AKB48の旅

AKB48の旅

29thシングル選抜じゃんけん大会

2012年09月20日 | AKB
島崎遙香さん優勝という予定調和を超えた結果に。いやあ面白すぎる。いくらテレビとはいえ生放送(なんちゃってだけど)だったんで、武道館の空気感は伝わって来てたと思うし、なによりブログやぐぐたす見てれば、そこにやらせとか誘導とかが介入できるはずもなかったってことは、まともな認識力を持ってれば疑いようがない。

なのに意味深な結果になるというのは、ぶっちゃけ人間が「意味」を求める存在だからとしか。もうちょっと言うと、くじ引きでトーナメント表が決定されたけど、確かにくじ引き自体はランダムだろうけど、肝心のメンバー自体はランダムではあり得ない。一人一人に膨大かつそれぞれに異なった情報が付随しており、その情報はメンバー全員との相互因果関係を織りなしてる。トーナメント表が書き上がった直後から、そこに新たな巨大な意味空間が、必然的に形成されてしまう。

そしてじゃんけん本番。メンバーの情報とその相互因果関係は、ハイコンテクストサイドであるところの観客に、そして視聴者よっても共有されており、武道館は濃密な意味空間となっていた。そこに多少の揺らぎ要素を孕んだ、けれどもランダムに近いじゃんけんという装置が、因果関係の外から結果を突きつけてくる。その度に膨大な情報が廃棄され、かつ生成される。

じゃんけんの勝敗自体のオッズはほぼフラットだったろうけど、あそこにはそれ以外のオッズが無数にあった。一例センター候補のオッズだと、J1.5倍、渡辺麻友2倍、大島優子2.2倍、島崎遙香2.5倍・・・○×□△(さすがに実名は避けます)850倍とかが、実は全員についてたりする。ちなみに当然ながらオッズ比は私が勝手に付与したもので、100人いたら100通りになることは言うまでもない。センター候補だけではない、その他、単純に選抜総選挙順位でもいい、握手券売り上げでも良い、ぐぐたす登録数でも良い、美人度でも良い、なんでもいいから、参加メンバー全員にファンの数だけ様々な種類のオッズが設定されてる。

結果、じゃんけんの勝敗という、ランダムに近い(実際はランダムにはならないけど、そこはスルー)現象に、じゃんけんとはまったく異なったオッズ比での勝敗が発生してしまう。そこに膨大な意味が生成されてしまう。多様な物語が生み出されてしまう。そしてその物語が意味深であればあるほど、人はじゃんけんというランダムに意図を読み取り、意志を感じるという錯誤に陥ることになる。けれども、なんとも逆説的なんだけど、その錯誤こそがもっとも価値ある意味を生み出すわけで、それが、例えばスターを産むという「運」そのものだったりするんだろう。


以下、仁藤萌乃さん9月19日ブログより引用

私ね、実は視えてたんだー。
(こんな事書いたら変な人だと思われそうだけど…汗)
一昨年も去年も、じゃんけん大会で勝つイメージが浮かばなくて
でも今年はね、選抜入りする事が分かってた。

握手会で「今年は勝ってね!」ってファンの方に言われても、「大丈夫、今年は勝つから」って返してたの。覚えてる人いるかな?

多分一ヶ月以上前、家でぼーっとじゃんけん大会の事考えてたら
頭にパーが浮かんで、すぐ後に一瞬グーが浮かんだんだけど
パーを強く感じたから、今回パーしか出さなかったの。

結局一度もあいこにならずに決勝まで勝ち進んで、最後の最後に負けちゃったけど
今思えば、あの時みえた一瞬のグーは
決勝戦の為のグーだったんだなぁって。

(変な人だと思った?泣
でも本当にそういう事ってあるんだと思う。笑)

以上引用

こういう経験って誰にでもあるものかどうか分からないけど、まあ不思議なもので、おとなしく「結果論」とか書いとけばいいんだろうけど、たぶん仏教的な、時空を超えた無限相互因果関係みたいなものを背景にしてるのかも知れないとか書いてみる。


48G評論家、出よ

2012年09月19日 | AKB
AKB48選抜じゃんけん大会。やはりテレビとの相性が最悪だった。プロレスのフォーマットを使おうというのは間違いとは言えないけど、やはり根本的に違うとしか。

メンバーが背負ってる物語、そんなそれぞれの物語を鮮やかに語る衣装、濃厚な人間関係と分厚い歴史が、画面の紙背で交錯しているというのに、それは間違いなく伝わらない。さっしーといえども、峰岸さんといえども、Rといえども、山本さんといえども、その物語を簡潔に語ることができない。いや、中の人だからこそ、語るポイントにテレビとしての的確性がない。

田原総一朗さんも、まだAKBを語れるレベルではないようで、ほとんど置物のようだった。亀田さんはミスリードそのものだった。嗚呼。

48Gのハイコンテクストに精通した、それでいてテレビとの相性の良い人材が欲しいところ。ヲタ臭のない、それでいてスマートになめらかに物語を語る。プロレスの時代ではないので、煽りと溜とかはったりとかはいらないと思う。やっぱり無理かなぁ。

"UZA"は、とんでもないのぶっ込んだな。こっちは改めて・・・

MJ Presents 前田敦子スペシャル

2012年09月18日 | AKB
「MJ Presents 前田敦子スペシャル」が素晴らしかった。制作統括のみならず、石原真氏自らがインタビュアーということで、前田敦子という人はもともとそういう人とは言え、やはりインタビュアーが心から信頼してる人だと、受け答えの自然体さ、真摯さ、正直さのレベルが違ってたと思う。

とはいえ、やはり気になったのはインタビュー日。卒業の2週間後と明言してるんで、9月10日前後か。9月4日より後なのは間違いないようなんで、ちょっとほっとしたかな。ここ一ヶ月、大島優子、仲川遥香と一緒に住んでるとも言ってるんで、心配なさそう。

東京ドームに立って、世界で一番幸せと感じたというのは、確か高橋みなみさんも同様のことを言ってたと思う。その感覚は、プロテスタントが神の愛を確信した瞬間のそれと同じなどという無謀な指摘をしておこう。先日から書いてるけど、これが「運を持つ」ということ。

女優としての次の夢について語ってたけど、それは成功者故の自信なんだろう。秘密とは言いつつ、アカデミー賞主演女優賞あたりかな。さらにはその先、その夢が叶えられたらという条件設定のもと、次の夢、26歳で結婚して一人の子が欲しいって夢を語ってた。あとは、女優としての夢が叶えられるまでは、恋愛はいいと語っていたのが微笑ましかった。

新収録の曲は「言い訳Maybe」、「ヘビロテ」のバンドバージョン、そして"BABY! BABY! BABY!"の3曲。最初の「言い訳Maybe」で感じたのは、アイドルは瞬間風速なんだなってことかな。MVでのあの眩しいまでの煌めきはもうないんだな、あたり。あの時点で、AKBは間違いなくアイドルとしての実力の頂点を極めてた。けれども、私は、そして多くの人々は、その事実に気づけなかったんだ。

石原Pがラジオで言ってた"BABY! BABY! BABY!"を収録できていない件。何回か前のMJで、前田さんだけが衣装が違ってる回があって、それで収録したのには気づいてた。いつ放送になるのかと期待してたけど、ここに持ってきたか。やはり、この曲がAKBバージョン1のスタートだったからこそ、という認識を持ってるからと思いたいな。

松井珠里奈の運

2012年09月17日 | AKB
Jの名は、昨日書いた中に敢えて入れなかった。理由は簡単で、Jは試されてないから、というと何のこっちゃと思われるかもしれないけど、この人の現状は、歴史は、最初から持ってた、全部与えられてた、その範囲を超えていないと思うから。すべてを持ってたというそれ自体を、強運の持ち主として見なすことは不可能ではないだろうけど、そこに「試し」というキーワードが見えない。

「大声ダイヤモンド」のリアルタイムを知らないので、当時の空気感とかは分からないけど、そもそも空気感みたいなもので確かめられるものでもないだろう。数字としてはオリコンの週間3位、年間109位。現状からみれば、平凡以下でしかない。以後、成長の物語は語れら続けたけど、「運を持ってる」のかどうかは不明のままなんじゃないか。

AKBの物語を、前田敦子、高橋みなみの二人が運をつかみ取った、正しくは「運があった」「神に愛されていた」という結果ととらえるとき、Jはまだその物語の中で守られたままに見える。指原莉乃がそこから弾き出され、新しい何かをつかみ取った、方向性とかは置いといて、つまりは「運があった」「神に愛されていた」ことを明らかにしつつあると思うけど、そんな「試し」の瞬間が、いつかはJにも訪れることになるのか。

ちょっとキリスト教的になりすぎてるのは反省だけど、AKB関連に宗教のにおいを感じ取る人も多いようだし、それで嫌悪感を持つ、みたいな意見を目にすることがあるけど、マジであればあるほど、人は宗教的存在でしかあり得ない、そんな現実に直面してるってことに自覚的になれるだけでも、それは悪くないことだと思うよ。

予定律と運

2012年09月16日 | AKB
前田敦子、高橋みなみ、指原莉乃、たぶんはっきりしてるのはこの3人だけだと思う。秋元康から特別な存在として扱われてる。理由はけっこうシンプルで、かつてから公言してきたことだけど「運を持ってる」ということ。

ちょっと前に、「無への跳躍」ということを書いた。もしかしたら意図はうまく伝わらなかったかもしれないけど、あれはけっこう因果律ではないよ、予定律だよということを言いたかった。ファーストラビットは因果律的だよ、けれども1ミリ先の未来は予定律的だよみたいな。

ちょっと考えてみると分かるけど、運というものには因果関係がない。気がつかれにくいんだけど、因果関係がないというのが「運」ということ。「努力は報われる」と言うとき、それは因果関係、つまり努力を積み重ねた結果、報われる、何ものかが得られると受け取られがちで、これだと因果律なんだけど、けれども「運」というものは、そんな努力の先に必ず得られるものではない。そうではない、人のおこないとはまったく関係なく、「運」は立ち現れる。つまり予定律。

「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がある。これはかなり微妙な表現で、人事を尽くせば天命が得られるともとれるし、人事を尽くすことで天命を得る資格を得る、しかし天命が得られるかどうかは分からないともとれる。「努力は必ず報われる」は、たぶん後者に近い意味になるんだろう。

冒頭に戻って、前田敦子、高橋みなみはAKB48という「運」をつかみ取った。まさに神に愛された子。予定律的には「無へと跳躍」した先に足場があるかどうかは決定されている。けれどもその決定を人は決して知ることができない。だから試すしかない。努力するしかない。結果、神に愛されているかどうかの答えが出る。指原莉乃も同様のことが言える。

いかにもプロテスタント的な考え方になるけど、秋元康は、そんな世界観を時折披瀝してみせるように思う。常日頃は多神教的な世界観の住人にしか見えないので、このダブルスタンダードが何とも奇妙に感じられる。あるいは芸能界という弱肉強食、過酷きわまりない世界を見続けてきたからこその、現実的な折衷なのかなとは思う。