昨日のNEWS23で、愛媛県が国会に提出した文書と、総理の答弁が食い違っていることに関して、
総理がウソをついている
愛媛県の文書がウソ
加計学園側がウソをついている
という3つの場合を考えていました。
さすがに、県の文書をウソと仮定するのは、まずいように思いました。
公文書がウソだということになったら、一体何を信じればいいのか、ということになると思います。
もちろん、現実として文書改竄とか、データがでたらめだったとか、事例が出てますが、それは特殊ケースで意図あってやったことでしょう。
通常、役所が作っている文書は信頼に値する、そう考えないと社会生活が相当あやういものになりそう。
「ウソ」という言葉が適切ではなく、記憶違いとか忘れてしまったとか、隠蔽とか、そういうことはあるんじゃないかという、そっちに持っていってもいいんじゃないかとも思いました。
星浩さんは、会ってないと言い続けて逃げ切るんじゃないかと言ってましたが、その部分が一番大事なのに…と思いました。
総理がウソをついている
愛媛県の文書がウソ
加計学園側がウソをついている
という3つの場合を考えていました。
さすがに、県の文書をウソと仮定するのは、まずいように思いました。
公文書がウソだということになったら、一体何を信じればいいのか、ということになると思います。
もちろん、現実として文書改竄とか、データがでたらめだったとか、事例が出てますが、それは特殊ケースで意図あってやったことでしょう。
通常、役所が作っている文書は信頼に値する、そう考えないと社会生活が相当あやういものになりそう。
「ウソ」という言葉が適切ではなく、記憶違いとか忘れてしまったとか、隠蔽とか、そういうことはあるんじゃないかという、そっちに持っていってもいいんじゃないかとも思いました。
星浩さんは、会ってないと言い続けて逃げ切るんじゃないかと言ってましたが、その部分が一番大事なのに…と思いました。
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