四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

川窪(武田)氏ゆかりの陽雲寺

2023年10月03日 | 神社仏閣


上里町の「陽雲寺」を6年強ぶりに参詣してきました。前回は、金窪南城跡という城跡としての陽
雲寺を訪ねたものですが、今回は近くで行われた遺跡見学会の参加の帰りにちょっとだけ寄ったも
ので、特別な目的があったわけではありませんでしたが・・・

山 号: 崇栄山
院 号: ー
寺 号: 陽雲寺(よううんじ)
御本尊: 釈迦如来像
宗 派: 曹洞宗
所在地: 児玉郡上里町金久保701


陽雲寺説明板
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     陽 雲 寺
                           所在地 児玉郡上里町金久保701
 陽雲寺は曹洞宗の寺で、鎌倉時代初期の元久2年(1205)の創建と伝えられ、初めは唄樹山満願寺と称
したという。元弘3年(1333)新田義貞が鎌倉幕府打倒を祈願して不動堂を造立したことが寺伝にみられ、
以来、”新田勝軍不動堂”などと称され、室町時代には金窪城主斎藤氏の帰依が厚かった。天文9年(1540)
斎藤定盛が諸堂を修復し、寺名を崇栄寺と改めたが、天正10年(1582)の神流川合戦の兵火で焼失した。
 天正19年、金窪の城主となった川窪信俊は養母である武田信玄夫人を伴って入封し、信玄夫人は当寺の
境内に居住したが、元和4年(1618)に没した。信俊は、夫人の菩提を弔うため、その法号である陽雲院
をとって寺号を崇栄山陽雲寺と改称した。元和5年には徳川幕府から御朱印5石が寄せられている。
 なお、境内には県指定文化財となっている元禄銘のある銅鐘や、県指定旧跡となっている新田義貞の家
臣であった畑時能の供養祠などがある。
   昭和60年3月
                                     埼玉県・上里町

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川窪信俊の父信実は武田信玄の異母弟で、甲斐・河窪村を領したことから川窪(河窪)を名乗りま
した(長篠の戦で戦死)。その子である信俊は徳川家康の関東移封に伴い、香美郡・比企郡に知行
地を与えられました。
比企郡小川町上横田にある「輪禅寺」は、信俊が父信実を追善するために既にあった安養寺を廃し
て建立した寺で、信実の供養塔(墓は甲斐・恵林寺)
をはじめとして川窪氏累代の墓があります。


お約束の六地蔵尊


銅鐘  埼玉県指定有形文化財(工芸品) 昭和39年(1964)3月27日指定


陽雲寺 本堂
大棟の中央には「花菱」紋 武田氏の家紋である「武田菱」紋の裏紋・控え紋  陽雲寺の寺紋でしょう
左側には曹洞宗の宗紋である「五七の桐」紋(總持寺) 右側にはやはり宗紋である「久我竜胆」紋(永平寺)


寺号標(扁額)


百日紅と本堂


本堂の前に咲いている彼岸花


太郎坊宮


陽雲院殿乃墓 上里町指定史跡  昭和37年(1962)2月22日指定


中央の宝篋印塔が武田信玄の夫人である陽雲院殿の墓とされるものですが、陽雲院殿なる者が信玄
の夫人とするには疑問があるようですが、ここではそのことに触れずに置きましょう。


畑時能供養祠 埼玉県指定旧跡 昭和38年(1963)8月27日指定  ※中央に見える石祠


参道沿いの石仏・石造物


境内に咲く彼岸花に魅せられて・・・


群生もよいけれどこの程度の範囲に咲くのもこれまたいいですね。

参詣日:令和5年(2023)10月1日(日)

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