ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.8.30 最期のとき

2010-08-30 06:03:07 | 日記
 先日プチ虹のサロンのSさんとお電話でお話した時のこと。Sさんはその日、通っておられる病院の患者仲間で、お姉さんのように慕っていた方の告別式に行かれたのだという。
 私が出した抗がん剤上乗せの治療変更で・・・という甘ったれメールに、告別式の帰りだというのに返事をくださった。

 私はまだ患者会に入ってから1年ほどしか経っていないし、初発時に通っていた病院でも、今現在通っている病院でも友人関係にある方はいないので、友人としての患者を見送ったことは、まだない。

 唯一、初発から半年後の初めての骨シンチ検査のとき、2時間ほど待ち時間をご一緒した5,6歳年上のKさんと年賀状のやりとりだけはしている。私が再発したという連絡をした後、1年ほどして彼女も再発した、と伺った。お母様の介護もしながら、なかなか自分の通院に時間が割けなくて・・・、とおっしゃっていた。メールをなさらないので、気にはなっているが、いきなりお電話するのも、と、どうしてもご無沙汰状態になってしまっている。 乳がん患者であるとともに子育て中の母だったり、子育ては卒業しても親の介護の担い手である年齢層なのだなあ、と改めて思う。

 通院している曜日にもよるのかもしれないけれど、今、処置室(化学療法室)にいらっしゃる方は、見た感じ年齢層が高いし、いきなりお声をかけるのも憚られる。入院中同室だった、などということでもない限り、なかなかお友達関係になるのは難しいだろう。
 看護師さんは「出来れば院内の患者会を作りたいと考えているのだけれど・・・」というお話をされていたが。

 今は腫瘍内科に通っているので、処置室におられるのは、みな再発・進行がん患者ということになるのだが、患者さんたちは乳がん患者に限ったわけでないので、当然のことながら男性患者さんも半分くらいいらっしゃる。
 幸か不幸かだんだん耳年増になってきており、点滴薬の確認等をカーテンの隣で看護師さんがお話されていると、ああ、この方は同じ部位だな、骨転移だなとか、この方はおそらく大腸がんだな、とかわかってきてしまう。

 それにしても、友人としての患者を送らなければいけない気持ちというのは如何ばかりだろう。
 患者会でお会いする皆さんは本当に前向きで元気なので、ふと、死を予感させる病である、ということを忘れてしまうことがある。でも、やはりそうではないのだ、と思い知らされた。

 Sさんがおっしゃるには、葬儀のときには涙していた友人たちが、その後のお食事会では、故人との楽しかった思い出話で歓談されていたのを見て、とても辛かったとのこと。そして、その席で「同じ病を持つ患者として頑張っておられる姿をとても力強く思っていたのに、その人が逝ってしまったということがあまりに辛くて(とても歓談など出来ない)」という思いを吐露しつつ、涙してしまったそうだ。泣き崩れるSさんの姿を見て、それまで歓談していた友人たちは、言葉をなくしたという。
 「患者からこんな台詞が出てしまうと、健康な人たちには、患者に対してかける言葉がもはや何もないのだ、ということを痛感した。」とSさんは話されていた。
 亡くなったМさんはまだ51歳の若さだったそうだ。遺されたお母様が「娘の本当の気持ちは自分も最期までわかってあげられなかったかもしれない。同じ病気をされている貴女の方がわかってくださっているのでしょう。」とおっしゃっていたという。

 アクティブで頑張り屋さんで、弱音を一切吐かない方で、一体この人は泣くことなどあるのだろうか、と思うほどだったそうだ。
 脳転移の後、開頭手術を受け腫瘍摘出に成功し、後遺症も出ずに治療を続けていたそうだ。その後、骨転移で神経まで腫瘍が達し、車いす生活になってからも、筋力が衰えないようにとリハビリに励んでいたという。ラパチニブが奏功し、リハビリも功を奏し、突然、杖で歩けるようにまでなったのだという。
 お子さんはいらっしゃらなかったが、ご夫婦で海外旅行も楽しみ、今年の4月からは転院して入院中だったというが、Sさんが8月初めにお見舞いに行かれたとき、「8月中は暑いから、涼しい病院にいるつもり」とおっしゃっていたという。
 それでもその時のすがるような眼が忘れられないという。結局それが最後になってしまったそうだ。
 その後、メールをすればいつもその日のうちにレスがあるのに、おかしいな、とは思っていたけれど、翌々日、ご主人からメールが届いたときには(名字が同じなので、Мさんご本人からのものだと思って)「悲しいお知らせがあります」という意味が一瞬飲み込めなかったそうだ。

 最期はモルヒネの量を増やし、このまま明日の朝は目が覚めないでしょう、と言われながら、まだ若く、心臓が耐えられたため、朝になると目が覚めて手も動き・・・と、3日間そんな日が続いたという。
 そして4日目の朝、ついに目覚めなかった、と伺った。

 自分の最期は一体どうなるのだろう、とSさんとお互いに不安な気持ちを話しながら、(ああ、こんな話は本当に他の人とは絶対に出来ないな・・・)としみじみ思った。
 自分の命の砂時計が、刻々と静かに、けれど間違いなく砂を落とし続けていて、そのひたひたとした速さを感じる。
 誰しも命の砂時計を背負っているのは同じこと。考えすぎ・・・かもしれないけれど。

 お会いすることはなかったけれど、最期まで果敢に治療を続けられたМさんに敬意を表すとともに、そのご冥福を心よりお祈りしたいと思う。

 昨夕、合唱練習の帰り道、乗換駅のフラワーショップで濃いブルーの薔薇とかすみ草のアレンジメントを見つけた。とても珍しくあまりに綺麗だったので、買ってきて食卓に飾ってみた。生花があるとやっぱりいいな、と思う。

 今週も残暑はまだまだ続くようだが、体調管理をしながら夏バテしないよう、頑張りすぎず過ごしていこう。
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