四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

滝の城跡(埼玉県所沢市)

2014年12月19日 | 100名城以外の城館跡


埼玉県指定史跡  滝の城跡

 滝の城の歴史

滝の城は平山城式の城で別名本郷城といい、戦国時代に築かれ、築城者は当時武蔵国の多摩・入間・高麗郡を支配した大石氏である。
14代遠江守定久(法名道俊)の時、主君の上杉憲政が天文15年(1546)4月20日の河越夜戦で小田原の北条氏康と戦い敗れたため、定久は氏康に降り
氏康の二男氏照を養子として家督を譲った。以来滝の城は北条氏照の持城となり、永禄7年~天正5年(1564~1577)の氏照の野州(栃木県)出兵には
滝の城は陣揃の地になったといわれている。氏照はその後、天正15年に八王子城に移ったので、滝の城は八王子城と北関東を結ぶ重要な連絡地点となった。
しかし、天正18年(1590)7月小田原落城後は関東一円が徳川家康の領国となったので、滝の城は廃城となった。
そして、城地の主要部は保存され今日にいたっているのである。         (現地 滝の城保存会の掲示板に備えつけの配布用パンフレットから抜粋)




上記パンフレットに併記の図面


11月に「山中城」(静岡県三島市)、「鉢形城」(埼玉県寄居町)と、後北条氏に縁の城を攻城しましたので、
引き続き後北条氏に縁ある城ということで、埼玉県所沢市にある「滝の城」を攻めてきました。




ここから滝の城跡を攻めました。三鱗の紋が入った幟が迎えてくれます。これぞ後北条氏の城の証し。




滝の城跡の案内板ですが、上記パンフレットの図面が役立ってくれます(自身は図面に見ずに歩き回りましたが)






案内板のすぐ裏側にある「二重堀」跡




城山神社社務所と社務所前に設置されている「滝の城跡保存会」の掲示板 この掲示板のポストの中にパンフレットが入れてあります




「二の丸」跡






「二の丸」西側の空堀






「三の丸」跡 別名『茶呑み郭」




「馬出」跡




「三の丸」と「本丸」の間にある空堀




「本丸」下の空堀




「本丸虎口」跡




「帯曲輪」跡? ちょっと自信がありませんが




「物見櫓」跡




「城山神社鳥居」 ここを登ると「本丸」跡に城山神社が




「本丸」跡




本丸跡には城山神社が建てられている




「瀧之城本丸之趾」碑




「滝の城説明版」






四脚門跡




本丸跡からJR武蔵野線方向を望む<

この「滝の城」は2010年1月に初攻城をしており、今回は再攻城になります。
「山中城」、「鉢形城」に比べれば規模は小さい城跡ですが、空堀等の遺構が良く遺っているようです。
陽が落ち始めていましたので、夢中で撮ってためにどの写真がどこかわからなくなってしまいました。

攻城日:2014(平成26)年12月19日(金)            

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