四季・めぐりめぐりて

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笛吹峠古戦場(埼玉県嵐山町・鳩山町)

2018年10月30日 | 古戦場・陣所


名 称:笛吹峠古戦場
概 要:正平7年(1352)、新田義宗(新田義貞の三男)と足利尊氏の最終的な決着がついた「笛吹峠の戦い」が行われた場所
指 定:嵐山町指定史跡(名称:笛吹峠 昭和37年〔1962〕9月1日指定)
遺 構:―
所在地:埼玉県比企郡嵐山町・鳩山町

鎌倉街道上道の嵐山町と鳩山町の境にある笛吹峠を訪ねてみました。
何度も行ったり通っている峠ではありますが、今回は、「笛吹峠の戦い」が行われた場所という観点から。




嵐山町側から見る笛吹峠
町境が「林道将軍沢線」の終点




嵐山町側を振り返って
アスファルト舗装で整備されていますが狭い道です。ひっきりなしに車の往来があります。
道路工事をした際に人骨が大量に出土したそうですが、激戦が行われたことを裏付けているようです。




鳩山町側から見る笛吹峠




「史蹟 笛吹峠」石碑




笛吹峠の大きな標識板と説明板




標識板




  笛吹峠
笛吹峠は、嵐山町と鳩山村の境にある峠である。峠を起点として、坂東10番の岩殿観音から同9番の慈光寺観音へ続く東西の
道は、巡礼街道と呼ばれ、この峠を南北に貫く道が旧鎌倉街道で、かつて、数多くの武士団等が往き来した所であった。
正平7年(1352年)閏2月、新田義貞の三男、義宗等が宗良親王を奉じて武蔵野の小手指が原で足利尊氏と戦ったが、最終
的に結末がついたのがこの峠の地であった。新田義宗等は越後に落ちて行き、足利尊氏はこれ以後関東を完全に制圧していった。
「笛吹峠」の名称については、この敗退の陣営で、折からの月明りに宗良親王が笛を吹かれたことから命名されたという伝承が
ある。
なお、この付近は、遠く奈良時代に窯業の中心として栄え、武蔵国分寺瓦の大部分がこの付近で焼かれ、その古窯跡が虫草山を
はじめ須江・大橋・泉井などの山間部に多く見られる。
笛吹峠から、はるか北方に上州の山々、西方に秩父連山、南方に広い関東平野が遠望され、風光明媚な歴史の地である。
                                       埼玉県

関東を舞台とした足利対新田の戦いであるいわゆる「武蔵野合戦」の最終的な合戦が、ここ笛吹峠で行われたとのことす。
説明板にある上州の山々、秩父連山、関東平野は残念ながらちょっと望めない環境になって居ますが・・・




ハイキングコースでもあり、四阿、トイレも整備されています。




鎌倉街道と巡礼街道の交差状況です
南北に走るのが鎌倉街道 東西に走るのが巡礼街道




見る位置を変えて  岩殿観音方向入口から




岩殿観音方向への林道




慈光寺観音方向への林道  今も慈光寺まで続いているのかは確認していませんが




鳩山町側は「笛吹通り」と名付けられています




笛吹通りを下って行くと「至笛吹峠」の標識




「羽黒堂」(はぐれどう)  鳩山町奥田地内で笛吹峠入口に当たる場所あります
昔、お歯黒をつけた大将の首を埋めたとか、また家来とはぐれたために矢で射られた大将の首を埋めたとか色々な伝承があるようで
すが、笛吹峠の合戦とは関係なさそうです。




大橋交差点の少し手前に設置されている「鎌倉街道(上道)のみちすじ}の案内板




〇印した⑧の所が笛吹峠  右下にはイラストも

散策日:平成30年(2018)9月12日(月)

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