ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2017.10.12 元気と勇気と幸せに包まれて~ドリーム~

2017-10-12 23:04:22 | 映画
 標題の映画を観た。一言で言えば、観て良かった。なにより元気になった。次々とやってくるハードルを、しなやかに肩肘張らずに自らの実力で鮮やかにクリアした主人公たちに脱帽だ。

 原題はHidden Figures。いわば表舞台に立つことなかった縁の下の力持ち、隠れた主役という意味だろうか。
 舞台は1961年に遡る。ちょうど私が生まれた年である。半世紀ちょっと前のことだ。ここでいきなり親近感を持つ。
 その頃、南部ヴァージニア州では悪名高き人種隔離政策がまかり通っていたという。そのせいだろうか、遠い昔「アンクルトムの小屋」で読んだような、遠い遠い人種差別ありき、の時代に引き戻されたような錯覚に陥った。

 宇宙への有人飛行を目指しているという時代に、有色人種はバスの後部座席にしか座れず、図書館の利用だって制限されている・・・という、ナンセンスな差別が当然のこととして横たわっているのだ。
 ところが、NASAの宇宙計画という、言い換えれば科学技術の真髄のような舞台裏で、有色人種の、しかも女性たちがこんな素晴らしい役割を果たしていたというのだ。これまであまり表に出てこなかった事実を知ることが出来て、とても幸せな気持ちになった。

 主役である3人の女性たちはキャサリン、ドロシー、キャシー。数学の天才、キャサリンが中心に物語は進む。夫に先立たれ、3人の娘と母親との5人暮らしだ。彼女はその優秀さ故に宇宙開発本部の計算係に大抜擢されるのだけれど、その職場たるやあんまりなことが当然のように立ちはだかる。“Colored”のお手洗いは片道800メートル離れた別棟にいかないと存在すらしない。1往復するだけで一体何分かかることか。それもハイヒールを履いて、計算する一分一秒も惜しいから大量の書類を抱えたままで。「お手洗いはどこ?」と聞いた時に「有色人種用は知らないわ」と言い放つ女性職員。皆、そのことがどれだけ異常であることに気づくことすらない。これにはちょっとした既視感があった。もともと男子校だった高校で、男性用に比べて女子用お手洗いがとても少なく不便な場所にあったことを。

 根をつめた仕事の合間、疲れて一息口にしようとするポットの珈琲すら別にされる理不尽の嵐。それでもキャサリンは声を荒立てぶち切れたりしない。傘も差さずにびしょ濡れでお手洗いを往復して、ケビン・コスナー演じる気難しい上司から「君には期待しているのに、1日に何故40分も離席しているのか」といわれたときにはさすがに魂が震えるような主張をしていたけれど。皆、あえて見ないものは見えない。気付かないのだ。

 実際には管理職の仕事をさせられながら、非常勤扱いのドロシーは、先見の明がある。コンピュータの導入とともに、自分たち有色人種の計算係が必要なくなることを見越し、プログラムを独学し、仲間たちの仕事を守るとともに管理職としての地位をもぎ取っていく。ここで使われているプログラムがFORTRUN。これにもまた親近感。

 というのも35年以上前、大学で情報処理の講義を受けた時に使ったプログラムが他でもないこのFORTRUNだったのだ。構内の奥の方に目立たない感じでひっそりと建っていた情報処理施設。そこに何枚かの穿孔カードを持って緊張して出向いたのが、思えば私のコンピュータデビューだった。当時、SEは文理問わず女性が活用してもらえる職業だといわれた時代だったから、就職活動ではちょっとそんな企業も覗いてみたものの、あまり向いていないことがわかり、早々に撤退したということもあったっけ。

 3人目のキャシーは、理解ある夫や子供にも恵まれ、裁判所に嘆願書を出して、これまで白人男性しか受講することの出来なかった夜間専門プログラムに門戸を開かせ、学位を取得。これまた黒人女性初の航空宇宙科学エンジニアとなるガッツのある女性。彼女の「ようやく(夢が)叶いそうになるたびに、その目標を遠ざけられる」という言葉には胸が締め付けられた。

 寸暇を惜しんで仕事に励み、決して諦めることなく自己実現を目指す彼女たち。次々に立ちはだかる壁のあまりの理不尽さに、目頭が熱くなるシーンは多々あったけれど、暗さやジメジメしたところはなく、とてもカラリと明るいのはなぜだろう。彼女たちが常に前向きであり、その時その時に出来るベストを尽くすバイタリティとそのバックボーン(ここでは支えてくれる友人や家族たち)の幸福度の賜物なのか。

 映画の後半、(完璧な筈のコンピュータの計算よりも)キャサリンの力を借りに白人男性の上司や同僚が、“有色人種の労働者たち”が集められた別棟への遠い道のりを走る場面がある。彼らはキャサリンが日々お手洗いに行くために往復していた距離をそこで初めて知ることになる。けれど、“ハイヒールを履いて”“毎日我慢をしながら何度か繰り返す”という往復がどれほどのことだったか、一度や二度走ってみたところで決して理解できないだろうとも思う。

 また、気難しい上司が「これからは毎日残業してもらう。奥さんにその旨電話せよ。」と部下たちに指示をし、皆が電話をかける場面。キャサリンは、娘たちの世話を同居する母親(娘たちにとってはおばあちゃん)に任せられることで仕事に打ち込むことが叶った。
 けれど、こうした状況で「家族のケアをしなければならないから・・・」と職場を離れざるを得なかった女性たちが一体どれだけ沢山いたことか。いや、今もなおいるだろうことを想うと息苦しくなる。

 キャサリンは40歳を過ぎて二度目の伴侶を得て、その後56年もの長きにわたり結婚生活を送ったというけれど(現在99歳でご健在だ。)、その結婚祝いとして上司からパールのネックレスをもらい、それを身につけて結婚式に臨む。ここでもまた真珠が誕生石の私は親近感。けれど、その伏線には職場の服装規程にはアクセサリーはパールのネックレスだけ、とあり、黒人の給料ではとても買えないというキャサリンの台詞が哀しかった。

 と、書き出すとあれこれ気になってきりがない(そのくらいあれこれ良く出来ていた)のだけれど、もう一度見てもきっとまた元気が湧いてくること間違いなしの作品だ。
 一人で先に観てしまったけれど、二回目は夫と一緒に観てもいいかな、と思っている。お薦めです。

コメント
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