昨夜は美味しい食事に大満足で部屋に戻った。ところが、調子に乗って食べ過ぎたのか、どんどん気持ちが悪くなってきた。ブログをアップし終えた時にはかなり悪化。前の晩は就寝前、母に軽くマッサージをして(一応均整術師である。)、気持ち良かった~と言われたので、昨夜もやってあげたかったのだけれど、下を向くだけで胃液がせりあがってくる感じでとても無理そう。
母が「あなたも疲れているから・・・」と遠慮するのをいいことに勘弁してもらう。
だましだまし入浴を終えてベッドに行くと、さすがに歩き疲れたのだろう、母は既にすやすやと眠っている。
電気を消して横になるが、気持ち悪さが一向に収まらない。治療後でもないのにこの吐き気はなんだろう?という苦しさ。右を向いても左を向いても生唾がこみ上げてきて辛い。ベッドの上で悶々とすること2時間以上。かつて記事にしたトラウマ、“丑三つ時Wの悲劇”が頭をよぎる。
日付が変わってからお通じがあり、下痢でもなかったので、少しつかえが降りたかと思ったけれど、その後1時間以上眠れなかった。
吐いてしまった方がすっきりするかと思うが、そこまでではない。母がたてる寝息や鼾でなんだか気分が滅入る。起き出してナウゼリンを飲もうかと逡巡しているうちに何とか眠ったようだ。
4時間半ほど眠ったところでお手洗いに目が覚める。相変わらず気分はすっきりしない。胃が重くて痛い。
ぐずぐずしているうちに、土曜日仕様の目覚ましが鳴る。さすがに母はたっぷり眠ったと見えて、洗顔も終えて静かにしていた。
夜中にかなり具合が悪かったことを話して、ベッドに暫し張り付いて様子見してから浴槽足湯を準備する。
テレビでは恒例箱根駅伝の中継が始まり、それを横目で見ながらのろのろと準備。夫から電話がかかってきて状況を報告する。特に急ぐ予定があるわけでもないし、レイトチェックアウトも出来る。
結局、ホテルを出て近くのファミレスに入ったのは、モーニングサービスの時間内ではあったけれど、朝食というよりもブランチのような時間になってしまった。
皆お腹を空かしてバランスの良いセットメニューを注文しているが、私はあまり食欲がない。空腹ではあるけれど、胃が痛くて重いし、吐き気も残っている。ナウゼリンを飲み、スープとジュース、パンケーキだけ頂いてもう十分。
部屋に戻り、パッキングを済ませお昼前にチェックアウトした。
今日もいいお天気だ。年末年始は寒波だと覚悟していたけれどそれほどの寒さでもない。昨日と同じJRの駅までぶらぶらと歩き、水上バスに乗る。ちょうどお昼にかかったせいか、前の便と時間が空いたため、結構な人たちが並んだ。都知事が政府に緊急事態宣言要請というニュースを目にして、なんとなく後ろめたい気分になる。
青空に青い海、気持ち良い筈なのに、気分が優れない。笑顔にもなれないし、喋る元気もない。そんな状態で船に揺られるのはよろしくないのだけれど、チケットも買ってしまった。少しでも空気の良い場所で、と屋外席に座ったがガソリンの匂いと揺れで思わずバッグの中のビニール袋を探す始末。
直行便なら目的地まで15分だけれど、途中1か所に停船するため30分の船旅である。
定刻通り終点に到着。隣接する埠頭には、巨大なガンダムファクトリーが見える。当日券が買えるようだったけれど、入場しなくとも正面からではなければ動くところも見られたようで、息子はしっかり動画を撮ってきていた。それにしても凄いものが出来たことだ。
その後は、夫の好きな中華街と元町を散策。
「お腹が空いた」と言うのは“今日も元気だ、ご飯が美味い”の夫。痛みと吐き気が再燃している私は「昼食はやめておく。」と言う。母も息子も朝しっかり食べたし、まだ空腹ではないとのこと。それに甘えてお茶もせずにひたすら散策。それから電車に乗ってホテルに戻り、預けた荷物をピックアップ。
ホテルを出てから3時間ほど、水上バスと電車に乗っていた以外はほぼ歩きっぱなし。2日前にチェックインしてからちょうど48時間が経過していた。座って帰るために徒歩圏内にあるJRの始発駅まで、完成後まだ半年しか経過していない市庁舎を見ながら歩いた。
電車が動き出したら寝不足のせいか眠くてたまらない。あっという間にこっくりこっくりしてしまう。母は終点まで、私たちは途中駅で下車だ。
乗り換え駅のベーカリーでおやつのパンを購入し、自宅最寄り駅には明るいうちに戻ってこられた。帰宅すると、ちょうど母から「今着い。」との電話があった。無事で良かった。
大車輪で洗濯機を廻し、ナウゼリンを飲んでからお茶とパンを少しお腹に入れてミヤBMを飲む。やはり調子が悪いし、かなり疲れていて、眠い。夫が焼肉を準備してくれたけれど、相変わらず胃が重く痛む。食卓には着いたものの殆ど食べることができず息子にお任せ。換気扇全開にしても家じゅうが肉の油臭でちょっと辛いことになっている。
明日には息子が帰阪する。私も明後日からは仕事始めである。何より水曜日には治療が控えている。それまでにしっかり体調を戻さなければ。そして早く休まなくては・・・。
母が「あなたも疲れているから・・・」と遠慮するのをいいことに勘弁してもらう。
だましだまし入浴を終えてベッドに行くと、さすがに歩き疲れたのだろう、母は既にすやすやと眠っている。
電気を消して横になるが、気持ち悪さが一向に収まらない。治療後でもないのにこの吐き気はなんだろう?という苦しさ。右を向いても左を向いても生唾がこみ上げてきて辛い。ベッドの上で悶々とすること2時間以上。かつて記事にしたトラウマ、“丑三つ時Wの悲劇”が頭をよぎる。
日付が変わってからお通じがあり、下痢でもなかったので、少しつかえが降りたかと思ったけれど、その後1時間以上眠れなかった。
吐いてしまった方がすっきりするかと思うが、そこまでではない。母がたてる寝息や鼾でなんだか気分が滅入る。起き出してナウゼリンを飲もうかと逡巡しているうちに何とか眠ったようだ。
4時間半ほど眠ったところでお手洗いに目が覚める。相変わらず気分はすっきりしない。胃が重くて痛い。
ぐずぐずしているうちに、土曜日仕様の目覚ましが鳴る。さすがに母はたっぷり眠ったと見えて、洗顔も終えて静かにしていた。
夜中にかなり具合が悪かったことを話して、ベッドに暫し張り付いて様子見してから浴槽足湯を準備する。
テレビでは恒例箱根駅伝の中継が始まり、それを横目で見ながらのろのろと準備。夫から電話がかかってきて状況を報告する。特に急ぐ予定があるわけでもないし、レイトチェックアウトも出来る。
結局、ホテルを出て近くのファミレスに入ったのは、モーニングサービスの時間内ではあったけれど、朝食というよりもブランチのような時間になってしまった。
皆お腹を空かしてバランスの良いセットメニューを注文しているが、私はあまり食欲がない。空腹ではあるけれど、胃が痛くて重いし、吐き気も残っている。ナウゼリンを飲み、スープとジュース、パンケーキだけ頂いてもう十分。
部屋に戻り、パッキングを済ませお昼前にチェックアウトした。
今日もいいお天気だ。年末年始は寒波だと覚悟していたけれどそれほどの寒さでもない。昨日と同じJRの駅までぶらぶらと歩き、水上バスに乗る。ちょうどお昼にかかったせいか、前の便と時間が空いたため、結構な人たちが並んだ。都知事が政府に緊急事態宣言要請というニュースを目にして、なんとなく後ろめたい気分になる。
青空に青い海、気持ち良い筈なのに、気分が優れない。笑顔にもなれないし、喋る元気もない。そんな状態で船に揺られるのはよろしくないのだけれど、チケットも買ってしまった。少しでも空気の良い場所で、と屋外席に座ったがガソリンの匂いと揺れで思わずバッグの中のビニール袋を探す始末。
直行便なら目的地まで15分だけれど、途中1か所に停船するため30分の船旅である。
定刻通り終点に到着。隣接する埠頭には、巨大なガンダムファクトリーが見える。当日券が買えるようだったけれど、入場しなくとも正面からではなければ動くところも見られたようで、息子はしっかり動画を撮ってきていた。それにしても凄いものが出来たことだ。
その後は、夫の好きな中華街と元町を散策。
「お腹が空いた」と言うのは“今日も元気だ、ご飯が美味い”の夫。痛みと吐き気が再燃している私は「昼食はやめておく。」と言う。母も息子も朝しっかり食べたし、まだ空腹ではないとのこと。それに甘えてお茶もせずにひたすら散策。それから電車に乗ってホテルに戻り、預けた荷物をピックアップ。
ホテルを出てから3時間ほど、水上バスと電車に乗っていた以外はほぼ歩きっぱなし。2日前にチェックインしてからちょうど48時間が経過していた。座って帰るために徒歩圏内にあるJRの始発駅まで、完成後まだ半年しか経過していない市庁舎を見ながら歩いた。
電車が動き出したら寝不足のせいか眠くてたまらない。あっという間にこっくりこっくりしてしまう。母は終点まで、私たちは途中駅で下車だ。
乗り換え駅のベーカリーでおやつのパンを購入し、自宅最寄り駅には明るいうちに戻ってこられた。帰宅すると、ちょうど母から「今着い。」との電話があった。無事で良かった。
大車輪で洗濯機を廻し、ナウゼリンを飲んでからお茶とパンを少しお腹に入れてミヤBMを飲む。やはり調子が悪いし、かなり疲れていて、眠い。夫が焼肉を準備してくれたけれど、相変わらず胃が重く痛む。食卓には着いたものの殆ど食べることができず息子にお任せ。換気扇全開にしても家じゅうが肉の油臭でちょっと辛いことになっている。
明日には息子が帰阪する。私も明後日からは仕事始めである。何より水曜日には治療が控えている。それまでにしっかり体調を戻さなければ。そして早く休まなくては・・・。