先日、たまたまテレビで発達障害児のことをやっていました。
テレビの映像だけでしか情報がないのですが
観ている限りでは、どこが発達障害なのかよく分かりませんでした。
子供がだだをこねているようにしか見えませんでした。
母親もあの手この手で言うことを聞かせようとがんばっていました。
精一杯努力していることは分かるので
母親の躾が悪いと決めつけてはいけないと思いました。
その昔、子供の教育を村社会でやっていた頃や
戦前教育を受けた親や先生や大人が社会を運営していた頃は
いわゆる発達障害という子供はとても少なかったです。
昔ほど、他人の子供であっても関心を持ち
厳しくも優しく接してくれた人も多かったですね。
今は核家族やPCやスマホが普通に普及した
個人化社会の時代です。
自由な時代ではありますが、自己責任も重くなる時代です。
ますます親や、特に母親に子供の躾の責任が掛かってきていて
その重みに耐えられない母親も増えてきているのかも知れません。
母親の産後うつや、育児拒否も増えているようです。
生活スタイルの変化や価値観の多様化は
自由の反面、心の不安定を作り出しているのかも知れません。
人間は不完全なので
ある意味では人間として生まれて来たことは
心や精神の発達や進化が大切な義務なのかも知れません。
だとすると魂を磨く覚悟がない人は
発達障害なのかも知れません(笑)
子供は社会のためにも、自立できるためにも
母親だけでなく地域社会で育てることを見直さなければ
いけない時代に向かっているのではないでしょうか。