お父さんのマリポタ日記。
マリノスのこと、ポタリングのこと。最近忘れっぽくなってきたので、書いておかないと・・・
?



※島田荘司(1948年10月広島県生まれ。武蔵野美術大学卒業。1981年「占星術殺人事件」でデビュー。「斜め屋敷の犯罪」「異邦の騎士」などに登場する名探偵・御手洗潔シリーズや「寝台特急「はやぶさ」1/60秒の壁」「奇想、天を動かす 」などの刑事・吉敷竹史シリーズで人気を博す。1984年「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」、85年「夏、19歳の肖像」で直木賞候補



●ちょっとフェアじゃないかな

 ナチの収容所で生まれ育った世界的なバレリーナ、フランチェスカ・クレスパンが「スカボロゥの祭り」の公演中、前半を終えた休憩時間に控え室で殺害された。ところが死亡したはずのバレリーナは額から血を流しながらも後半も観客の前で踊り続けた。控え室はセキュリティが見張っており、クレスパン以外に出入りはなく、密室状態。頭を殴打した凶器も見つからない。一体何が起こったのか。20年経っても解決しない、奇妙奇天烈な謎に御手洗潔が挑む。

 久々の御手洗潔シリーズは600ページを超える超大作。単なる「密室」ものだけでなく、そこに「死者の踊り」という、とんでもなく魅惑的な謎が加わる。そしてナチ、ユダヤ、日本人。おとぎ話。まったく無関係にみえる事象が最後に繋がるなど、数多くのエピソードも読ませる。本筋に関係なさそうな物語やうんちくが今回もあるけど、それだけでも面白い。このあたりはさすがと思うのだけど、ただねぇ、ちょっと強引過ぎるというか、フェアじゃないかな。最大の謎が、そんなことだったの、それでいいのかいって感じ。だったらそれらしい伏線を張って欲しかった。

 「出エジプト」「バビロン捕囚」など受験勉強以来に出会う歴史用語もあって、懐かしさを覚えながらもこれが謎解きに繋がるのかとメモを取ったり、もしかして日本人とユダヤ人の繋がりが鍵になるのかと期待したんだけどね。「死者の踊り」にも科学的な解明がなされるとばかり思っていた。まあ、これは読者の勝手な思いなんだから裏切られてもいいんだけど、島田さんらしい切れ味がなかった気がする。ちょっとモヤモヤな感じですな。

 御手洗潔がストックホルム大学の教授というのは驚いたが、石岡役がハインリッヒさんになっていて、いっそう驚いた。

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 ようやく今年の話となります(^_^;

 1月4日に走り初め。「あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー」のスタンプゲットで近場を回ってきた。

 まずは相模グリーンライン自転車道で平塚方面へ。いつもはくっきり見える富士山も珍しくこの日は雲の中。残念。


相模グリーンライン


 相模大堰管理橋を渡って右岸へ行き、神川橋まで一般道を走る。この区間の相模川沿いの道はダートなんでね。

 神川橋から広々とした川沿いの土手道を走り、湘南銀河大橋で離脱。「相模川流域の自然と文化」をテーマに歴史、考古、民俗、生物、地質、天文の6分野からなる地域総合博物館の「平塚市博物館」へ向かう。周辺に美術館や図書館もあり文化的香りが漂うゾーンだが、博物館前にある文化公園にはなぜかD52が展示されていた。案内版によると、御殿場線を走っていたそうで、市内のSLファンたちの熱意によりスクラップ化を免れ、ここへ移されたらしい。ちなみに近くには市役所、警察署、平塚八幡宮、レモンガススタジアム平塚などもある、まさに街の中心。


平塚市博物館



D52型403号蒸気機関車


 この後は旧東海道を走って「平塚宿の江戸見附」へ。本来、見附が城下に入る門を示すように、宿見附も宿の出入り口を意味する。同時に宿を守る防御施設としての役割もあるそうだ。平塚宿の見附は2個所で、江戸側にあるものを江戸見附、京側にあるものを上方見附と呼んだ。この間が平塚宿内で、町並みは東西に14町6間(約1.5キロ)続いていたという。


平塚宿の江戸見附


 お次は東海道を江戸方面へ向かい、相模川を馬入橋で渡り、小出川沿いにある「旧相模川橋脚」へ。建久9(1198)年に源頼朝の重臣稲毛重成が亡き妻の供養のために架けた橋の橋脚で、大正15(1926)年に国の史跡に指定されたそうだ。橋落成供養に参列した頼朝が、帰途で義経らの亡霊に遭い落馬したと伝えられている。

 実は国道沿いにあるのを見ただけで満足してしまい、奧まで行かなかったのは痛恨。ここはあまり通る機会がないからなぁ。


旧相模川橋脚


 その後は小出川沿いを北上し、JR香川駅を経由して大岡越前通りへ出て茅ヶ崎博物館の裏手にある「民俗資料館 旧和田家住宅・旧三橋家住宅」へ向かう。その目の前にある大岡越前の菩提所の淨見寺に行ったことがあるので土地カンはばっちり。江戸末期の安政2年(1855年)に建てられた大型民家で、昭和57年に解体し、同年7月に茅ヶ崎市が重要文化財に指定。移築復元して昭和60年(1985年)4月に開館したという。


旧和田家住宅


 大岡越前通りを戻り、寒川方面へと向かい「梶原景時館跡」へ。碑があるだけなので、最初は気がつかずスルーしてしまった。治承4年(1180年)8月、源頼朝挙兵の時、石橋山の合戦で洞窟に逃れた頼朝の一命を救い、翌年正月、頼朝の信任厚い家臣となって鎌倉幕府の土台を築くことに貢献した。一宮を所領としており、この地に館を構えたという。そうか、大泉洋を見逃してやった中村獅童か。


梶原景時館跡


 「一之宮公園」はそのすぐ近く。かながわの公園50選に選ばれているそうだが、緑道にあった廃線跡に驚いた。何でも西寒川支線が大正11年(1922年)5月10日に相模川の砂利輸送線として寒川〜四之宮間が開通。砂利輸送に始まり、貨物、旅客営業も行われたが、昭和59年(1984年)3月31日、開業から62年の歴史に幕を閉じたという。現在、線路跡は一之宮緑道として整備され、西寒川駅跡には20メートルほどレールが残り、八角広場として憩いの場になっている。なるほど、それで駅名標が「げーとひろば〜はっかくひろば」なんだね。


一之宮公園



西寒川支線廃線跡



廃線跡の緑道


 さて、最後は「寒川神社」。寿永元年(1182)に源頼朝が妻の政子の安産祈願のため奉幣の使者を遣わし、誕生したのが源頼家。その10年後には神馬を奉納し、実朝誕生に際して安産のため誦経を依頼したという。

 緑道を走り、JR相模線の踏み切りに出ると、大渋滞。そりゃそうだ。今日は1月4日だもんね。一の鳥居から車はピクリとも動かない。なんとか神社前までたどりついたが、ここではスタンプはゲットできず。しかし、人が多すぎて本殿には近づけそうもない。仕方ないので唯一、車も人もいなかった道を大回りして裏へ出て、管理棟通用門まで行ってようやくゲット(^o^) 


寒川神社管理棟通用門

 
 これでスタンプは89/124(達成率72%)。保有スタンプは44。

 帰路は倉見駅の裏から相模グリーンライン終点へ入り、そのまま5キロ先の海老名の始点まで。座架依橋から湘南銀河大橋まで全線開通してくれると助かるんだけど、工事してる様子もないのでいつになることやら。

 走行距離は74.3キロ。獲得標高は281メートル(^_^;

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 これで昨年の話がようやく終了です(^_^;

 2024年の走り納めは境川サイクリングロードを軽く。ついでに「あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー」の近場のスタンプポイントも回りましょう。

 国道1号をくぐり、藤嶺藤沢の前から藤沢橋へ向かう途中にあるのが「藤沢市ふじさわ宿交流館」。何百回もここを通っているが、そんなものがあるなんて全く知らなかった。東海道の宿場町として、大山詣や江の島詣をする人々の交通の要衡となった藤沢宿の歴史や文化に触れることができるそうだ。バイクスタンドがあったのには驚いた。しかし、この日は年末28日で当然、休館日。まぁ、いつでも来られるし、また改めて。


境川サイクリングロードの鷺舞橋



藤沢市ふじさわ宿交流館


 国道467号に出て少し白旗交差点方面へ進んだ先には「旧桔梗屋」がある。江戸時代の嘉永年間(1848~1855年)ころから東海道の藤沢宿で茶や紙の問屋を代々営んでいた旧家で、現在の建造物のうち店蔵と主屋は明治44年(1911年)に竣工された。国登録有形文化財(建造物)。「かながわ歴旅ARラリー」のポスターが貼ってあるが、ちょっと違和感が(^_^;


旧桔梗屋


 この後は白旗交差点から旧東海道を西へ進む。国道1号に出ると、この付近は箱根駅伝のコース上ではないが、交通規制の立て看板。ワクワクするねぇ。


箱根駅伝の交通規制の立て看板


 辻堂駅の手前に「藤沢市藤澤浮世絵館」があるはずだが見当たらない。何度か行ったり来たりを繰り返し、ようやく「ココテラス湘南」の7階にあることを発見した。東海道藤沢宿や江の島の浮世絵をはじめとした郷土資料の鑑賞ができるそうだ。「藤沢と江戸の出版事情 ~蔦屋重三郎と絵師たち~」が2025年2月24日まで展示されているので、大河ドラマの予習で見に行った方がいいかな。


藤沢市藤澤浮世絵館


 これでスタンプ獲得数は83/124。保有スタンプは38。

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 昨年末の話がもう少し続きます(^_^;

 「あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー」の「その12」で、近場の古民家を巡った。意図したわけではなく、たまたまルートを引いたらなぜか古民家ばかりになってしまったのよね。

 まずは相模原の「旧中村家住宅」へ。以前、勝坂遺跡へ行ったが、そのすぐ近く。またここに来ようとは思わなかったねぇ。幕末期に勝坂のお大尽と称された中村家が建築した豪勢な擬洋風建築で、1階の外観は和風だが、2階はなまこ壁で縦長に配した窓などに洋風の要素を取り入れている。鎌倉大工の石井甚五郎が建築を手掛け、10年の歳月をかけて完成したそうだ。


旧中村家住宅


 次は愛川町の「古民家山十邸主屋」。中津川沿いにあり、「ぐるっと丹沢・大山×宮ヶ瀬スタンプラリー2024」で初めて訪れたが、それ以来、狭い県道の回避ルートとしてこの前は何度も通るようになった。明治16年(1883年)、中津地区の豪農・熊坂半兵衛 の邸宅として建てられた。「山十」(やまじゅう)は、この熊坂家の屋号。


古民家山十邸主屋


 この後は中津大橋を中津川に向かって豪快に下り、八菅からやなみ峠で越えてまつかげ台へ下り「古民家岸邸」へ。明治24年(1891年)に建造されたと言われる歴史的建物で指定有形文化財。残念ながらこの日は休館日。


やなみ峠



古民家岸邸


 荻野から七沢へ抜け、江戸時代から続く老舗の蔵元「黄金井酒造」でスタンプをゲットし、そのまま伊勢原まで南下して江戸時代初期の元和年間(1615~1624)に創建されたという「伊勢原大神宮」へ。


黄金井酒造



伊勢原大神宮


 そろそろお昼どきとなったので、柏木牧場(スタンプポイントではありません)で牛メンチカツ丼(540円)で腹ごしらえ。


柏木牧場



牛メンチカツ丼(540円)


 満腹となった後は大和市の泉の森内にある「大和市郷土民家園」へ。大和市内で江戸時代に建てられた2棟の古民家を移築復元した施設で、市内に現存する最古の家屋である旧小川家主屋と、養蚕農家の建築の特徴が現れている旧北島家主屋が見学できる。


旧小川家主屋



旧小川家主屋



旧北島家主屋



旧北島家主屋



旧北島家主屋


 ここは娘たちが小さいとき、竹馬やコマなどの昔遊びのコーナーがあってそこで遊んだ記憶があるねぇ。

 この日の最後は本当にご近所の「大和市下鶴間ふるさと館」へ。市指定重要文化財の旧小倉家住宅の母屋と土蔵が復原されている。母屋は安政3年(1856)に建築され、東海道の脇街道である「矢倉沢往還」の下鶴間宿に残された宿場町時代の唯一の商家建築だそうだ。


大和市下鶴間ふるさと館



下鶴間宿



旧小倉家住宅


 江戸と明治へタイムスリップしたライドだったが、夕方に用事があって時間がなく、ゆっくり見られなかったのは残念。

 これでスタンプポイントは80/124。保有ポイントはただいま35ポイントで、30スタンプ賞の応募権をゲット(^o^)

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※小川哲(1986年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015年「ユートロニカのこちら側」で第3回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞しデビュー。17年「ゲームの王国」で第38回日本SF大賞、第31回山本周五郎賞を受賞。19年「嘘と正典」で第162回直木賞候補。22年「地図と拳」で第13回山田風太郎賞、第168回直木賞を受賞)



●面白過ぎて、いや凄すぎる

 青山の占い師、80億円を動かすトレーダー、ロレックス・デイトナを巻く漫画家……。著者自身を彷彿とさせる小説家の「僕」が、怪しげな人物たちと遭遇する連作短篇集。2019年から22年に小説新潮に掲載された短編5作(「プロローグ」「三月十日」「小説家の鏡」「気味が手にするはずだった黄金について」「受賞エッセイ」)に書き下ろしの1作(「偽物」)を加えた。

 図書館の貸し出し予約をした時はどういう内容か分かっているのだけど、延々と待っているうちにすっかり忘れ、何の予備知識もないまま読み始めた。「プロローグ」は哲学的で今ひとつ理解しずらく、これがこのまま続くとしんどいなと思ったが、それは全くの杞憂。それどころか面白過ぎて、いや凄すぎてあっという間に小川哲ワールドに引きずり込まれた。読みやすい文章にも好感。「プロローグ」はこの作品のプロローグではなく、小説家としてのプロローグだったんだね。

 私小説のようにみえて、そこから妄想を膨らませ、エッセイのようにみえてどうもそうではない。巧いなぁ。やっぱり小説家は才能がなきゃできないよ。読み終わるのが残念で、もっともっと読みたかった。こんな気持ちはこれまで感じたことがない。何度も言うけど、凄すぎる。

 「受賞エッセイ」の「どちらの小川さまですか?」には笑った。「偽物」にあった野球の不可解だというネーミング、「ストライク」「ボール」「アウト」。長年野球をやり「ショート」を守ったこともあり、野球関連の仕事もしてきたが、そんなこと考えたこともなかった。

 ちなみに「三月十日」。まだ会社員だったので普通に仕事をしていたのは間違いない。その週末にブルベを控えていたので自転車通勤もしていない。特に何もない平凡な1日だったはず。11日は会社から自宅までの40キロを歩いて帰ったが、気になったのは週末のブルベが開催されるかどうかということ。スノボ旅行を案じる彼らと変わりなかったね。もちろんブルベは中止になった。

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 話は戻って昨年末の話です(^_^;

 「あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー」もいよいよ最後の第3章「江戸・幕末・明治を疾走」が12月23日からスタート。見たところ、これまで行った場所のご近所があったりしてちょぴり萎えるけど、ま、気持ちも新たに頑張りましょう(^o^)

 まずは秦野の「二子塚古墳」へ。秦野市内唯一の前方後円墳で、古墳時代後期(6世紀後半〜7世紀)の築造と考えられている。下大槻団地の敷地内にあるとかでちょっと分かりづらかったが、なんとか発見。しかし、入口らしきところは南京錠がかかり、中へは入れず(T_T)


二子塚古墳


 次は水無川を遡って「桜土手古墳公園」を目指す。上りは緩やか。広々とした河川敷になんとなく癒され、視線の片隅には冠雪の富士山が常に顔を出している。この道は下ったことしかなかったので、この景観は新発見。途中で右手にあった秦野市役所などは、真正面に富士山ば〜んで仕事していても気持ちいいんでないかい。いや、毎日見てると飽きちゃうか。だけどね。その市役所の先に富士見橋があるんだけど、なぜかここからは富士山が見えなかったのは不思議。

 堀戸大橋を渡った先に公園があった。目の前の信号が「古墳公園前」。分かりやすい。6世紀末~8世紀初頭に築造された35基の古墳から構成されていたが、23基の発掘調査が行われ、残り12基のうち6基が保存されているという。それらとは別に「復原古墳」もあった。「復原」? 「復元」じゃないの? と疑問に思って調べると、「復元」は「失われたものをかつての姿どおりに新たに作ること」、「復原」は「始めの姿が改造されたり、変化してしまった現状を元の姿に戻すこと」だそうだ。隣接の「はだの歴史博物館」は月曜で休館日。残念。


桜土手古墳公園



復原古墳


 この後は渋沢丘陵を越え「矢倉沢往還」へ向かう。江戸城の赤坂門(赤坂見附)から相模国、足柄峠を経て駿河国沼津宿を結び、東海道の脇街道として発達した道で、自宅の近所にもあるが、スタンプポイントは大井町篠窪にある石碑。その先には富士見塚見晴展望台があり、どこから来ても激坂が待っているという、自転車乗りにとってはお馴染みの場所だ。


矢倉沢往還の石碑



富士見塚(展望台より少し手前)から富士山を望む


 富士山を見ながら豪快に下った後、未病バレービオトピアへ向かって少し上ったところにあるのが「金子台遺跡」。約3500年前(縄文時代後期)の人々が地面に穴を掘って遺体を納めた後、地上に複数の石を並べた墓地と思われ、ストーンサークル(環状列石)と呼ばれている。ここは何回か通っているけど、その存在はまったく気がつかなかった。


ストーンサークル


 次に訪れたのはJR松田駅近くにある「二宮尊徳生誕地栢山道碑」。二宮尊徳は天明7年(1787年)7月23日に相模国足柄上郡栢山村(小田原市栢山)の百姓利右衛門の長男として誕生した。その生誕地への道標なのだが、なぜ、栢山ではなく6キロ先の松田にあるのか。

 建立したのは御木本真珠店(現在のミキモト)創業者で、「世界の真珠王」と呼ばれた御木本幸吉。尊徳の事績に感銘を受けた御木本は1909(明治42)年に人手に渡っていた生誕地を私費で買い取り、同じ年に参拝者のために「道碑」を松田駅に設置した。小田急線はまだ存在せず、栢山へ行くための当時の最寄り駅は「約一里半」の東海道線の松田だったのだ。当時の東海道線は山北、御殿場回りで、国府津〜熱海間が開通したのは大正14年だった。


二宮尊徳生誕地栢山道碑


 その御殿場線に沿って山北方面へと進む。山北駅は明治22年、東海道線の開通によりできた駅で、前述の通り昭和の初めに御殿場線になるまでは鉄道の町として大変賑わい主要駅として栄えたという。「山北鉄道公園」には全国で唯一の動態状態で保存されている機関車D52が展示。月一で整備運行を実施しているそうだ。


山北鉄道公園


 さてと。いい時間なのでお昼ですな。行きつけの「ポッポ駅前屋」は定休日だったので「小料理珠亭」へ。悩んだ末におすすめの「トンカツ定食」950円。このお店は靴を脱ぐのでくつろげるのよ。ちなみに料理長はこれまでに箱根などの旅館でも料理長を務めてきた、この道約50年のベテランだそうだ。


バイクスタンドのある山北観光案内所



小料理珠亭



トンカツ定食


 満腹となった後は開成町へ。いつも通り過ぎるだけの「あしがり郷 瀬戸屋敷」。300年の歴史ある古民家だそうで、スタンプポイントだし今日こそは入ってみようか。あぁ、でも今日は月曜日だ。そう、こういうところは月曜が休館日なのよねぇ。


「あしがり郷 瀬戸屋敷」は休館日


 その後は「道の駅足柄・金太郎のふるさと」を経由して開成駅へ。道の駅の相州牛ウニとろ牛めしは美味そうだったけど、3580円か。口にできる日がやってくるのだろうか。ボーナスももうないしねぇ…。


道の駅足柄・金太郎のふるさと


 開成駅東口にいたのは「ロンちゃん」。昭和41年から平成11年まで現役車両として活躍したロマンスカー3100系NSE車が展示されており、公募により愛称が「ロンちゃん」となったそうだ。へ〜、ここにこんなものがあるとはねぇ。驚いた。月2回と、あじさい祭り期間中、夏休みなどに車内を公開しているが、西口から東口へ行くのがひと苦労なので、もう寄ることはないかな(^_^;


ロンちゃん


 最後は中井町の「おもしろ体験博物館江戸民具街道」。以前に寄った「五所八幡宮」のすぐ近くで、そういえばそんなものがあったという記憶が蘇ってきてすぐ分かった。ここでは江戸、明治、大正、昭和初期の世界にどっぷりつかれるという。コスレプレーヤー大歓迎だってさ。土日祝日だけの開館なので、当然この日は休館日。


おもしろ体験博物館江戸民具街道


 この日は10カ所のスタンプポイントを巡った。そのうち第3章は6カ所。ちょうどこの日の朝に第3章のスタンプポイントが発表され、行く予定だったポイントの近くにいくつかあることが判明。地図がなくても行ける場所だったので、あちこち足を伸ばしてみた。これでスタンプは73/124。保有スタンプは28。走行距離は127.5キロで獲得標高は1034メートル。

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 goo ブログの不具合で遅くなりました。

 明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願い致します。

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 2024年の年間走行距離は9043キロ。10年ぶりの1万キロ突破は残念ながらならず(T_T) ブルベDNSの4本が痛い。やっぱ雨に弱いとダメですな。

 遠征は帰省を兼ねたAJ広島主催の「BRM203広島200km岡山・呉」のみ(DNFだったけど(^_^;)。プライベートで土日が珍しく忙しかったこともあるけど、ちょっと寂しいね。来年は遠征であちこち行きたいなぁ。といっても前半は超重要なミッションがあるので多分ダメで、夏以降になるけどね。

 とにかく来年も気持ち良く、事故なく、力が続く限りどこまでも走ろう!

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 孫とスケートに行って2回豪快にコケた(T_T) 手を繋いで滑っていたんだけど、孫息子がコケて手を思い切り引っ張られ、耐えきれずツルンと滑り、どっしーんとケツから落ちた。

 スタッフが瞬時に寄ってきたのには驚いたよ。まぁ、じーさんだからねぇ。少し後頭部も打ったし、心配されちゃったか。コケると骨折の可能性がある年になっちゃったし、次回からはヘルメットをかぶろっと。


入口付近にあった日刊スポーツ号外

 
 こどもの国のアイススケート場は子供が生まれる前にカミさんと一度行ったことがある。生まれる前といっても、実は長女がお腹にいたんだけど、それを知らずに滑りまくった^_^; 月日は流れ、孫と行く日が来ようとはねぇ。

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 「あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー」第2章「武士の世へ!いざ鎌倉から戦国探訪」の「その7」で鎌倉を巡った。

 この日は自転車を置いて歩くシーンが多くなると思い、キックスタンドの付いたグラベルロードのJARIにまたがり、まずは「金沢文庫」に向かう。

 走り出してすぐボツポツと降り始めたと思ったら、なんと雪だった! もしかして初雪? そういえば前夜の予報で雪が降るかもと言ってたけど、市街地まで降るとは。気がつけば結構な降りとなったが、まあ、これから向かう南の空は晴れてるので大丈夫だろうという予想通り、いつの間にかやんでくれたので助かった。

 朝比奈インターから環状4号を離れて釜利谷方面へ行き、金沢動物園前を経由して金沢文庫へ。坂だらけの住宅街を迷いながら、やっと奧まったところにある建物を発見した。北条義時の孫にあたる北条実時が創設した武家の文庫で、現在歴史博物館として活動し、2万点を超える国宝を保管しているそうだ。ここも65歳以上は入場料100円。今日は急いでいるので、いずれまた(^_^;


金沢文庫


 この後は国道16号を少し走り、六浦交差点を右折して鎌倉方面へ向かうのだが、この交差点はどうやって右折したらいいんでしょうかね。歩道橋のみで横断歩道がないT字路。車は右折車線があるからいいが、自転車はどうあがいても曲がれない。次の信号を渡って戻ってくるしかないのかな。

 さて次に行くのは「名越切通(なごえきりどおし)」。鎌倉時代に尾根を堀割って造られたとされる通行路で「鎌倉七口」のひとつ。鎌倉と三浦半島を結ぶ道として重要な役割を果たしたという。自転車に乗り始めた頃、つまり十数年前に法性寺側から上ったことがあるが(もちろん徒歩)、とても苦労した覚えがあったので今回は亀ヶ岡団地側からアプローチした。

 披露山公園とは反対側にある団地の中の急坂を上り続け、ピークとなる付近に切通の入口を発見した。山道を少し分け入って見ると、すぐに第1切通が見えてきた。なんだ、こんなに簡単に来られるじゃないかと拍子抜け。いや、住宅地のすぐ裏手にこんな歴史的なものが残っていることに驚くべきか。

 徒歩で第1切通の岩の間をすり抜けて進むと、右手に「まんだら堂やぐら群」への階段がある。やぐらとは四角い横穴に石塔を建て、納骨や供養をするところだが、この日は保存工事中で立入禁止となっていた。残念。


名越切通



名越切通



第1切通



まんだら堂やぐら群はここを上っていく


 亀ヶ岡団地からは勾配10%超の急坂を下ってほぼ一直線に県道へ。その途中、お母さんのママチャリが凄い勢いで下っていく姿に仰天した。慣れるとあのスピードが出せるのか。こっちは怖くておっかなびっくり。フルブレーキでゆっくり下って行くしかないというのにね。

 で、この後は逗子ハイランドを上って下る。横浜も逗子も坂だらけだねぇ。

 次の「永福寺」はテニスコートの向こうにあった。源頼朝が建立した寺院の跡で、応永12年(1405年)に焼失した。発掘調査で発見された建物の基壇や苑池などを復元して公開しているのだが、駐車場の先のじゃり道を抜けると、広大な空間がぽっかりと空いていて驚いた。


ここを抜けると永福寺跡



永福寺跡


 その近くにあるのが「法華堂跡」。鎌倉幕府を開いた源頼朝の墓と、幕府の2代執権として武家政権の確立に大きく貢献した北条義時の墓があるが、階段があったのでお墓までは行かず(^_^;


法華堂跡


 この付近は鶴岡八幡宮のすぐ東にあたる所で初めて迷い込んだのだが、隠れ家的でおしゃれな飲食店を見かけた。人通りもそれほどではなかったので穴場といっていいかも。まあ、見るからに高そうなのでスルーしたけどね。

 この後は小町大路から江ノ電和田塚駅へ。スタンプポイントの「鎌倉彫工芸館」前には「かながわ歴旅ARラリー」のポスターが飾られていて気合が感じられたが、人の姿はほとんどなかった。その目の前にあるのが「和田塚」。鎌倉幕府内部抗争による北条義時と和田義盛の武力衝突(和田合戦)の結果、和田一族敗死の屍を埋葬した塚と言われている。ここも初めて通った。


鎌倉彫工芸館



和田塚


 そのまま由比ヶ浜へ出て国道134号を西へ少し行くと「鎌倉海浜公園坂ノ下地区」。この前はもう何度も通り、ここに公園みたいなものがあるとは認識していたが、まさか三代将軍源実朝の歌碑があるとは夢にも思わなかった。歌碑には「世の中は つねにもがもな なぎさこぐ あまの小舟の 綱手かなしも」と刻まれ、鎌倉観光公式ガイドによると歌碑の台座は船を、歌碑板は帆を、手前(芝でおおわれて見えないが)は波を表しているそうだ。いや、ほんとこのスタンプラリーは勉強になる。何度も言うけど(^_^;


鎌倉海浜公園坂ノ下地区の実朝の歌碑


 この後は引き返し、長谷〜大仏前と走り、大仏トンネルを抜けて梶原まで行き、そこから源氏山公園を目指す。ここも名越切通と同じで、「鎌倉七口」を制覇しようとした十数年前に「化粧坂(けわいざか)」から自転車担いで上っていこうとしたが、あまりの岩場に断念。その後、カミさんと銭洗弁天から徒歩で行ったという思い出の場所だ。今回は梶原からなのでたぶん一番楽なルートのはず。

 自転車で行けた、というか乗れたのは葛原岡神社の少し先まで。突き当たりっぽいところで銭洗弁天方面への分岐があり、左手が源氏山公園方面なのだが、ここからは進入禁止となっていた。少し押し歩いて行き、急坂をぐいっと上ったところに頼朝像があった。広場もあり、春には桜、秋には紅葉が楽しめるそうでお弁当でも持ってきたいところだが、展望は樹木に遮られて残念ながらまったくないのは残念。


源氏山公園の頼朝像


 亀ヶ岡団地も逗子ハイランドもそうで、ここもそうだが、急坂や狭い道幅をものともせず住宅はあるもんですな。

 鎌倉方面のスタンプを全てゲットし、北鎌倉へダウンヒルして帰宅。途中、境川の下分橋近くの「薬王院(信法寺別院)」でこの日9つ目のスタンプゲット。ここは上和田の地頭であった和田義盛が建立したそうな。え? ここにも和田義盛がいたのか? 三浦半島の和田城じゃないのか? お墓は和田塚だよね。行動範囲、広すぎない? 一体、どうなってる?


薬王院(信法寺別院)


 まあ、いろんな言い伝えがあるんでしょうね。歴史はロマン。過去にも夢がある。だから面白い。

 さて、これでスタンプポイントは63/83。保有ポイントは30ポイント賞に応募したので、ただいま18ポイントまで逆戻り。

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※村木嵐(1967年京都市生まれ。京都大学法学部卒業。会社勤務を経て95年より司馬遼太郎家の家事手伝いとなり、後に司馬夫人である福田みどり氏の個人秘書を務める。2010年「マルガリータ」第17回松本清張賞受賞。近著に「せきれいの詩」「にべ屋往来記」「阿茶」など)



●爽やかな読後感

 病のため片手片足は動かず、口をきくこともできない9代将軍吉宗の嫡男・家重(幼名長福丸)。歩いた後には尿を引きずった跡が残るため、かたつむり(まいまい)が這った葉のようだとして「まいまいつぶろ」と呼ばれ蔑まれていた。ところが、誰も聞き取れなかった家重の言葉を唯一、解するものが現れた。大岡越前守忠相の遠縁にあたる大岡忠光(幼名兵庫)だった。「口となるも、目や耳になってはならぬ」。そう忠相に戒めを受け、忠光は将軍の小姓となり、通詞を務めることになった。第170回直木賞候補。第12回日本歴史作家協会賞作品賞、第13回本屋が選ぶ時代小説大賞受賞。

 家重といえば、23年にNHKで放送されたドラマ10「大奥」を思い出す。よしながふみさん原作のドラマで、恥ずかしながらそこで初めて家重の病を知った。冨永愛さんの吉宗はカッコ良かったが、家重を演じた三浦透子さんの演技には驚かされた。あの表情はすごい。まさに名演。この作品を読んで、もう一度見てみたい気になった。再放送してくれませんかねぇ。

 将軍の言葉をそのまま伝えているのだが、当然そこには「ほんまかいな。脚色してない?」という疑惑が生じる。第5章「本丸」では家重の将軍襲職をめぐり老中が反旗を翻す。ここが一番面白い。そして最終章の家重の言葉。「もう一度生まれても、私はこの身体でよい。忠光に会えるのであれば」。30年間の2人の孤独な闘い。「不如意な身体で、まいまいつぶろの如く、のろのろと。ですが大きな殻を見事、背負いきって歩かれました」と忠光。2人にとって悔いのない人生であっただろう。家重と比宮が愛し合っていく姿もぐっとくる。爽やかな読後感だった。

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 少しでもスタンプを稼ぎましょうかねということで、カミさんのお墓参りの後に市が尾の古墳を巡った。「あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー」第2章「武士の世へ!いざ鎌倉から戦国探訪」の「その6」。

 まずは「稲荷前古墳群」。かつて丘陵上に所在していた、10基の古墳と3つの横穴墓のうち、方墳2基と市域でも珍しい前方後方墳1基が保存されている。駐車場に自転車を置き、階段を上っていくと、こんもりとした丘が見えてきた。これがそうなのかな。4世紀から7世紀ごろの古墳時代に継続的に造られていったそうだ。

 横浜市教育委員会の説明版によると、4世紀から5世紀ごろに、ここ谷本川流域を中心とする都筑の地は一首長によって統合され、大和政権とも一定の政治的文化的関係を持つようになった。この時、古代の横浜の地が国の一部として機能し始めたという。


稲荷前古墳群の駐車場に案内版



階段を上って行く



稲荷前古墳群


 お次はすぐ近くにある「市ヶ尾横穴古墳群」。以前、「青葉区制30周年デジタルスタンプラリー」を走った時に訪れたが、裏手に出てしまって行けなかったところだ。今回はちゃんと表から入ったよ。


市ヶ尾横穴古墳群


 稲荷前古墳群では都筑一帯を治めていた首長層の墓が発掘されたが、こちらは農耕を営んでいた有力な農民の家族を葬った「家族墓」のひとつだそうだ。この付近はほかにも古墳群や遺跡、集落跡が発見されていて、市が尾と荏田地域は古代都筑の中心地であったと考えられている。


市ヶ尾横穴古墳群



市ヶ尾横穴古墳群



市ヶ尾横穴古墳群


 横穴墓というのは初めて見たかも。こんな身近に古墳や遺跡があるなんて知らなかった。勉強になるねぇ。広場からは丹沢が見えた。天気が良ければ富士山も見えるんだろうね。やはりお墓は眺めのいいところに造るのか。というか、大昔なんてどこからでも富士山が見えたろうね。

 さて、これでスタンプ獲得数は54/83。保有ポイントは39。そろそろ第2章の特典に応募しようかな。

 そういえば、境川の鶴間橋の左岸上流がようやく開通していた。まだ工事で通行止め区間はあるけど、ここが通れるようになると助かるね。


境川の鶴間橋



境川の通行止め区間


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 青葉区役所から郵便物。え? 何これ? おれ、なんかやった? とまずはマイナス思考。でもよくみると「青葉区制30周年デジタルスタンプラリー」とある。そういえば10月に走ったぞ。おぉ、当たったかと今度は超プラス思考。

 でも封書だから「特産品詰め合わせ」じゃないか。

 何だろう。ワクワクしながら封を切るが、でてきたのは「残念ながら…」のお知らせ。でもなんと参加賞が入ってるじゃないか。何人参加したかは分からないけど、こういう対応は好感が持てるし、次もってなるよね。



 シールは孫にやるかな。知らないうちに家のどこかに貼られることになるだろうけど(^_^;

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 「あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー」第2章「武士の世へ!いざ鎌倉から戦国探訪」の「その5」で小田原方面へ。

 まずは入生田の「神奈川県立生命の星・地球博物館」。地球の誕生から現在までの46億年にわたる歴史が展示されている。入場料は520円だが、65歳以上はなんと100円。シニア割引の恩恵にようやくあずかれると喜んだけど、なぜか休館日。月曜日が休館日でこの日は火曜日だよ。なんで? 入口の案内版をよく見ると、毎月第2火曜日が館内整備日。ピンポイントで命中したようだ。残念(T_T)


神奈川県立生命の星・地球博物館



神奈川県立生命の星・地球博物館。本日は休館


 そのまま石垣山一夜城へ登坂開始。いわゆる裏コースですな。表のようなドーナツ坂はまったくないけど10%超が続く激坂には変わりない。ピークはターンパイクの上空にかかる橋で、ここから少し下ったところが石垣山一夜城。距離1.9キロで平均勾配は10.5%。ちなみに表は距離1.8キロで平均勾配11.6%なので、裏の方が少しだけ楽みたい。

 チェックポイントは「二の丸(馬屋曲輪)」付近なので階段を上って行く。秀吉が一夜のうちに築城したと言われているが、実際は約80日を費やしているそうだ。無事二の丸でゲットできたので本丸までは上らず(^_^;


石垣山一夜城



石垣山一夜城二の丸



バイクスタンドあり


 「一夜城 YoroizukaFarm」は残念ながら定休日だったが、奧にある川島なお美さんの慰愛碑まで初めて足を運んだ。そこに刻まれた遺言を読むと、目頭が熱くなった。「銀幕のヒロイン」は今でも好きな歌だ。


川島なお美さんの慰愛碑



川島なお美さんの遺言


 ダウンヒルは表から。日差しを浴びて気持ちよく、眼下に小田原の町を見下ろす絶景の中を下っていく。


ドーナツ坂を下る



眼下に小田原の町


 そして小田原城。言わずと知れた戦国大名小田原北条氏の居城。小田原合戦で秀吉に敗れた後は秀吉の支配するところとなった。ここのチェックポイントも「本丸広場」なので久しぶりにお城の前まで歩く。天守閣は死ぬまでには一度上ってみたいものだ。


小田原城



小田原城銅門


 この後は二宮へと戻る。駅の北にある二宮町観光協会が運営するアンテナショップ「にの屋」へ行くのだが、すげー激坂。目の前にある町役場は斜面に沿うように建てられており、麓の1階(徒歩用かな)と頂上の2階(車用かな)に入口があった。もっと驚いたのはバイクスタンドがあったこと。そんなに需要があるのか。

 いったん下って近くの知足寺へ向かうときも激坂を覚悟したが、こちらは緩い坂があるだけでほっとひと息。曽我兄弟ゆかりの寺で、境内には曽我十郎・五郎の墓があると伝えられている。あれれ、箱根にもあるよね。国道1号のピーク付近。と思って調べるとどうも複数存在するようだ。なんでだろうね。


にの屋



知足寺


 さてランチ。地元の食堂が好きなのでチェーン店は遠慮しているのだが「丸源」だけは別格。カミさんも好きでよく食べに行ったもんだ。ということでバイクスタンドのある大磯店で「熟成醤油ラーメン肉そば」(792円)をいただく。相変わらずうまいね。


バイクスタンドがある丸源大磯店



熟成醤油ラーメン肉そば


 満腹になった後は大磯の延台寺。ここも曽我兄弟ゆかりの寺で、兄弟の剣難を救ったと伝わる「虎御石」などがあるそうだ。スタンプをゲットして折り返しただけだけど…。


延台寺


 延台寺からは少し西へ戻って滄浪閣交差点を右折して北上。湘南平(高麗山公園)を目指す。何度来ても14%の直線の上りはきつい。見上げても見上げても、そこには坂しかない。パンダまでが長いよねぇ。ようやくひと息と思ったら次は10%。あぁ…。距離1.7キロ、平均勾配9.4%、最大勾配14%。いちおうタイムを計ったけど12分弱ぐらいかな。昔はどうだったのかなと思ってブログを見返すと、なんと15年前は8分台だったそうで。衰えたなぁ。ま、足つきなしで上れたからいっか(^_^;


湘南平。もう階段を持ち上げる体力はないのよ



遙かに見えるのは大島かな


 ところでスタンプポイントの「硯水(すずりみず)の池」ってどこ? テレビ塔付近でゲットできたからその時点では探さなかったけど、調べるとハイキングコースの途中にあるもよう。曽我兄弟の弟、五郎が水を飲もうと地面を強く踏みつけた時に湧き上がった、という伝説があるそうだ。

 この日の最後は相模国十三座のひとつ、平塚の「前鳥神社」。古くから修学の神・学問の神・就職の神として信仰を集めているとか。また緑あふれる境内は「森の前鳥神社」として平塚八景に指定されている。確かに圧巻だった。


前鳥神社



30スタンプゲット(^o^)


 この日は8ポイントをゲットし、所有ポイントは37ポイントに。トータルでは83ポイント中、52ポイントゲット。

 これで30スタンプ達成賞の「魚山亭やまぶき ペア招待」への応募権を獲得(^o^) どこだろうと思って調べると丹沢湖の北の中川温泉だった。お、いいねぇ。でも自転車持ち込み可なんだろうか?

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※青山美智子(1970年愛知県生まれ。横浜市在住。大学卒業後、シドニーの日系新聞社で記者として勤務の後、出版社で雑誌編集者をしながら執筆活動に入る。2017年「木曜日にはココアを」で小説家デビュー。同作は第1回未来屋小説大賞受賞、第1回宮崎本大賞受賞。21年「猫のお告げの中で」で第13回天竜文学賞受賞。同年「お探し物は図書館で」が本屋大賞第2位。22年「赤と青のエスキース」が本屋大賞第2位。23年「月の立つ林で」が本屋大賞第5位)



●「ああ、いい作品だ」 この一言

 「エスキースとは『下絵』のこと。本番を描く前に、構図を取るデッサンみたいなものだよ。それを見ながら、あらためてじっくり完成させるって。だから1日…半日でもいいよ」。メルボルンに短期留学中で帰国直前だったレイ。「期間限定」で恋愛中のブーに頼まれ、画家の卵のモデルとなる。「青」と「赤」だけで描かれたその絵画が語り出す30年間の物語とは…。書き下ろし連作短篇集。

 ああ、いい作品だ。この一言に尽きる。

 まったく無関係に見えて、全てが見事に繋がっている素晴らしい恋愛の物語。最後の最後に「仕掛け」にようやく気がつかされるが、とっても幸せな気分になれた。清々しい読後感。「赤と青とエスキース」のタイトルはまさに「うんうんその通り」としっくりくる。すべてが分かった上で、もう一度読みたい。

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