四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

小松姫の墓 -勝願寺-(埼玉県鴻巣市)

2016年12月01日 | 神社仏閣


NHKの大河ドラマ「真田丸」も間もなく終えようとしていますが、主人公真田信繁(幸村)の
義姉(信繁の兄信之の室)稲姫こと小松姫の墓が鴻巣市本町地内の「勝願寺」にあるとのことで訪ねてみました。

勝願寺は、山号を天照山、院号を良忠院と称し、文永年中鴻巣市登戸(現真言宗勝願寺)に創建したと伝えられるようです。
本来は浄土宗の寺院であったものが、
いつしか真言宗の寺院となってしまったことから、天正年間に僧惣誉清巌が浄土宗の名跡を残すため当地で浄土宗勝願寺として
中興しました。それが今回訪問した鴻巣市本町地内にある「勝願寺」です。寺領30石の御朱印状を拝領した他、松平秀康が
結城から越前へ移封する際に、結城で使用していた御殿を拝領しています。また多くの大名家の菩提寺となっていた他、関東
十八檀林の一つとして数多くの末寺を擁していました。清巌上人は当寺を隠居後、岩槻に隠居寺浄国寺を創建しています。

鴻巣への鷹狩りの際に勝願寺を訪れた徳川家康は、中興二世円誉不残上人に深く感銘を受けて帰依し、三つ葉葵紋使用を許可しました。

現在の建物は、総門以外は明治15年の大火で焼失したため再建とのことです。




「檀林 勝願寺」と刻まれている石柱と総門
檀林(だんりん)とは、仏教寺院における僧侶の養成機関、仏教宗派の学問所




総門には「栴檀林」(せんだんりん)の文字の扁額が掲げられています。




参 道
小松姫の幟が何本も立てられています  ここだけでなく市内のいたるところに立っているようですが、大河ドラマ真田丸の文字もありますので真田丸が
終えたらどうするのでしょうか?まあ余計なお世話ですし、大河ドラマの文字があろうとなかろうと小松姫ゆかりの地であることには変わりないわけですから・・・




風があってうまい具合には撮れませんでした これが精一杯




参道の途中右側に「秋野家累代の墓」がありますが、中に入ることはできません 外からですと塔頭の頭部分くらいしか見えません。




石戸領とは、現在の埼玉県上尾市北西部から鴻巣市南西部 にかけての地域のようです。北本市石戸地内にある石戸城跡も折を見て・・・




参道の突き当りにあるお堂「龍寿殿というようです」。このお堂にも三つ葉葵紋が多用されています。




仁王門と正対する位置にあるお堂 何というお堂かわ分りませんが廃屋(失礼)に近い状態になっています。




仁王門
明治15年(1882)の大火で焼失し、大正9年(1920)に再建された




仁王門 正面から




仁王門上部に掲げられた山号「天照山」の扁額




この仁王像は秩父・三峰神社から寄贈され移されたものとか




仁王像




仁王像




仁王門裏手から  門の向こうに名前の分からない廃屋に近いお堂が




仁王門あたりからから本堂を  この参道の長さを見ただけでも境内がいかに広いかわかります




近くに寄ってみました




右斜めから




左斜めから




本堂屋根の大棟に光る三つ葉葵紋  瓦の先端にも葵紋が入っています




本堂正面出入り口上部の彫刻 素材は漆喰か何かでしょうか




本堂内に掲げられている院号「良忠院」の扁額




堂内もいいたるところに三つ葉葵紋




老朽化したため取り壊し、新たに建築中の客殿 ほぼ出来上がっています




鐘 楼




本堂手前右側にあるに人形塚  毎年11月14日のお十夜にあわせて法要が営まれる。さすがは人形の町鴻巣




沢山の古い墓石  他にも沢山ありました  古いお寺だけにその数も・・・




芭蕉忌千句塚




これが今回の主目的である小松姫の墓  本堂の左手にあります




小松姫は元和6年(1620)春、病気を患い草津温泉での湯治のため、江戸から草津へ向かう最中にここ武蔵国鴻巣で亡くなった。48歳没。戒名は大蓮院殿英誉皓月大禅定尼
生前に同寺の二世、円誉不残上人(えんよふざん)に帰依した縁から、二女が一周忌の際に分骨した。本廟(ほんびょう)は長野県上田市にある。上野国沼田にある正覚寺にも分骨されている




相関図




真田信重の墓(左) と 小松姫の墓(右)




同 上




真田信重 1万7千石 埴科藩2代藩主 50歳没  




真田信重の室の墓




仙谷秀久の墓




仙谷秀久も鴻巣で亡くなったのですね




埼玉県指定史跡 伊奈忠次 忠治墓




説明板  この伊奈伊奈忠次 忠治も勝願寺には深い縁があるようです




古墳  でも古墳とは認定されていないような記事がありました




鴻巣公園 かつて(勝願寺が檀林として興隆した時代)は学寮が立ち並んでいた場所だったようでが、現在は、市民の憩いの場となっています。

墓地には、伊奈忠次 忠治墓のほか、地元では有名な方の(私は知りませんが)の墓が複数あるようです。

散策日:2016(平成28年11月27日(日)・28日(月)

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