四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

金子十郎家忠館(埼玉県入間市)

2018年08月17日 | 100名城以外の城館跡


城 名:金子十郎家忠館(かねこじゅうろういえただやかた)
別 名:金子氏館
形 態:居館
時 期:鎌倉時代初期?
築城主:金子十郎家忠
城 主:金子氏
遺 構:―
指 定:市指定文化財(金子氏一族の宝篋印塔付位牌 昭和47年〔1972〕11月20日指定)
現 状:霊園
所在地:埼玉県入間市木蓮寺

金子十郎家忠は武蔵七党の村山党に属し、保元の乱より壇ノ浦に至る源平合戦に加わり数々の戦功をたてた。

更に家忠について、金子十郎家忠一族の墓所に掲げられている「金子十郎家忠の墓」説明板より転記引用 

家忠は保元の乱(1156年)や源頼朝の挙兵(1180年)などを中心に活躍した鎌倉初期の武将である。19才で保元の
乱に出陣して敵の大将鎮西八郎の部下で鬼神といはれた高間三郎、四郎を討ち、その名を天下にひびかせた。
治承4年(1180年)の源頼朝の挙兵のときは畠山重忠とともに衣笠城を包囲して三浦大介義明を討破った。この戦で家忠
は身体に21本の矢をうけたが、それにひるまず戦功を重ねた。また源義経に従って多くの戦巧をあげ、武蔵、伊豆、下総の
地頭を歴任した。家忠が30才になった仁安3年(1168年)に社殿を造営して武運長久を祈ったが、これが白髭神社の始
めだといわれている。
保延4年(1138年)に生れ建保4年(1214年)2月17日にこの世を去っている。
昭和43年3月
                                       入間市教育委員会
                                       木蓮寺長寿会

金子氏は、武蔵七党のひとつである村山党の庶流。武蔵国多摩郡村山を領した桓武平氏の流れをくむ村山(平)頼任が村山党
の祖となり、その孫である家範が武蔵国入間郡金子(現在の埼玉県入間市金子)に住み金子を名乗ったのが始まりで、家忠は
家範の二男です。




金子十郎家忠館があったとされる瑞泉院入口
一応、瑞泉院入口としましたが現在は写真のとおり「入間霊園」となっています。




参道前には「入間市指定文化財 金子十郎家忠一族宝篋印塔入口」と書かれた大きな看板が




参道入口




参道入口に立つ二基の石標のアップ
左:「関東武士 金子十郎家忠公之墓所」とあり 右側に「全国かねこ姓の発生地」とあります
発祥地ではなく発生地としているのが微妙です。※発祥地とは、初めて起こりあらわれた地
右:「曹洞宗 武州金子郷 金龍山木連寺瑞泉禅院」とあります




駐車場方向を示す標識にも「入間市指定文化財 金子十郎家忠一族宝篋印塔入口」とあります




駐車場から霊園登り口を  右側に「入間市指定文化財 金子十郎家忠宝篋印塔入口」の標識
右上に見えるのが千体地蔵塔の一部

この瑞泉院、名はあるものの本堂や庫裡といった寺院の建物が見当たりませんでした。ある建物といえば霊園関係のもの。
詳細は知りませんが、宗教法人であった瑞泉院は破産したため、公益財団法人が墓地を引き継ぎ管理しているようです。




階段脇に貼られている「入間市指定文化財 金子十郎家忠宝篋印塔入口」の標識




階段を上がったすぐの所にある千体地蔵塔




右手のほうに見える金色の大きな観音菩薩像
いわゆるお寺のお墓といった雰囲気は全くなく、完全に霊園に成り切っている感じです。




更に階段です




墓地に上がって行くと左方に石標が見えます




「金子十郎家忠一族墓」と刻まれています




裏面には「昭和廿五年五月 金子信雄」と刻まれています  後裔の方が建立したものでしょう
トラックが見える場所が駐車場  ここから見てもこの場所が高台にあることがよくわかります




石段の先に金子十郎家忠一族の墓所があります




金子氏一族の墓所に向かう途中の左手にある供養塔 誰の者かはわかりませんが、金子一族とは関係ないようです




石段の前に建つ大きな石灯籠
この2基の石灯篭は、徳川氏の菩提寺・増上寺にあったもので、各地の大名が寄進したものですが、西武鉄道が増上寺の土地
の一部を買収した際、徳川将軍家の霊廟の建物の一部とともに数百基に及ぶ石灯篭を所沢市内に移設。その後、寺院を中心に
各所に寄進されましたが、そのうちの2基です。左側の石灯篭の前に灯籠を西武鉄道から、礎石を堤氏から贈られた旨の小さ
な石標が建っています。

本題とはかけ離れた話ですし、金子氏館・墓所に直接関わることではないの
で細かなことは省きます。




石段を上がった正面には歴代住職の墓の無縫塔が並んでいます




金子十郎家忠一族位牌堂




金子十郎家忠一族墓所は覆屋で保護されています




覆屋横に掲げられている「金子十郎家忠の墓」説明板  残念なことにコンクリートブロックで一部が隠れてしまっています
この説明板の文面を冒頭に転記引用しました




金子氏一族の墓所を横から




「金子氏一族の宝篋印塔付位牌」説明板
入間市の指定史跡になっているのはこの金子氏一族の宝篋印塔付位牌であり、金子十郎家忠館が指定されているわけではあり
ませんが、館跡の説明が皆無です(説明しようにもそれに関する史料や遺構がなくては無理ですが)




正面から




金子氏一族の宝篋印塔(墓)どれが誰のかはわかりません




墓所の背後から霊園を見下ろしています




霊園内の高所から

館跡の遺構は全くないようですが、館を構えるに適した場所であったことは確かなようです。




金子十郎家忠館跡のすぐ東側にある桂川神社




桂川神社由緒
赤城神社の項では 健保年中金子十郎家忠を祀る云えり(1213)
雷電神社の項では 金子十郎家忠軍中守護の為歓請すと申し伝えり
 



社殿

散策日:平成30年(2018)6月14日(木)

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。