海王丸の総帆展帆(そうはんてんぱん)
午前中は夏の日差しの暑い海王丸パークでの総帆展帆を見て一汗かき、
午後からは夏の称名滝を見るために立山方面に車を走らせた。
盆がすんで少しは立山方面の観光客が減っていると思ったが、
今度はツアーの人達が押し寄せてきて混雑していた。
立山駅周辺を一周して称名滝に向かった。
▼総帆展帆は全てボランティアの人で行われる。
2割前後は女性でマストに登り帆を張っていた。
▼ 総帆展帆完了
夏の直射日光が暑く、即帰る予定であったが、船内も見ていくことになり待つ間は炎天下で相当暑かった。
▼春頃はちょうど後に立山連峰が白く輝き絶景になる。
▼船長分室
船長がお客と面会したり、航海士から報告を受けたり会議を行う部屋。
船長は特別で、個別の風呂もあったり寝室も個室で一班の船員とは相当格が違っていた。
▼舵輪
船の最後尾に設置
海王丸(初代)
1927年(昭和2年)3月、鹿児島県立商船水産学校の練習船「霧島丸」が宮城県金華山沖にて暴風雨のため沈没、
乗組員および生徒の合計53名が全員死亡するという惨事が発生した。
この事故が契機となり、1928年(昭和3年)大型練習帆船2隻の建造が決定された。
2隻の建造費は合計182万円、
当時の国家予算(軍事費および国債費を除いた一般会計予算:約8億7千万円)からすると破格の大型プロジェクトであった。
1930年(昭和5年)1月27日に進水した第1船は「日本丸」
、同年2月14日に進水した第2船は「海王丸」と名付けられ、これら2隻は文部省の所管となった。
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▼立山駅は盆がすんでも相変わらずの混みよう。
ツアーの団体客が多いようだ。
ローターリーを一周して称名滝に向かう。
▼渇水時期なので500mの落差のハンノキ滝は出現していません。
いつも来るときは豪快なハンノキ滝(500m)と称名滝(350m)がVの字になって見えるのが、今回は予想が外れ残念でした。
▼滝に繋がる道の入り口のレストランに置いてある、お助け棒。
誰でも自由に無料で使える杖。
日差しの強い炎天下の行動だったのでTシャツには汗の乾いた白い線が何本も
白いすじになっていた。
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