四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

久米川古戦場 ③(東京都東村山市)

2018年10月06日 | 古戦場・陣所


名 称:久米川合戦の新田義貞後詰の地
概 要:元弘年間久米川の合戦の時新田義貞後詰を置いた所
指 定:―
遺 構:―
所在地:東京都東村山市久米川町5丁目 熊野神社

後詰を置いた所ということですので一時的な陣所であったのでしょう。いわば神社見学のようになってしまいますが、場所だ
けでも確認できればと訪ねてみました。なお、上記の名称は適当に付けただけですので。




「熊野神社」です。久米川村(町)の鎮守であることから久米川熊野神社と呼ばれるようです。




社号標と熊野神社由緒書 社号標の正面は道路ではなく参道を向いています。




熊野神社の由緒書(説明板) 由緒の中に《本社は、新田義貞が後詰を置いたとされる》と後詰に関する記述もあります。




狛犬、手水舎 その先に拝殿




「熊野宮」の扁額




参道を本堂側から




本殿  玉垣の朱色が陽に当たって映えています




拝殿と本殿




境内社




久米川神社崇教会集会所




久米川の富士塚
富士塚信仰が盛んになったのは江戸時代以降のようで、この富士塚は明治21年に築かれたようですから、この場所に新田義
貞が後詰を置いた頃には、この富士塚は未だなかったことになります。




富士塚ですが、もっと離れたところから全体を撮ればよかったと後悔しています。




塚の頂です  祠があったようですが見当たりませんでした。




熊野神社の北側「熊野公園」になっていますが、神社寄りにある池です。




「熊野公園」の一部
この熊野公園も熊野神社境内の一部のようです。これだけ広い境内でしたら、相当数の後詰の兵を置くことができたでしょう。

散策日:平成30年(2018)8月30日(木)

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