山登りとJazzと・・・

芸術性のない証拠写真の羅列です。
思い出と記録を綴っています。
*****備忘録的・フォト日記*****

海王丸の総帆展帆と夏の称名滝 ■2016_8_21

2016年08月23日 | アウトドア

海王丸の総帆展帆(そうはんてんぱん)
午前中は夏の日差しの暑い海王丸パークでの総帆展帆を見て一汗かき、
午後からは
夏の称名滝を見るために立山方面に車を走らせた。

盆がすんで少しは立山方面の観光客が減っていると思ったが、
今度はツアーの人達が押し寄せてきて混雑していた。

立山駅周辺を一周して称名滝に向かった。 

 総帆展帆は全てボランティアの人で行われる。
2割前後は女性でマストに登り帆を張っていた。 

 

 総帆展帆完了
夏の直射日光が暑く、即帰る予定であったが、船内も見ていくことになり待つ間は炎天下で相当暑かった。 

 

春頃はちょうど後に立山連峰が白く輝き絶景になる。 

 

 

船長分室
船長がお客と面会したり、航海士から報告を受けたり会議を行う部屋。
船長は特別で、個別の風呂もあったり寝室も個室で一班の船員とは相当格が違っていた。 

 舵輪
船の最後尾に設置 

 

 

 

 

海王丸(初代)
1927年(昭和2年)3月、鹿児島県立商船水産学校の練習船「霧島丸」が宮城県金華山沖にて暴風雨のため沈没、
乗組員および生徒の合計53名が全員死亡するという惨事が発生した。
この事故が契機となり、1928年(昭和3年)大型練習帆船2隻の建造が決定された。

2隻の建造費は合計182万円、
当時の国家予算(軍事費および国債費を除いた一般会計予算:約8億7千万円)からすると破格の大型プロジェクトであった。


1930年(昭和5年)1月27日に進水した第1船は「日本丸」
、同年2月14日に進水した第2船は「海王丸」と名付けられ、これら2隻は文部省の所管となった。

-------------------------------------

立山駅は盆がすんでも相変わらずの混みよう。
ツアーの団体客が多いようだ。
ローターリーを一周して称名滝に向かう。 

 

渇水時期なので500mの落差のハンノキ滝は出現していません。
いつも来るときは豪快なハンノキ滝(500m)と称名滝(350m)がVの字になって見えるのが、今回は予想が外れ残念でした。 

 

 

 

 

 

 

 

 滝に繋がる道の入り口のレストランに置いてある、お助け棒。
誰でも自由に無料で使える杖。 

 

日差しの強い炎天下の行動だったのでTシャツには汗の乾いた白い線が何本も
白いすじになっていた。




 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海の貴婦人・海王丸ライトアップ ■2016_8_7

2016年08月09日 | アウトドア

海王丸とは、日本の航海練習船で大型練習帆船である。

現在は引退しているが、
引退後の引取先として、日本各地の自治体が名乗りを上げ、最終的に富山県と大阪市が残った。

両者の協議により、5年交替で伏木富山港 新湊地区(富山新港)と大阪港に係留することとなったが、
大阪市が海王丸をあきらめた理由は維持費が莫大という理由だそうだ。

現在海王丸は、富山新港に恒久的に係留されることとなった。

海王丸の維持費は数千万ではない億です。
一説に4億とも言われています。
その維持費は財団と市が負担

今日はとても暑くて少しでも涼しいところへと思い
迷った末に「海王丸パーク」へ向かった。 

 

 

2016年の8月以降の総帆展帆予定日 

⑦8月21日(日)

⑧9月18日(日)

⑨10月16日(日)

⑩10月30日(日)

夜にはライトアップが行われていた。
残念なのは帆が張られて無く少し地味な感じだったが、帆が張られたときは一見の価値ありかな・・・と思った。 

 

 

 

回りは静かで環境の良いところなので、現在はどこの観光地にもあるような
「恋人の聖地」になっていた。 

右のライトアップされいる橋は「新湊大橋」で晴れているときは北アルプス・立山連峰が一望出来るので有名。
昨年の第一回「富山マラソン」でコースになっており、ランナーからは立山連峰の素晴らしい景色が見られたのと、
ランナーに配られた、ますの寿司が美味かったと絶賛だった。 

 

 富山マラソンPV 

 


 新湊大橋を下から仰ぐ。
エレベーターで上に登れ車道の下の通路を歩けます。 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする