四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

「いざ鎌倉」の道 笛吹峠(埼玉県鳩山町)

2021年12月19日 | 古戦場・陣所


2022年NHK大河ドラマは「鎌倉殿の13人」には、埼玉県比企地域にゆかりのある比企能員、畠山重忠、源
範頼、木曽義仲、比企尼、丹後局などの武将・人物なども描かれる予定のようです。
比企地域9市町村(東松山市、滑川町、嵐山町、小川町、川島町、鳩山町、吉見町、ときがわ町、東秩父
村)では、この放映を契機として地域の活性化につなげようと、令和2年(2020年)12月に『大河ドラマ
「鎌倉殿の13人」比企市町村推進協議会』
を立ち上げ、さまざまな取り組みをしています。
12月に入ってから、【比企一族と武蔵武士 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ゆかりの地】の幟旗やポスター
が立ったり貼られたりするよになり、また、リーフレット「鎌倉殿を支えた 武士の故郷 比企の史跡マ
ップ」
も配布されています。
リーフレットにはアクセスマップ、比企地域の源氏・比企一族関連史跡の写真と説明文が掲載されていま
す(各町村一つの史跡、東松山市のみ二つの史跡)

 ① 小川町  仙覚律師遺跡(県指定・旧跡) ② 嵐山町  菅谷館跡           
 ③ 吉見町  岩殿山安楽寺(吉見観音)   ④ ときがわ町  慈光寺          
 ⑤ 鳩山町  笛吹峠(鎌倉街道上道)    ⑥ 川島町  金剛寺            
 ⑦ 東秩父村 浄蓮寺            ⑧ 滑川町  三門館跡           
 ⑨ 東松山市 扇谷山宗悟寺   巖殿山正法寺         

今回は、このうちの 《⑤鳩山町 笛吹峠(鎌倉街道上道)》を訪ねてみました。  
リーフレットにある説明は次の通りです。
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鳩山町須江と嵐山町将軍澤との間にある峠で、鎌倉街道上道の難所の1つです。鎌倉から上野(群馬県)
に通じる鎌倉街道の要衝にあたり、多くの武士団が行き来しました。鎌倉武士にとってこの道はまさに
「いざ鎌倉」の道だったようです。「史跡笛吹峠」の碑に面した、鎌倉街道と推定される道の東にある山
道は、直線的で掘割状の形状であることから、この道が上道であるとの説もあります。

豆知識:笛吹峠という名前は、正平7年(1352)に新田義貞の子義宗が南朝の宗良親王を奉じて、足利尊氏と戦った武蔵
野合戦に由来します。この戦いに敗れた宗良親王が月明りに誘われて笛を吹いたことが名前の由来と伝えられています。 
 
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笛吹峠の頂上部に建立されている『笛吹峠』の標識版と説明板
この場所は「嵐山町」内です




『笛吹峠』説明板
リーフレットの説明文と同じような内容ですが参考までに転記しておきます。
だいぶ古いものですから、鳩山村になっています。
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    笛 吹 峠
 笛吹峠は、嵐山町と鳩山村の境にある峠である。峠を起点として、坂東十番の岩殿観音から同九番の慈光寺観
音へ続く東西の道は、巡礼街道と呼ばれ、この峠を南北に貫く道が旧鎌倉街道で、かつて、数多くの武士団等が
往き来した所であった。
 正平7年(1352年)閏2月、新田義貞の三男、義宗等が宗良親王を奉じて武蔵野の小手指が原で足利尊氏と戦
ったが、最終的に結末がついたのがこの峠の地であった。新田義宗等は越後に落ちて行き、足利尊氏はこれ以後
関東を完全に制圧していった。
 「笛吹峠」の名称については、この敗退の陣営で、折からの月明りに宗良親王が笛を吹かれたことから命名さ
れたという伝承がある。
 なお、この付近は、遠く奈良時代に窯業の中心として栄え、武蔵国分寺瓦の大部分がこの付近で焼かれ、その
古窯跡が虫草山をはじめ須江・大橋・泉井などの山間部に多く見られる。
 笛吹峠から、はるか北方に上州の山々、西方に秩父連山、南方に広い関東平野が遠望され、風光明媚な歴史の
地である。
                                     埼玉県

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道路に継ぎ目が見えると思いますが、継ぎ目の左側が「嵐山町」、右側が「鳩山町」です。




石碑『史蹟 笛吹峠 埼玉縣』 鳩山町側に建立されています
昭和10年1月 笛吹峠保存會 の建立
史跡とありますが、埼玉県指定史跡ではありません。広い意味での史跡ということでしょう。
なお、嵐山町指定史跡(名称:笛吹峠 昭和37年〔1962〕9月1日指定)となっていますが、当然、
嵐山町分だけです。




かつての鎌倉街道上道のこの峠道の鳩山町側は「笛吹通り」と名付けられています




こちらは嵐山町側は「林道将軍沢線」で、町境が終点です
右側の建物は四阿と御手洗い、道路反対側には駐車場が整備されています
笛吹峠=鳩山町のタイトルに反し、ほぼ嵐山町ですが・・・




御手洗いのここにも【大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ゆかりの地】の幟旗が立っています




嵐山町側にある鎌倉街道上道の古道跡と思われる掘割状の場所
左上の部分が現在の峠道(林道将軍沢線)

『笛吹峠古戦場』 ← 過去記事

散策日:令和3年(2021)12月9日(木)

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