いくやの斬鉄日記

オープンソースからハイスクールフリート、The Beatlesまで何でもありの自称エンターテインメント日記。

Ubuntu 16.04 LTSリリース記念オフラインミーティング16.06に参加した話

2016年07月02日 22時27分23秒 | Ubuntu
Ubuntu 16.04 LTSリリース記念オフラインミーティング16.06

今回ばかりは参加は無理かなと思っていました。
なにせ北海道から帰ってきたばかりですし、費用的にも時間的にも難しかったのですが、費用的には日経Linuxに記事を書かせていただいたのでなんとかなり、時間的にも日帰りならなんとかなるかなぁと思って、具体的に計画を立ててみました。

まずはぷらっとこだまを検討しました。各停で東京へ行ってみたいというのは嘘偽りない気持ちとしてあるのですが、やはり時間がかかるのと、予約取るのがめんどくさいということがあって別の手段を検討しました。

……あれ、JR東海ツアーズで普通に切符買ったほうがぷらっとこだまよりも安くね? ということに気づいて、ツアーのチケットを押さえてしまいました。往復で17900円ですから、普通に買うより10000円くらい安いわけです。

もちろんそのぶん制限はあって、なにせ出発が6:40です。また5時起きです。帰りの20:20はまぁ普通なのですが。
6:40に新大阪発だと9:13に着いてしまうので、いくら何でも早すぎるわけです。でも博物館は9:00からやっているところが多いので、東京国立博物館にでも行こうかなぁと思っていたのですが、参加者多数につき受付時間が繰り上がったので、あんまりのんびりしていられないぞということで葛西の地下鉄博物館に行くことにしました。ここには子供の頃に行ったことがあるはずですがよく覚えていません。

というわけで当日は朝5時に起き、6:40の新幹線に乗りました。前日は結構早く寝ることができましたし、新幹線の中でも1時間くらいは寝てたので、体調的は何ら問題がありませんでした。当然ですが飛行機よりもよく眠れますね。


文字どおり一番乗りで、記念にガラガラの車内を撮影しました


京都停車中

定刻どおりに東京へ着き、ひと駅分(とはいえ普通の駅間の半分くらい?)の大手町まで歩き、東西線に乗って葛西へ向かいました。ご存知のとおり東西線は途中から地上に上がるのですが、そのような風景はぼんやり記憶があったので、子供心にインパクトがあったのでしょう。今となっては全く珍しくありませんが。御堂筋線も地上を走りますしね。

地下鉄博物館がオープンするのは10時ですが、葛西にはもっと早くに着いてます。覚えていることはないかと当たりを少しウロウロしていましたが、やはり記憶にはありませんでした。まぁ四半世紀以上前のことですしね……。
オープン前にもかかわらず多数のお子様が待っていて、私はあとの方から入りました。切符の券売機みたいなの(普段切符買わないのでよくわからないですが)で入場券買って係の方に見せると、改札鋏で凸型の印を入れてくれるという粋なサービスがありました。

中に入ってみると、1/3が歴史スペース、1/3が地下鉄の工事の仕方とメンテナンスの仕方、1/3がジオラマやシミュレーターという感じでした。歴史目当てな私としては物足りない感じでしたが、あれだけお子様が集まってきているとコンセプトとしては成功しているのでしょう。


最初の地下鉄 銀座線1001号車


昭和初期? の路線図。一番萌える写真だったので、大きめに掲載しておきます。クリックすると拡大します。なんか226事件で出てくるところが多くないか? とか思ってました

11:30頃出て東西線に乗り、有楽町で日比谷線に乗り換えて六本木に行きました。いつもは大江戸線だったので、日比谷線の楽さがよくわかりました。大江戸線みたく地下深く潜らないですし、出口一本で六本木ヒルズに着きますし、最高じゃないですか。

ちょうど上がっていく人たちがいたので、合流してセミナールームまで行きました。実際のイベントの内容は後日(というか来週水曜日)にUbuntu Weekly Recipeに掲載されるはずなので、それをお待ちください。
ちなみに私は普通に申し込んだ枠で入場し(ちなみにスタッフ枠と特別枠もあった)、特に発表もしなかった純然たる一般参加者だったのですが、いきなり乾杯の挨拶をしたりしました。


瞬殺されたからあげの、健在の頃の写真


オードブルは前と内容が変わってました

日経Linux編集長の岡地さんと初めてお会いし、いろいろとお話をお聞きました。とりあえず売れているということで、とても安心しました。7日まではまだ店頭にあるので、買ってない方は今すぐ書店にダッシュですよ!!
gihyo.jpの高橋さんともお話しましたが、ちょっとここに書ける内容ではありません。まぁいろいろありますわ。Software Design編集の金田さんは私の横にお座りだったのですが、超絶お仕事中で、私の原稿も編集していたらしく、著者校が出来上がったことをその場でお聞きました(笑)。Software Designってフリーダムで楽しい雑誌ですよね。

終わったあと、参加者を募って月島にもんじゃを食べに行きました。月島まで大江戸線で一本なんですよね。
今回が3回目で、毎回違う店に行ってますけど、結構いろいろと違いがあってどこに行っても楽しくておいしいなぁと思いました。
時間の関係で90分ぐらいしかいなかったのですけど、5人で食べて一人頭2000円を切っていたので、なかなかにリーズナブルでした。


いろは(店名)の製作中サッポロもんじゃ。これは大当たりでしたね

ツアーの日帰りは今回が初めてだったのですが、朝早くても眠れますしなかなかよいなと思いました。
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小樽観光をした話

2016年07月02日 19時21分24秒 | 日記
OSC北海道の次の日は何をしようかと考えましたが、小樽旅行にしました。
理由としては、札幌からすぐ近いこと(ただし帯広の距離感で)、あまり行ったことがないこと、北海道としてはわりと歴史的な建造物が多いこと、鉄道ひとり旅に出てきた小樽総合博物館に行ってみたかったことが理由です。

行く1ヶ月ぐらい前に親に電話したところ、5月上旬に小樽観光したばかりということで、本当に小樽にするか迷ったのですが、やっぱり押し通すことにしました。

6月19日当日は、母と祖母が帯広から来てくれることになり、午前10時頃私が宿泊しているホテルに来てくれました。しかもホテルが北24条にあるため、札樽自動車道に乗ると小樽はすぐそこなのです。いやあ、いいホテルを取ったものです。何も考えてなかったんですけど。

いちおうカーナビはあったものの、道に迷って最初に着いたのは小樽祝津パノラマ展望台です。ここでデジカメにSDカードを入れ忘れていることに気づきました。

ご覧のとおりとてもきれいなところで、行ってよかったです。

続いて本来の最初の目的地である小樽貴賓館に行きました。牡丹と芍薬が見頃ということだったのですが、牡丹はすでに終わり、芍薬が少し咲いているだけでした。また、本来は中に入って見たかったのですが、時間の都合上結局食事だけにしました。

無料エリアから有料エリアを見たところ(身もふたもない)


大変おいしゅうございました。いい値段しましたけど、お金出したの私じゃないんで……。

その次に向かったのが小樽総合博物館ですが、手前のホーマックで無事にSDカードをゲットしました。
小樽総合博物館に入ったのは私一人で、2時間弱いたのですが、とても全部見られた気はしません。

回転台とか初めて見ましたよ


1952年製スハフ44 1


現金輸送用のマニ30。私と同い年


マニ30の外見


ED76。テキトーな写真


C55。これもテキトー


見えないと思いますけど、私の好みの日本語Bi-Diです。「蝦夷」が"YESSO"になってるので、昔は濁らなかったのかも知れません


音更線ってなんだよ!!

さらに向かったのが日本銀行旧小樽支店金融資料館です。去年見た小林一三のドラマに古い銀行が出てきて、実際どんなところか行ってみたくなったのです。そういえばブラタモリで、小樽には古い銀行がたくさん残っているので、その中で博物館っぽくって普通に入れそうなところ……と調べてみるとここだったので、ちょうどよかったのです。

いやあ、期待以上に最高だったといわざるを得ません。やっぱり銀行にはカウンターがないといけませんし、金庫にも入ってみたいです。日銀がやっているなら古い紙幣もみたいじゃありませんか。建物は明治45年建築で、しかも辰野金吾の設計ですから、文句のつけようもありません。このすべてが満たされる奇跡の場所でした。
ちなみに祖母も一緒に行ったのですが、昭和21年に発行された1円札に見覚えがあるということで、昭和3年生まれはマジパないなと思ったわけです。


日本銀行旧小樽支店金融資料館の外見


日本銀行旧小樽支店金融資料館の中その1


日本銀行旧小樽支店金融資料館の中その2


カウンターの中から入り口を見たところ。最高!!


金庫に潜入。1000億円!!


元支店長室から元応接室を見たところ。当時のガラスですよ!!


かかりのお姉さんご推薦の蝶番! これも当時のもので、日本には製造する技術がなくて輸入品とのこと


自分用おみやげのボールペン


同じく自分用おみやげのストラップ

祖母が何でもかんでも和暦で話をするため、皇紀というものに聞き覚えがないか聞いてみたのですが、どうも記憶になかったようです。しかし皇紀2600年(昭和15年/1940年)にはそれをお祝いするパレードを行った記憶があるということで、驚いてしまいました。プロパガンダとはいえ、ど田舎でもそのような行事が行われたことから、祝賀ムードが伝わってくるというものです。まぁそもそも皇紀自体が多分にプロバガンダなわけですが。

閑話休題。この近くには同じく元銀行だった建物がたくさんあるというのはブラタモリでやってたとおりですが、現在はお土産物屋、レストラン、ホテルなどなどとして活用されており、入るだけであればそれほど難易度は高くなさそうです。なお、ブラタモリで旧三井銀行に行ってましたが、あれは当時石屋製菓の所有だったものの、現在は手放してニトリが所有し、美術館になるんだそうです。わりと行きやすくなりますね。

金庫の中では1億円相当の札束と同じ重さのもの(多分神だけで刷ってないもの)を持つことができたのですが、祖母が大はしゃぎでした。だいたい10kgだそうです。

わりと暇だったからか、係のおば……お姉さんにいろいろ話をお聞きすることができ、1時間ぐらいいるつもりが1時間半ぐらいいました。地下がボイラー室になっていて、オイルショックの前後ぐらいまで石炭を焚いていたなんて、お話をお聞きしないと絶対にわからない事実ですよ。

帰りに、自分用に使用済みの紙幣の破片が入ったボールペンとストラップを買いました。こういうおもしろグッズ好きなんですよねぇ。

とりあえず見たかったところはこれでおしまいというわけで、適当に車を止めて(路上駐車したという意味じゃないですよ)運河の方に歩いていきました。

誰がどう見ても小樽の運河という面白くもなんともない写真

あとは特になかったのでぐるっと散歩して札幌に戻ってきました。母と祖母は私と同じホテルを取っていたので、チェックイン後しばらくまったりしてごはんをどこに食べに行くか話をしていたわけですが、とりあえず近くを歩いて適当な居酒屋さんに入ったのですが、とても美味しくて満足しました。昔ほど食べられなくなったのに、たくさん食べさせようとする祖母には辟易としましたが、そんなもんなのかなと思います。

ここからあとは楽しい話はまったくなく、深夜に腹痛で目覚めてえらい目に会い、飛行機に乗る前にはポカリとアクエリアスの500mlをそれぞれ1本日しか口にできないというしんどい(北海道弁でいうところの「こわい」)状態でした。飛行機の中では超爆睡だったのですが。

敗因は気温を見誤っていたことと、全体的にあまり眠れなかったことだと思います。次にOSC北海道に参加しても懇親会には参加せず、適当にラーメンでも食ってさっさと寝ないとダメだなと思いました。
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