先月渡英されていたあけぼの会のワット会長さんのエッセイに、「“がん”という言葉がイギリスでも“死”を連想させ、タブー視されていることを知って、ちょっと安心した。日本は決して遅れてはいない。やはり細心の注意を払って使われるべき言葉であることを再確認した。」とあった。また「10歳以下の年齢の子供を持つ日本のお母さんがたが、乳がんをどうわが子に伝えるか、考えさせられるテーマとポイントだと思ったが、いかがだろうか。」ともあった。
さらに先日、新聞社ネット配信の医療関係記事(末尾に引用)を見つけた。
確かに子供を持つ親にとって、親(自分なり配偶者)のがんをどう伝えるか、というのは大きな問題である。
私は息子が小学校3年生の終わりに乳がん患者になった。温存手術後に1ヶ月以上かけて25回の放射線治療を受けた。入院は18日、病気休暇は2カ月半にわたった。勘のいい子供ならば、母が毎日「放射線治療」に出かけている、と聞けば“がん?”という予想をするのかもしれないけれど、精神的に幼かった息子は何の疑いもしなかったようだ。
その2年後。息子が小学校6年生になってすぐ、今度は再発予防に飲んでいたホルモン剤・ノルバデックスの副作用で卵巣のう腫と子宮筋腫の摘出手術をした。主治医は乳がんの既往から卵巣への転移を疑った。もし悪性腫瘍であれば、卵巣・子宮の全摘に加え骨盤周りの広範囲リンパ節郭清を余儀なくされるところだった。
その当時、私からは息子に詳しくは言わなかったけれど、ちょうどその2か月前に「キッザニア東京」(3歳から15歳くらいまでの子ども向けの職業体験型テーマパーク。主要な80職種の模擬体験ができるようになっている。大人は、基本的に各パビリオン内には入れず、外から見学、または別室の保護者ラウンジで待機する。こどもが主役のこどもの街。)で医師になって内視鏡手術や開腹手術の経験をした息子は、私が内視鏡手術の適用ではなく開腹手術になることを聞いて、面白半分にお腹を切るところを実演してみせたりしていた。夫は「もしかしたらママは“がん”かもしれないんだよ。どうしてお前はそんな思いやりのないことが平気でできるんだ?」とお灸を据えたらしい。結局は良性だったので、良かったけれど。
それから1年経たずして。何度も書いているが、再発・転移が分かったのはちょうど息子の中学受験の真っ最中。とてもその渦中で冷静に病状を説明する時間の余裕などなかった。自分としてもこれからどう治療に向き合っていくのか、セカンドオピニオンも得なければならない等、まだ気持ちの整理がついていない状況では、とても言えなかったし、うまく説明する自信もなかった。しかし、これで再発治療が始まれば必ず脱毛や嘔吐等見た目に隠しきれない副作用が出るわけだし、入院することもあるだろうし、具合が悪くなるのも予想できたから、当然、近いうちにきちんと説明しなければ、と思っていた。
当時の息子は私が数年来がんを患っている、ということを針の先ほども疑ってもみなかったらしいから、当然優しい言葉などかけてくれはしなかったし、平気で私をイライラさせて楽しんでいた。親なら当然と言われるかもしれないが、私としては精一杯息子を慮って厳しい精神状況の中頑張っているつもりだったのに・・・と、息子の様子について友人にこぼすと、「一日も早く説明した方がいいよ。きっとちゃんと判るから。」と言われた。
その後、中学に通い始めた息子が新しい環境に少しでも慣れてから、せめて4月末の実力テストが終わったら話をしよう、と夫と相談の上、決めた。
そして、ゴールデンウィークが始まる前に3人で話した。どのくらい正確に私の状況が伝わったのかはわからないけれど、もう完全には治らないこと、これから少しでも長く君(きみ)が大きくなるまで見ていたいから、負けずにずっと頑張って治療をしていくけれど、それでもおばあちゃんになるまではおそらく生きられないであろうこと、を話したと記憶している。
当然、息子は私のひざに来てオイオイ泣いていたけれど、翌日にはもうケロッとして、買ったばかりの定期券をなくしてくるわ、お弁当箱を忘れてくるわ、生活態度は相変わらず酷いものだった。話をした後、唯一彼から出たとても判り易かった反応は「僕は、医者になってママのがんを治す薬を発明する。」というセリフが彼の口から出たこと。
だけど、今の成績と勉強態度は一体どうなっちゃっているの、という体たらくであるが。
以下、朝日新聞社ネット配信の7月28日付ブログ記事(アピタル編集部 田之畑仁)の抜粋を載せさせて頂く。
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『親ががんになったとき 子どもをサポートする方法を学ぶ』という講演会を紹介していました。その講演会の、報道関係者向けセミナーが東京都内でありましたので、参加してきました。米国のがん専門病院のスタッフであるマーサ・アッシェンブレナーさんと、東京共済病院の医療ソーシャルワーカーである大沢かおりさんが講演しました。
マーサさんも大沢さんも、ともに乳がんの経験者。「親ががんになったら、できるだけありのままを子どもに伝えよう」と訴えるこの活動を進めているのは、自らの経験によるところが大きいといいます。
マーサさんの肩書は「チャイルド・ライフ・スペシャリスト」。病院に入院している子どもたちの心のケアを行うのが仕事です。ところが39歳で乳がんになり、4歳の子どもを抱えるシングルマザーだったマーサさんは、自分を支えてくれる情報があまりに少ないことに気付きます。今から15年前のことです。
がんになった「子どものいる親」に対するサポートの充実が必要だと考えた彼女は、乳がんから快復すると、がんと診断された親とその子どもを支える活動を始めます。KNIT(Kids Needs Information Too:ニット)と名付けられた活動は、その後の十数年で世界中に少しずつ広がり、「どうすれば子どもを怖がらせずに、自分ががんであることを伝えられるか」といったノウハウの蓄積を進めています。
がんと診断されたとき、マーサさんは「子どもに3つの『C』を伝える」ことを訴えています。
1つ目の「C」は「cancer(がん)」。自分ががんであることを隠さず、正確に伝えることで、子どもとの間に本当の信頼関係が生まれると説きます。子どもは、ほんの些細なことであっても親の変化を見逃しません。親ががんを隠そうとすれば、何かおかしいと感じた子どもは親に不信感を持ちます。それは絶対に避けなければならない、というのがマーサさんの考えです。
2つ目は「catchy」。うつる、伝染する、という意味です。多くのがんは伝染する病気ではありません。しかし、周囲の無知によって、いわれのない不当な扱いを受けることが、現実には起こりえるそうです。「がんは、うつらない」。当たり前のことですが、あらためて正しく伝えることが、偏見や中傷から子どもを守ることにつながるといいます。
最後は「caused(~が原因となる)」。これは、子ども特有の考え方に基づく「誤解」を避けようというものです。
がんは誰もがかかる可能性のある病気です。遺伝子の影響や、がんの種類によっては喫煙や飲酒などによってかかるリスクが変化することは現実としてありますが、だからといってがんになったことが「誰かのせい」だとは、普通は考えません。
ところが、子どもの場合は必ずしもそうではないようです。もっとも極端な場合、親ががんになったのは自分のせいだ、と思い込んでしまうケースもあるというのです。
「親や子どもがしたこと、または、しなかったことと、今回のがんとは何の関係もない」。がんになった親は、まず、このことを子どもにはっきりと伝える必要がある。マーサさんはそう強調していました。
大沢さんたちが全国の医療関係者を対象に行ったアンケートによると、「がんになった親を持つ子どもを支援するべきか」という質問には、「するべき」「できるだけするべき」を合わせると95%が肯定的な回答を寄せています。
しかし一方で、実際に支援しているかどうかについては、していないという回答が「まったく」「ほとんど」を合わせると78%を占めていました。理由としては「方法がわからない」「自信がない」「家族のことまでは関与できない」「時間がない」「サポート体制がない」という意見があったようです。
さて、セミナーの最中、私はずっと不思議に思っていたことがありました。「そもそも、がんになった親はなぜ、そのことを子どもに隠すのか」という、ある意味、根本的な疑問です。
例えば性感染症であれば、「子どもには言いたくない」という気持ちもわからなくはありません。また、生命にかかわらない病気であれば、本当は良くないにしても「気付かれない範囲で、とりあえず子どもには黙っておこう」という感情がわいてきても、まあ理解できます。
がんはどちらにも当てはまりません。では、なぜ?
「母親の乳がん」という条件付きですが、確かに「隠されていることが多かったそうです」とあります。
もし私ががんと宣告されたら、子どもには正直に話すと思います。恥じる必要もなければ、隠す必要もない。もし残された時間が限られているとすれば、お互いに有意義な時間を過ごすためには、なおさら話すと思いますが、考えが甘いのでしょうか?
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もちろん、上で書かれているように恥じる必要もなければ隠す必要もない、というのはよくわかる。ただやはり話すタイミングは絶対に必要だ、と思う。説明する本人なりもう一人の親である配偶者が事実を消化し、治療方針や予後等についてきちんと自分の言葉に出来るまで理解していない状況ではとても子供に伝えることはできない、と思う。だからこそ、伝える方が事実を事実として受容できた段階になってからしか子供に話はできないのではないか。もちろん“がん”という病気が突然の死を意味しないこと、説明に要する時間的な余裕はあるから、という側面もあるが。
そして子供から「ぼくのせい?ぼくが悪かったの?」と聞かれたときに「そんなこと絶対ないのよ。」と言ってぎゅっと抱きしめてあげなければならないのもよくわかっている。 が、あまりに日々いろいろイライラさせられると、思わず「こうしてイライラさせられるのが一番病気に良くないということがわからないの?」と言ってしまう。
人間が出来ていないことに毎度落ち込む私である。
さらに先日、新聞社ネット配信の医療関係記事(末尾に引用)を見つけた。
確かに子供を持つ親にとって、親(自分なり配偶者)のがんをどう伝えるか、というのは大きな問題である。
私は息子が小学校3年生の終わりに乳がん患者になった。温存手術後に1ヶ月以上かけて25回の放射線治療を受けた。入院は18日、病気休暇は2カ月半にわたった。勘のいい子供ならば、母が毎日「放射線治療」に出かけている、と聞けば“がん?”という予想をするのかもしれないけれど、精神的に幼かった息子は何の疑いもしなかったようだ。
その2年後。息子が小学校6年生になってすぐ、今度は再発予防に飲んでいたホルモン剤・ノルバデックスの副作用で卵巣のう腫と子宮筋腫の摘出手術をした。主治医は乳がんの既往から卵巣への転移を疑った。もし悪性腫瘍であれば、卵巣・子宮の全摘に加え骨盤周りの広範囲リンパ節郭清を余儀なくされるところだった。
その当時、私からは息子に詳しくは言わなかったけれど、ちょうどその2か月前に「キッザニア東京」(3歳から15歳くらいまでの子ども向けの職業体験型テーマパーク。主要な80職種の模擬体験ができるようになっている。大人は、基本的に各パビリオン内には入れず、外から見学、または別室の保護者ラウンジで待機する。こどもが主役のこどもの街。)で医師になって内視鏡手術や開腹手術の経験をした息子は、私が内視鏡手術の適用ではなく開腹手術になることを聞いて、面白半分にお腹を切るところを実演してみせたりしていた。夫は「もしかしたらママは“がん”かもしれないんだよ。どうしてお前はそんな思いやりのないことが平気でできるんだ?」とお灸を据えたらしい。結局は良性だったので、良かったけれど。
それから1年経たずして。何度も書いているが、再発・転移が分かったのはちょうど息子の中学受験の真っ最中。とてもその渦中で冷静に病状を説明する時間の余裕などなかった。自分としてもこれからどう治療に向き合っていくのか、セカンドオピニオンも得なければならない等、まだ気持ちの整理がついていない状況では、とても言えなかったし、うまく説明する自信もなかった。しかし、これで再発治療が始まれば必ず脱毛や嘔吐等見た目に隠しきれない副作用が出るわけだし、入院することもあるだろうし、具合が悪くなるのも予想できたから、当然、近いうちにきちんと説明しなければ、と思っていた。
当時の息子は私が数年来がんを患っている、ということを針の先ほども疑ってもみなかったらしいから、当然優しい言葉などかけてくれはしなかったし、平気で私をイライラさせて楽しんでいた。親なら当然と言われるかもしれないが、私としては精一杯息子を慮って厳しい精神状況の中頑張っているつもりだったのに・・・と、息子の様子について友人にこぼすと、「一日も早く説明した方がいいよ。きっとちゃんと判るから。」と言われた。
その後、中学に通い始めた息子が新しい環境に少しでも慣れてから、せめて4月末の実力テストが終わったら話をしよう、と夫と相談の上、決めた。
そして、ゴールデンウィークが始まる前に3人で話した。どのくらい正確に私の状況が伝わったのかはわからないけれど、もう完全には治らないこと、これから少しでも長く君(きみ)が大きくなるまで見ていたいから、負けずにずっと頑張って治療をしていくけれど、それでもおばあちゃんになるまではおそらく生きられないであろうこと、を話したと記憶している。
当然、息子は私のひざに来てオイオイ泣いていたけれど、翌日にはもうケロッとして、買ったばかりの定期券をなくしてくるわ、お弁当箱を忘れてくるわ、生活態度は相変わらず酷いものだった。話をした後、唯一彼から出たとても判り易かった反応は「僕は、医者になってママのがんを治す薬を発明する。」というセリフが彼の口から出たこと。
だけど、今の成績と勉強態度は一体どうなっちゃっているの、という体たらくであるが。
以下、朝日新聞社ネット配信の7月28日付ブログ記事(アピタル編集部 田之畑仁)の抜粋を載せさせて頂く。
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『親ががんになったとき 子どもをサポートする方法を学ぶ』という講演会を紹介していました。その講演会の、報道関係者向けセミナーが東京都内でありましたので、参加してきました。米国のがん専門病院のスタッフであるマーサ・アッシェンブレナーさんと、東京共済病院の医療ソーシャルワーカーである大沢かおりさんが講演しました。
マーサさんも大沢さんも、ともに乳がんの経験者。「親ががんになったら、できるだけありのままを子どもに伝えよう」と訴えるこの活動を進めているのは、自らの経験によるところが大きいといいます。
マーサさんの肩書は「チャイルド・ライフ・スペシャリスト」。病院に入院している子どもたちの心のケアを行うのが仕事です。ところが39歳で乳がんになり、4歳の子どもを抱えるシングルマザーだったマーサさんは、自分を支えてくれる情報があまりに少ないことに気付きます。今から15年前のことです。
がんになった「子どものいる親」に対するサポートの充実が必要だと考えた彼女は、乳がんから快復すると、がんと診断された親とその子どもを支える活動を始めます。KNIT(Kids Needs Information Too:ニット)と名付けられた活動は、その後の十数年で世界中に少しずつ広がり、「どうすれば子どもを怖がらせずに、自分ががんであることを伝えられるか」といったノウハウの蓄積を進めています。
がんと診断されたとき、マーサさんは「子どもに3つの『C』を伝える」ことを訴えています。
1つ目の「C」は「cancer(がん)」。自分ががんであることを隠さず、正確に伝えることで、子どもとの間に本当の信頼関係が生まれると説きます。子どもは、ほんの些細なことであっても親の変化を見逃しません。親ががんを隠そうとすれば、何かおかしいと感じた子どもは親に不信感を持ちます。それは絶対に避けなければならない、というのがマーサさんの考えです。
2つ目は「catchy」。うつる、伝染する、という意味です。多くのがんは伝染する病気ではありません。しかし、周囲の無知によって、いわれのない不当な扱いを受けることが、現実には起こりえるそうです。「がんは、うつらない」。当たり前のことですが、あらためて正しく伝えることが、偏見や中傷から子どもを守ることにつながるといいます。
最後は「caused(~が原因となる)」。これは、子ども特有の考え方に基づく「誤解」を避けようというものです。
がんは誰もがかかる可能性のある病気です。遺伝子の影響や、がんの種類によっては喫煙や飲酒などによってかかるリスクが変化することは現実としてありますが、だからといってがんになったことが「誰かのせい」だとは、普通は考えません。
ところが、子どもの場合は必ずしもそうではないようです。もっとも極端な場合、親ががんになったのは自分のせいだ、と思い込んでしまうケースもあるというのです。
「親や子どもがしたこと、または、しなかったことと、今回のがんとは何の関係もない」。がんになった親は、まず、このことを子どもにはっきりと伝える必要がある。マーサさんはそう強調していました。
大沢さんたちが全国の医療関係者を対象に行ったアンケートによると、「がんになった親を持つ子どもを支援するべきか」という質問には、「するべき」「できるだけするべき」を合わせると95%が肯定的な回答を寄せています。
しかし一方で、実際に支援しているかどうかについては、していないという回答が「まったく」「ほとんど」を合わせると78%を占めていました。理由としては「方法がわからない」「自信がない」「家族のことまでは関与できない」「時間がない」「サポート体制がない」という意見があったようです。
さて、セミナーの最中、私はずっと不思議に思っていたことがありました。「そもそも、がんになった親はなぜ、そのことを子どもに隠すのか」という、ある意味、根本的な疑問です。
例えば性感染症であれば、「子どもには言いたくない」という気持ちもわからなくはありません。また、生命にかかわらない病気であれば、本当は良くないにしても「気付かれない範囲で、とりあえず子どもには黙っておこう」という感情がわいてきても、まあ理解できます。
がんはどちらにも当てはまりません。では、なぜ?
「母親の乳がん」という条件付きですが、確かに「隠されていることが多かったそうです」とあります。
もし私ががんと宣告されたら、子どもには正直に話すと思います。恥じる必要もなければ、隠す必要もない。もし残された時間が限られているとすれば、お互いに有意義な時間を過ごすためには、なおさら話すと思いますが、考えが甘いのでしょうか?
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もちろん、上で書かれているように恥じる必要もなければ隠す必要もない、というのはよくわかる。ただやはり話すタイミングは絶対に必要だ、と思う。説明する本人なりもう一人の親である配偶者が事実を消化し、治療方針や予後等についてきちんと自分の言葉に出来るまで理解していない状況ではとても子供に伝えることはできない、と思う。だからこそ、伝える方が事実を事実として受容できた段階になってからしか子供に話はできないのではないか。もちろん“がん”という病気が突然の死を意味しないこと、説明に要する時間的な余裕はあるから、という側面もあるが。
そして子供から「ぼくのせい?ぼくが悪かったの?」と聞かれたときに「そんなこと絶対ないのよ。」と言ってぎゅっと抱きしめてあげなければならないのもよくわかっている。 が、あまりに日々いろいろイライラさせられると、思わず「こうしてイライラさせられるのが一番病気に良くないということがわからないの?」と言ってしまう。
人間が出来ていないことに毎度落ち込む私である。