四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

竜谷山城(埼玉県毛呂山町)

2017年12月12日 | 100名城以外の城館跡


城 名:竜谷山城(りょうがいやまじょう)
別 名:要害山城
形 態:山城
時 期:室町時代か
遺 構:郭・土塁・空堀
指 定:県選定重要遺跡 (昭和51年(1976)10月1日選定)
所在地:埼玉県入間郡毛呂山町阿諏訪1561-2ほか

竜谷山城の歴史は明らかではありません。伝承によると阿弥和巳之助の居城ではないかと伝えられていますが、毛呂
氏の根城だったのではなかったと言われます。大永4年(1524)に上杉憲房が毛呂氏を攻めていますが、そのとき攻
めたのは毛呂氏館ではなく、この城であったともされ、毛呂氏の詰め城として機能していたようです。

城跡・雷電神社は、鶴ヶ島鶴ヶ島ゴルフ倶楽部(現在はオリムピックナショナルゴルフクラブWEST)内にありますが、
ゴルフ場内を町道が走っていますので、攻城・参拝には問題ありません。

冒頭写真は、ゴルフ場内の町道から撮った竜ケ谷山。




登城口は、埼玉医科大学の裏手にあたる阿諏訪地内の道路沿いにある「雷電神社」入り口の看板がある場所。
本来は雷電神社参拝用の道路入口であるようで、竜谷山城の名はどこにもありません。
城攻めをするには、ここに駐車して徒歩で行くか、このまま狭い道を車で雷電神社の駐車場まで行ってしまうかの
二通りがあるようですが、たいていの方は車で駐車場まで行ってしまうようです。




諸般の事情から無理ができませんので、自身も車でと考えたました。しかし、この狭い道を見たら対向車等があった
場合大変なことになると不安になり、徒歩での攻城に挑戦。




少し歩いたところで二又になります。両端に雷電神社と稲荷神社の石標が建っている右の道を登っていきます。




噂に聞きし(見た)看板  城攻めで神社にも参拝するわけですから通行に問題なし。しかもここは町道ですし。




しっかりと町道であることが併記された標識も建っています。




暫くはこんな道が続きます。これなら車の方がよかったと悔やんでも遅かったようです。




そして、これまた城好きな方の間では有名なゲートが見えてきました。
やっとの思いで坂道を上ってきましたがここがゴールではありません。新たなスタート地点です。




施錠はされていませんので自分で開けて自分で閉めて・・・閉め忘れをしないこと




トンネルを抜けるとそこは雪国だった。とは川端康成の「雪国」
ここの場合は、ゲートを入るとそこはゴルフ場だった。来る前から分ってはいましたが。
町道はゴルフ場に入っても続いています。




車両は直進、歩行者は右折して再び坂道を。
正直なところ、駐車場はゲートを入ったすぐのところにあるとばかり思っていましたから、この時はまだ、車の場合は
更に直進するということは知りませんでした




それほど急な坂道ではありませんが長いとさすがにきついです。神社への参道のようです。




こんな感じで坂道が続きます。




この景色はやはり阿諏訪地内かと思いますが、随分、高い所まで登ってきたのが分ります。




続いては石段の坂道を2か所ほど




この石段を登り切れば・・・




先のほうに鳥居が見えます。ここは参道になっているようですが、かつての郭跡
人によって郭名称(〇郭の数字)の呼び方がが違うようですので、ここは「三の郭」と仮称しておきます。




鳥居の先に見えるのが社務所のある二の郭(仮称)のようです。




更に近づきました。右上に見えるのが社務所  左に見えるのが帯郭?単なる道か?




石段から上がって来た参道(三の郭)を振り返って見ますと広く長いことが分ります。




再び二の郭(仮称)のほうに目をやりますと、虎口(?)の手前に犬走りのような跡が見られます。




二の郭(仮称)跡  左に神楽殿 右に社務所




二の郭奥から東方を見ています。左側に階段の一部が見えますが、本郭への階段です。

長くなりますので、続きの本郭以降は「竜谷山城(②」として投稿します。

攻城日:平成29年(2017)11月9日(木)

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