四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

熊井城(埼玉県鳩山町)

2017年12月10日 | 100名城以外の城館跡


城 名:熊井城
別 名:城添遺跡・内藤氏陣屋
形 態:館
時 期:不明
指 定:-
所在地:埼玉県比企郡鳩山町熊井・妙光寺

時代が異なる館跡と陣屋跡があると言われる鳩山町の妙光寺を訪ねてみました。
妙光寺は、県道41号(東松山越生線)を鳩山駐在所方向から越生町大谷方向に行く途中の右側にあります。




本堂




本堂前に建立されている縁起の石碑

真言宗智山派 熊井山 妙光寺
ご縁起
当山は鎌倉中期の文永元年(1264)に根来寺(和歌山)の大伝法院で真言密教を修めた名僧竺翁が、開かれたお寺で
あります。地方の有力な郷士熊井氏の強い懇願によるもので、一時は熊井氏をはじめとする地元の有力な氏族の菩提寺
として、大いに繁栄しました。
平成10年には、当山は「城添遺跡」として、鳩山町教育委員会によって本格的な発掘調査が行われました。その結果、
熊井城跡と称される館跡(年代は不明)と土塁の一部や、また江戸時代の領主であった内藤氏が延宝7年(1679)に築
いた陣屋跡などが発見されました。
また遺物も百余基にわたる板碑(板石塔婆)や日本六古窯の一つ常滑焼き(愛知県知多半島)の蔵骨器など多数発見さ
れ、当時の繁栄ぶりを物語っています。
本尊の大日火炎不動明王は千百年を経た由緒正しき仏で・・・(以下略)
平成18年9月 住職 坂入弘恵

とあります。
熊井氏とは熊井太郎忠基のことで、ここ熊井城に居城し、源義経に仕え、壇ノ浦の合戦にも参加したという人物のよう
です。
また、内藤氏とは内藤式部少輔正次のことのようです。




上記縁起の石碑の碑文では、遺構がどこにあったのかの記述はありませんが、複数の方のWeb記事では、裏山の中に
熊井城跡の回字形の遺構、空堀が、熊井城の東側の多段が陣屋跡らしいとありました。




確かに多段になっていますが、果たして陣屋時代のものなのか、後世、何かの目的で造成したものなのか?




陣屋跡の段丘と思えば思えないこともないですが・・・




山の中までは入りませんでしたが、堀跡のようなものが見えますが、違うでしょう。




こちらは西側にある多段
明らかに何らかの目的をもって近年造成されたものでしょう。




このすぐ下は墓地とハーブ園(?)ですから・・・




正面は越生町方面です。
かつて、この前の道(県道41号)は越生街道と呼ばれ主要な街道であったようです。

まあ、何が何だかわからないままに訪ねてみただけですので。

散策日:平成29年(2017)10月31日(火)

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