四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

入間川御所(埼玉県狭山市)

2018年10月23日 | 古戦場・陣所


名 称:入間川御所
別 名:入間川御陣、入間川陣城
形 態:陣所
時 期:正平8年/文和2年(1353)
築城主:足利基氏
城 主:足利基氏
遺 構:―
指 定:―
現 状:徳林寺ほか
所在地:埼玉県狭山市入間川2丁目付近

入間川御所とは、正平8年/文和2年(1353)に鎌倉公方足利基氏が武蔵国入間郡入間川に設置した宿営地で、観応の擾乱後に
上杉氏勢力に対抗するため、9年間(12歳頃~18歳頃まで)にわたって鎌倉府がこの地に移されました(薩埵山体制)。
入間川御所が設けられることになった詳細については省略しますが 入間川御陣の正確な所在地は不明のようで、現在の埼玉県
狭山市入間川にある徳林寺付近から狭山八幡神社付近など数箇所が候補に挙げられているようです。
そんな入間川御所の候補地とされる徳林寺・八幡神社を訪ねてきましたが、場所の確認はできたものの遺構があるわけではあ
りませんので、いつものように社寺めぐりの形になってしまいました。




霞野交差点から狭山市駅寄りの最初の路地にある徳林寺入口の看板




徳林寺裏門




筋塀に沿って行くと




山門(楼門)の前にでます  お約束の六地蔵尊も入れておきました




山門  山号「福聚山」の扁額がかかっています




本堂




寺号「徳林寺」の扁額
大香炉と本堂入口のガラス戸に「五三の桐紋」 徳林寺は曹洞宗のお寺ですので、曹洞宗の宗紋(総持寺の桐紋)かと思いま
したが曹洞宗の宗紋は「五七の桐紋」ですからちょっと違いますね。ということは徳林寺の寺紋?




社務所・客殿・庫裡




地蔵六角堂




鐘楼




徳林寺の文化財案内板




薬師堂




徳林寺不動尊と観音堂への階段
徳林寺墓地裏の高所にあります。徳林寺の看板の所を本堂方向に来ず、その坂道を登ったところにあります。




参道ふたつ目の石段




徳林寺不動尊(福徳院)




観音堂と大観世音菩薩像  大観世音菩薩像の背後に市立図書館があります




同上




徳林寺の中興開基綿貫家の墓所。綿貫家は江戸時代に栄えた豪商




徳林寺不動尊境内から徳林寺本堂を見下ろす

河岸段丘の要害地形のこの場所は、今は高い建物が建っていますので街道や入間川は見えませんが、往時は良く見渡せたこと
でしょうから陣所として適していたでしょう
徳林寺不動尊境内から徳林寺本堂方向を見下ろしています




徳林寺とともに入間川御陣の候補地とされる(狭山)八幡神社
八幡神社社殿  境内には八幡神社の他にも数社が祀られています
ここも高台に位置しますのでやはり陣所に向いているかもしれません




史蹟 新田義貞駒繋ぎの松  (愛馬を繋いでおいた松)
足利基氏が入間川御陣を構える以前の元弘3年の元弘の乱のとき、新田義貞がここ入間川を陣所にしていたようで、鎌倉幕府
軍との小手指ガ原の戦いで決着がつかず一旦入間川に退陣したといわれています。
義貞が八幡神社を参拝の折に駒を繋いだようです。

神社を見て回ることが主目的ではなく、陣所跡推定地の確認ですので神社の縁起や他のの神社は載せていません(手抜きです)

散策日:平成30年(2018)8月19日(日)・29日(水)

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