったヨーロッピアンを創るためには、ヨーロッパから輸入するしかありませんでした。ちょうどパソコンも普及してきた頃で、私は毎日、ヨーロッパのブリーダーさんのH・Pを調べまくり~その中で、私の好みのIGを見つけました。そして初めての個人での輸入でしたので失敗しないようにと。東京の輸入業者を探し出して、直接会いに行って輸入の代行をお願いしました。

現在は、成田動物検疫所の H・Pに、詳しく輸入までのプロセスが書かれています。図式でも説明されていて分かりやすくなりました。しかし15年前は詳しく書かれておらず、今よりももっと分かりにくい、闇の世界でした。狂犬病を恐れてチェックが厳しかったです。

当時の輸入犬は全頭、成田の動物検疫所に2週間以上の係留が義務付けられていました。係留のためのホテルのゲージを、予約しなければ満杯になるので入国できませんでした。。代理業者は、結構ルーズな人でした。ホテルの予約をしていなかったので、最初の予定日に輸入できませんでした。それから新たに予約を入れ、書類も日付等を書き換えて作成しなおしました。飛行機の便も、観光ではなく輸入物扱いとなるので厳しくて、航空会社が発行する証明書・エアウェイ・ビル を申請しなおしました。私は長く待たされてイライラすることもありました。しかし、予定よりもずいぶん遅れましたが~無事に最初のIGが来てくれました。 ↓

 

15年前に来日の、ロナルド君です。ポーランドCHです。CH完成後で、このとき3歳でした。パソコンが何度も壊れて買い代えたので、古い写真が消えてしまいました。これはH・Pからコピーしました。

ロナの写真を探しているうちに、めずらしい写真を見つけました ↓

ロナ君の写真は、ほとんど消えてしまったのですが・・奇跡的に見つかりました。2006年・庭で撮った写真です。彼は2000年生まれですから、このとき6歳です。ロナルドは、骨格がしっかりいていて骨太でした。彼のお陰で、イノセントの子たちは、骨太で丈夫な骨格の子が生まれるようになりました後方にいるのはバービィです(亡くなっています)もちろんロナ君も亡くなっています。生きていれば18歳だったのですね。

ロナルドを迎えた頃は、ショーに参加させていただくなんて、全く考えていませんでした。今まで、交配を頼んでいたIGの男の子が良くなかったので そんなに好きでもない子の血液に、高いお金を払うことがイヤになったからです。それを繰り返すくらいなら、自分で輸入しよう と行動しただけです。

ロナルドの子供が生まれるようになってから、繁殖だけではもったいないな・・と考えるようになり、ショーに出させていただくようになりました。ロナの走りは、ゴムまりのように軽やかで 足がよく上がっていました。そして、ロナ君を迎えてから3年後~2匹目の男の子・エニオ君が来ました。

この子は、細おもてで美しいラインをしていました。見るからに⇒外人(犬)という雰囲気でしたね。1匹目の輸入で、代理業者に不信感を持った私でした。血統書を、外国犬の血統書から日本の血統書に移す行為をしないまま逃げてしまった人でした。

ロナ君の場合は、特別な事情があったのです。彼が生まれたのがフランスで、血統書はフランス国の発行~育ったのがポーランドです。つまりブリーダーも、ロナをフランスから輸入したわけです。JKCは、輸出国と、血統書の発行国が同じでなければ、日本での血統書は発行できないと・・頑として・・言い張りました。そんな理不尽なことを言われたら、生まれてくる日本での子犬たちの血統書も作れないのです。何のために苦労して輸入したのか(・・? このときのことが、私の一番の悩み&悲しみでした。でも、あきらめませんでした。

何度もJKCを説得しました。ブリーダーさんからの英文(レジデンスを刻印しているのでOK)を何通もファックスで送りました。ヨーロッパでは血統書を、そのつど作り変える風習はありません。その説明や手続きも私が自分で行いました。それらのごたごたが解決するまで1年間かかりました。JKCも、のちにガゼットにそのことを書いています。私の例で、JKCの言い分が間違っていたことを認めてくれました。

私とのやり取りがあったあと、JKCはガゼットに、ヨーロッパ大陸から輸入した場合、血統書は新しい国で作り直さなくてもよいです。新国でのレジデンス・刻印が押されていればOK~です と掲げるようになりました。世界は広いです。色々な例を勉強して、誰もが前へ進んでいると思います。

エニオの輸入以降は、自分で直接先方様とやり取りをして輸入しました。英語は得意ではないけれど、通じました 接続詞などの文法は関係なく、単語や輸入の専門用語を並べた文章だけで、お互いに理解できました。ブリーダーさんは、日本で必要な手続きをこなしてくれて、私は必要書類の届出書を提出しました。そして~許可書が降り、エニオはスムーズに来日しました。すぐに日本での血統書も取得し、ショーにも参加しました。

夏場の北海道のショーを終えた後、本州のプロハンさんにお願いして JKC・CHを完成しました。エニオ・・若くて一番カッコいい時代(2歳)ですね。現在は11歳になりました。
 
そして、エニオの来日からさらに3年経ち~初めての女の子を輸入することになりました。ルクレチアです。この子は、生まれた時にH・Pに写真が出ていたので知ってはいましたが、すぐにピンとはきませんでした。でもその後、ご縁があって迎えました。
ビックサイトでのショーにも参加しました。この子は、今までの子たちとは身体つきが違っていました。ヨーロッパでも色々なタイプがあるんだなと教わりました。性格はおとなしくてビビリでした。ビビリな子って、心を許した人は大好きです。ストーカーになります。私がリードを引くと、よく動いてくれました。従順で可愛い子です。
ルクレチアは、ラッキーなことが重なって、ワンシーズンでJKC・CHを完成しました。あれよ・あれよ・・という間にカードをいただいて、私が一番ビックリしました。貴方は、ラッキーガールだね といつも話しかけました。
 
でもそのあと・・思いもよらぬ出来事が待っていました。 本題の、叶えられなかった夢の話です。
 
時間が来ました。続きます。
 
過去の写真を掘り出し、文章を考えながら書いています。 下の文字を押してくださいね。

 

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コメント (2)
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