四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

久米川古戦場 ②(埼玉県所沢市)

2018年10月03日 | 古戦場・陣所


名 称:新田義貞兜掛けの松・鎧稲荷
指 定:―
所在地:埼玉県所沢市久米2429 鳩峯八幡神社境内

元弘3年(1333)5月、鎌倉幕府討幕のため挙兵した新田義貞は、武蔵国で幕府軍と衝突しました。この際、八国山に陣を
布いた義貞は、鳩峯八幡神社の社前の松に兜を掛け、境内に鎧を置いて戦勝祈願を行ったとの記録が残るそうです。
久米川古戦場跡散策の一環として、この参拝の時の兜をかけた「兜掛けの松」、鎧を置いた所に祀った「鎧稲荷」などの見学の
ため、埼玉県所沢市久米に鎮座する「鳩峯八幡神社」を参詣してきました。

なお、久米川古戦場跡は、現在の東京都東村山市諏訪町付近とされておりますが、鳩峯八幡神社は上記のとおり埼玉県所沢市に
所在していますので、本稿タイトルは「久米川古戦場②(埼玉県所沢市)」としました。埼玉県所沢市も東京都東村山市も元は
同じ武蔵国の中にありましたので地名を気にすることもないのでしょうが。




案内板「鎌倉街道(上道)のみちすじ」の中から当該部分を切り取り加筆しました。
〇で印した所に鳩峯八幡神社は鎮座しています。上のイラストが活きます。
埼玉県部分のみの鎌倉街道(上道)案内板のため久米川古戦場跡は入っていませんので文字は書き加えました。




鳩峯八幡神社の鳥居と社号標
旧社格は郷社  なお正式名称は「八幡神社」




「鳩峯八幡宮」の神額




参道を少し行くと鐘楼があります
神社になぜ鐘楼が。往時、鳩峯八幡神寺の別当はすぐ近くにある「仏眼寺」が当たっていましたが、神仏分離で分れました。
この洪鐘はその名残りのようで、洪鐘には仏眼寺及び当社由来が刻まれているそうです。




参集殿  




長い参道の先に社殿が見えてきました




宝物殿




この石段を上ると境内




手水舎  普通の水栓柱と蛇口が使われています




拝殿




拝殿




拝殿と本殿




扁額「鳩峯八幡宮」




神楽殿




鳩峯八幡神社案内板  所沢市観光協会設置

【由緒】の中に次の記述があります
《元弘3年(1333)5月、新田義貞公鎌倉討伐の折、八國山の将軍塚に陣し、当社に参拝して戦勝を祈願したと伝える。境
内には参拝の時兜をかけた「兜掛けの松」、鎧を置いた所に祀った「鎧稲荷」の祠の旧蹟がある。》




鳩峯八幡神社の文化財説明板   所沢市教育委員会設置




「兜掛けの松」と「新田義貞兜掛松 史蹟」碑

当時の松は枯れてしまい、その切り株に新たに植えられて数世代が経ったものが現在の松のようです。




「新田義貞兜掛松 史蹟」碑




石碑裏面

護良親王の令旨を受けた新田義貞は元弘3年5月8日、群馬県新田郡生品村生品明神の社前で、北条高時討伐の兵を挙げた時か
ら、5月22日鎌倉幕府が滅びるまでの経過がこと細かく書かれています。更に、義貞が戦勝を祈願し、その折、兜を脱いで神
前の松に架けた都の記録が当神社の記録に残されており、由来「兜掛けの松」として広く名を知られている。ここに由緒を石に
刻み、永く後世に伝えようとするものである。

とあります。「兜掛けの松」は単なる伝承ではなく記録があるということのようです。




社殿の斜め後ろにある「鎧稲荷」
この場所に祈願の際に脱いだ鎧を置いたということのようです。覆屋を見ても他の末社より手厚い扱いを受けている感じです。




八幡神社奥社




境内末社




摂社「八坂神社」




境内の一部




境内南側にある石段を下りると 摂社「久米水天宮」の境内




久米水天宮は独立の境内を持つ鳩峰八幡神社の摂社です
境内が独立していることから一見別々の神社のように思えます




久米水天宮拝殿
正式名称は「水天宮」のようですが、久米の地に鎮座することから久米水天宮と称されているようです




扁額「水天宮」




水天宮拝殿前にある休憩所(?)内の額




「久米水天宮」参道  右側の少し高くなったところが鳩峯八幡神社




「仏眼寺」

鳩峯八幡神社の南方50mくらいの所にありますが、鳩峯八幡神社の鐘楼の所で仏眼寺について触れましたのでスルーするわ
けにもいかず参考までに・・・




王禅山釋迦院と号す真言宗豊山派の寺院です。
例の石灯篭この寺にも2基ありました。所沢市内のお寺ですから・・・

散策日・平成30年(2018)8月29日(水)・30日(木)

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