1872年に日本最初の鉄道である新橋横浜間が開業した、というのは教科書レベルの話で聞き覚えがあるかも知れませんが、当時の新橋駅は現在の新橋駅ではなく、当時の横浜駅は現在の横浜駅ではありません。
最初の新橋駅は、新橋というよりも汐留にありました。1872年に新橋停車場(ていしゃば)として始まったのですが、1914年には東京駅ができ、ターミナル駅がそちらに移ってからは貨物の汐留駅として使われていましたが、1986年で廃止となりました。
国鉄の赤字を少しでも穴埋めするためにここを始めとした跡地を売却する予定でしたが、バブルの時期に売却するのもどうよということになってズルズルと引き延ばしていたら地価が大幅に低下して当初の目論見よりもかなり安い価格で売却することになったというコントみたいなことをやってのけ、国鉄の借金は今なお返済中というわけです。ちなみに、土地を高値で販売して国鉄の赤字を解消し、その後も継続しているというのがラノベ『RAIL WARS!』の世界です。話に聞いているぶんには労組もひどかったらしく、また政治家の我田引鉄(ひどい言葉だな!)もあり、どっちにしろ民営化は免れなかったと思いますが。
閑話休題。新橋停車場跡地は、現在は「旧新橋停車場」として駅舎、プラットホーム、線路が復元されています。
なぜこんなに斜めなのか……。これが復元された駅舎です。中はプチ博物館(無料)になっているので、是非とも行ってみてください。その写真がないのは純粋に撮影禁止だったからです。
プラットホームはこんな感じ
0哩標識です。ここが始まりだったのですねぇ。
以上の写真は2015年2月14日撮影です。
当然のことながら鉄道博物館にも展示がありまして、
パネルです。読めるでしょうか。当時の写真があるので、見比べることができます。
「新橋」は、当時このように表記していたのですね。
以上鉄道博物館の写真は2014年2月10日に撮影しました。
これまた当然ですが江戸東京博物館にも展示があり、
位置関係がわかるパネルです。
1875年に3代目歌川広重によって描かれた錦絵です。「新橋汐留ステンション」というタイトルになっているのが興味深いです。というか、この頃は絵と写真の両方が残っていて、当時の人達がどのように捉えていたのかがわかって非常に面白いです。
以上江戸東京博物館の写真は2015年11月23日に撮影しました。
一方初代横浜駅は、現在は桜木町駅となっています。いうまでもなく現役バリバリで、当時を偲ばせる建物はありません。しかし、駅の内外にはいろいろあるので面白かったです。
改札を出たところにある柱に、このようなものが埋め込まれていました。
幕末~明治 鉄道事始め
なるほど、横浜側から工事が始まったのですね。合理的です。
新橋駅とそっくりであることがよくわかる写真です。
位置関係がわかってとてもよいです。
駅の外にあったパネルです。
これも外にあったパネルですが、横浜駅の変遷がよくわかります。
「鉄道創業の地 記念碑」です。真っ暗であることを差し置いても、劣化して読みにくくなっています。
創業当時の横浜駅
鉄道列車出発時刻及び賃金表。上部の時刻表は読めませんけど、下部の注意点は結構読めるので面白いです。列車に乗りたい奴は遅くても15分前に来て切手(手形という表記もある)を買えとか、手回り品には名前を書いとけとか、今とは常識が異なっていて非常に興味深いです。
初代新橋駅と2代目横浜駅はいずれも関東大震災で消失しています。横浜駅はその遺構も残っていました。
もう完全に真っ暗であり、肉眼ではほとんど読めませんでした。
上の看板のすぐ横から撮影しました。
別アングルです。
横浜駅関連の写真は全て2015年11月21日に撮影しました。
もちろんテーマ性を持って撮影していたわけではないのですが、桜木町駅には意図的に行きました。
鉄道開業当時の新橋横浜に行ったぞ―オー! という感じですね。
桜木町駅ではかの有名な桜木町事故もあったわけですが、桜木町駅にはそれっぽいものはありませんでした。鉄道博物館には当然ありましたが。
最初の新橋駅は、新橋というよりも汐留にありました。1872年に新橋停車場(ていしゃば)として始まったのですが、1914年には東京駅ができ、ターミナル駅がそちらに移ってからは貨物の汐留駅として使われていましたが、1986年で廃止となりました。
国鉄の赤字を少しでも穴埋めするためにここを始めとした跡地を売却する予定でしたが、バブルの時期に売却するのもどうよということになってズルズルと引き延ばしていたら地価が大幅に低下して当初の目論見よりもかなり安い価格で売却することになったというコントみたいなことをやってのけ、国鉄の借金は今なお返済中というわけです。ちなみに、土地を高値で販売して国鉄の赤字を解消し、その後も継続しているというのがラノベ『RAIL WARS!』の世界です。話に聞いているぶんには労組もひどかったらしく、また政治家の我田引鉄(ひどい言葉だな!)もあり、どっちにしろ民営化は免れなかったと思いますが。
閑話休題。新橋停車場跡地は、現在は「旧新橋停車場」として駅舎、プラットホーム、線路が復元されています。
なぜこんなに斜めなのか……。これが復元された駅舎です。中はプチ博物館(無料)になっているので、是非とも行ってみてください。その写真がないのは純粋に撮影禁止だったからです。
プラットホームはこんな感じ
0哩標識です。ここが始まりだったのですねぇ。
以上の写真は2015年2月14日撮影です。
当然のことながら鉄道博物館にも展示がありまして、
パネルです。読めるでしょうか。当時の写真があるので、見比べることができます。
「新橋」は、当時このように表記していたのですね。
以上鉄道博物館の写真は2014年2月10日に撮影しました。
これまた当然ですが江戸東京博物館にも展示があり、
位置関係がわかるパネルです。
1875年に3代目歌川広重によって描かれた錦絵です。「新橋汐留ステンション」というタイトルになっているのが興味深いです。というか、この頃は絵と写真の両方が残っていて、当時の人達がどのように捉えていたのかがわかって非常に面白いです。
以上江戸東京博物館の写真は2015年11月23日に撮影しました。
一方初代横浜駅は、現在は桜木町駅となっています。いうまでもなく現役バリバリで、当時を偲ばせる建物はありません。しかし、駅の内外にはいろいろあるので面白かったです。
改札を出たところにある柱に、このようなものが埋め込まれていました。
幕末~明治 鉄道事始め
なるほど、横浜側から工事が始まったのですね。合理的です。
新橋駅とそっくりであることがよくわかる写真です。
位置関係がわかってとてもよいです。
駅の外にあったパネルです。
これも外にあったパネルですが、横浜駅の変遷がよくわかります。
「鉄道創業の地 記念碑」です。真っ暗であることを差し置いても、劣化して読みにくくなっています。
創業当時の横浜駅
鉄道列車出発時刻及び賃金表。上部の時刻表は読めませんけど、下部の注意点は結構読めるので面白いです。列車に乗りたい奴は遅くても15分前に来て切手(手形という表記もある)を買えとか、手回り品には名前を書いとけとか、今とは常識が異なっていて非常に興味深いです。
初代新橋駅と2代目横浜駅はいずれも関東大震災で消失しています。横浜駅はその遺構も残っていました。
もう完全に真っ暗であり、肉眼ではほとんど読めませんでした。
上の看板のすぐ横から撮影しました。
別アングルです。
横浜駅関連の写真は全て2015年11月21日に撮影しました。
もちろんテーマ性を持って撮影していたわけではないのですが、桜木町駅には意図的に行きました。
鉄道開業当時の新橋横浜に行ったぞ―オー! という感じですね。
桜木町駅ではかの有名な桜木町事故もあったわけですが、桜木町駅にはそれっぽいものはありませんでした。鉄道博物館には当然ありましたが。
残念ながら、現在その歌詞通りに全線踏破出来るのは厳しいでしょうねぇ…