朝、エリザベス猫を見た。かの国の女王陛下の在位60年を、
ものすごい形相(ぎょうそう [1])で祝っているのだ。
■ 森本敏は、江藤淳の「弟子」
今度防衛大臣になって、民間人でいいのかとかなんとかうわさになっている森本敏さん。
典型的な親米保守なんだろうとお思いの方も多いだろう。
すかすながら、その森本敏さんが自ら言っている;
「私にとって故江藤淳教授はいろいろな意味において唯一の恩師であった。」
森本敏、『安全保障論』、PHP、 2000年 (Amazon)
それにしても、いろいろな意味において唯一って、具体的にはどういうことなんだろう?
その江藤淳は、森本敏さんも寄稿している、『日米安保で本当に日本を守れるか』(Amazon)で言っている;
(下記、吉田さんは、もちろん、吉田茂である)
(前略;サンフランシスコ講和条約の署名のあと) そして同日午後、米第六軍司令部の所在地であるプレディオという建物で日米安保条約の調印をすることになったのですが、そこに行った日本全権は、吉田さんの強い意向で吉田さんただ一人だった。ほかの全権たちは遠慮して行かなかったのではない。吉田さんが同行を求めなかったのです。吉田さんは、自分が一身に責めを負おうという気持ちだった。
国を売ったかもそれない条約にサインをするのは、自分だけでよい。将来、墓を暴かれて五寸釘を打たれ、国賊として永久に恨まれなくてはいけないような、呪われなくてはならないようなことを自分をしているかもしれない。そのような条約にほかの全権を巻き添えにすることはできないから、自分一人で調印しよう、そう思った。帰国するときも、日本国民は何というか、だれも迎えにこないのではないか、罵倒されるんじゃないか、と心配しながら帰ってきたという。
ところが、日本人は敗戦ぼけというか、あるいは占領がやっと終わるということの喜びのほうが強かったのか、吉田さんが売国条約かもしれないと危惧する安保条約に対して、それほどの反対は起こらなかった。.... (強調;いか@)
そして、淫売国家ぬっぽんがはずまったのだ。
別においらは、揶揄しているわけではない、死ぬよりは、身を売って生きながらえようとする「真摯な」生きようとする意志を、誰が嗤うことができようか! 戦後日本とは、売国による生存を選択したのだ。そして、その生存は暖衣飽食、あるいは、夏は冷房飽食。でも、まぬけなので原発を維持管理できず、冷房飽食が危ないのだ。
ただ、そんなおクニに生まれたおいらは、仏教の摂理に照らして、前世でどんな悪いことをすたんだべ?と思いだそうとするだけである。
▼アル中の宮様が亡くなられた。ご冥福を。
おいらも毎晩、さけっこくらっているので、気をつけよう。 もつろん、この愚記事も、いっぺーやりながら書いている。
▼まとめ
1926年生まれ 1933年生まれ 1946年生まれ 1941年生まれ
84歳・長生き 66歳:自死 66歳:親不孝 71歳・長生き・恩師孝行?
[1] アリストテレスの「形相」(エイドス){wiki}とは違う。 難しいな、ぬほん語。
cf: ぎょうそう