四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

苦林野古戦場(埼玉県毛呂山町)

2017年12月09日 | 古戦場・陣所


苦林野合戦(貞治2年(1363))は鎌倉街道沿いに広がる苦林野(さらに東松山市の岩殿山)を舞台にした合戦です。
越後守護職を巡って反乱を起こした芳賀禅可・高貞とそれを鎮圧する鎌倉公方足利基氏の対立により起きた戦いです。
なお、供養塔の近くには戦死者10人をまつるという十社神社があります。この苦林では文明年間に起こった長尾景春
の乱でも、景春与党の矢野兵庫助が河越城攻めに際して布陣しています。
             (改訂歩いて廻る「比企の中世・再発見」の”苦林野合戦供養塔”の項から抜粋引用)

毛呂山町の苦林野古戦場跡と推定される場所、及び、関蓮する場所を散策してみました。この苦林野合戦は岩殿山合
戦とも言われるようで、この合戦に際し、足利基氏が築いたとされる「足利基氏館(足利基氏塁)」跡が、東松山市
岩殿の弁天沼近くにあります。

冒頭の写真は、苦林野古戦場之遺跡碑、苦林野合戦供養塔が建つ苦林古墳(大類1号墳)。手前が方墳、奥が円墳です。

名 称:苦林野古戦場
時 代:貞治2年(1363)
指 定:県指定旧跡(昭和36年(1961)9月1日指定)
場 所:埼玉県入間郡毛呂山町川角2239ほか

名 称:苦林古墳(大類1号墳)
墳 形:前方後円墳
時 代:6世紀末から7世紀初頭
指 定:町指定記念物史跡(昭和39年(1964)5月1日指定)
場 所:埼玉県入間郡毛呂山町川角

名 称:苦林野合戦供養塔
時 代:文化10年(1813)
指 定:町指定有形民俗文化財(平成27年(2015)3月19日指定)
所在地:埼玉県入間郡毛呂山町川角




大類1号墳を横から




後円部  頂きに建っているのが苦林野合戦供養塔




古墳頂に上がっています  前方部頂に立っている説明板、苦林野古戦場之遺跡碑 奥(後円部)に供養塔が見えます。




説明板  最近建て替えられたようですね。




苦林野古戦場之遺跡碑  碑文は読めませんね




碑の頭部だけでも 




供養塔前面 
千手観音像が彫られています




供養塔背面 
読めませんが、貞治4年(1365)6月17日にこの地で、足利基氏、芳賀禅可両軍の戦があったことが刻まれているようです。




大類運動場近くのこのあたりが苦林野合戦が行われたと推定している古戦場跡




神明台の庚申塔・馬頭観音  延享2年(1745)の庚申塔や馬頭観音が並んでいます。




十社神社  
苦林野合戦で足利基氏方で戦死した武将、金井新左衛門ほか9名の英霊を祀ったといわれ、古くは十首明神と称された
そうです。境内には大類古墳群の円墳が残り、合戦の戦死者のお墓という言い伝えがあるようです。




十社神社社殿

今回も毛呂山町歴史民俗資料館にはお世話になりました(多謝)

散策日:平成29年(2017)10月31日(火)・11月9日(木)

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