週刊朝日の連載「司馬遼太郎と昭和」に、横井庄一さんのことが書かれていました。
日本に戻ったのが1972年2月。
中学生だったから、その時のことは覚えているけれど、年齢のことはあまり考えていなかった感じがします。
今回の記事で、1915年生まれとわかり、私の両親と近い世代。当然と言えば当然で、父も召集されているから。
横井さんの方が6つ上。
横井さんが召集されたのは1938年。23歳。
太平洋戦争は1941年12月からなので、1938年だと召集されてどういう任務にあたっていたのでしょう?
だからなのか、いったん帰国したと書いてあります。南方に進出していたんだっけ? やっぱり、その辺の歴史をよくわかってないことを自覚します。
横井さんはその後、1941年に召集されて満州へ。1944年3月にグアム島に送られたと。満州からグアムというのも、気候を考えるとすごい変化。戦況にも大きな変化があった時期でしょう。
その時点で、横井さんは29歳になってます。
終戦は1945年8月ですから、横井さんは30歳ですね。
私の父は、20代半ばで終戦を迎え、その時点で失明していたのですが、いつ日本に戻ったのかはわからないです。
そういう話を具体的に聞いたことはないです。
横井さんが日本に戻った時にも、父の体験と結びつけた話を聞いた覚えはないです。ただ、それはもう忘れてしまったのかもしれません。
こういう記事を読むと、父からもっと詳しい話を聞いておけばよかったと思うのと、実はけっこういろんな話は聞いていたのに、子どもだったこともあり、記録として残したものはないです。
だから、記録を残すための会話をしておけばよかったとなぁと。
横井庄一さんは、書籍を出しているし、そういう点での記録は残っているわけですが、今回の記事を読む限り、文章だけではわかり得ない、すごい暮らしをしていたんだろうなぁと思いました。
日本に戻ったのが1972年2月。
中学生だったから、その時のことは覚えているけれど、年齢のことはあまり考えていなかった感じがします。
今回の記事で、1915年生まれとわかり、私の両親と近い世代。当然と言えば当然で、父も召集されているから。
横井さんの方が6つ上。
横井さんが召集されたのは1938年。23歳。
太平洋戦争は1941年12月からなので、1938年だと召集されてどういう任務にあたっていたのでしょう?
だからなのか、いったん帰国したと書いてあります。南方に進出していたんだっけ? やっぱり、その辺の歴史をよくわかってないことを自覚します。
横井さんはその後、1941年に召集されて満州へ。1944年3月にグアム島に送られたと。満州からグアムというのも、気候を考えるとすごい変化。戦況にも大きな変化があった時期でしょう。
その時点で、横井さんは29歳になってます。
終戦は1945年8月ですから、横井さんは30歳ですね。
私の父は、20代半ばで終戦を迎え、その時点で失明していたのですが、いつ日本に戻ったのかはわからないです。
そういう話を具体的に聞いたことはないです。
横井さんが日本に戻った時にも、父の体験と結びつけた話を聞いた覚えはないです。ただ、それはもう忘れてしまったのかもしれません。
こういう記事を読むと、父からもっと詳しい話を聞いておけばよかったと思うのと、実はけっこういろんな話は聞いていたのに、子どもだったこともあり、記録として残したものはないです。
だから、記録を残すための会話をしておけばよかったとなぁと。
横井庄一さんは、書籍を出しているし、そういう点での記録は残っているわけですが、今回の記事を読む限り、文章だけではわかり得ない、すごい暮らしをしていたんだろうなぁと思いました。
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