よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

「民主化するイノベーションの時代」とオープンソース運動

2006年04月29日 | 技術経営MOT
OSSコミュニティは融通無碍な役回りを演ずる先端的なリードユーザ(デベロッパー)が参集するイノベーションの場=孵化器である。しかし、この「場」のようなものを正確に言い表し、その価値を計量的に認めることは簡単ではない。そもそも、経営学や組織論の領域は、経営的な現象がはじめにありきで、後追い的に研究者の参与的観察にもとづく記述的研究がなされる。言ってみれば、これは社会科学の特性でもあり、限界でもあるが。

このような限界を意識しながらも、イノベーション研究の核心は、「イノベーションはどこから、どのようにして生まれるのか?」という問だ。このテーマに真顔でディベートを続けている二人の気鋭の研究者がクリステンセンとヒッペルだ。ちなみにヒッペルの英文テキストは本屋に行かなくても手に入る。

クリステンセンは「顧客の要求に細心の注意を払う会社ほど、急進的で破壊的なイノベーションを見逃しやすい」と喝破する。その一方で、ヒッペルは『民主化するイノベーションの時代』の中で、リード・ユーザー・イノベーションという新たなイノベーションのモトを論じる。

ヒッペルは「リードユーザー」という先端顧客を定義することで、ユーザーが自ら起こすイノベーションに注目することの重要性を説く。そして彼はユーザーが自ら起こし、ユーザ同士が共有し、発展させてゆくイノベーションの典型事例として、オープンソースソフトウェア・コミュニティに注目する。かといって、ヒッペルを持ち出して、「オープンソース運動は、イノベーションの民主化の実践活動だ!」とか「どんどんコミュニティに参加して草の根イノベーションを起こそう!」なんて言うのは白々しいが。

さて、従来の経済学では、生産者と消費者、供給と需要という用語で、双方を二項対立的に明確に分けて使ってきた。しかし、OSSの世界では、こうしたカテゴリーわけはもはや意味をなさない。なぜなら、オープンソース・ソフトウェアのユーザーは、従来の意味での生産現場から隔離された消費者ではないからだ。ユーザでもあり、開発者でもあり、また時と状況に応じて、それらの役回りを行ったり来たりするからだ。

また旧来的な人的資源管理論(Human Resources Management)では、雇用された労働者が閉じた企業コミュニティのなかで能力や成果を提供することで、対価として賃金やキャリア開発の機会を得る、というモデルが学説の中心だった。しかしOSSコミュニティは、旧来的HRMをも、やすやすと越えている。なぜなら、雇用ー被雇用の関係ではなく、自律主体的に、個人が所属する企業の枠を超えて、ネット上のコミュニティに多くの場合、無報酬で参画し、知識、能力、成果を分かち合うというということが当たり前に行われているからだ。

産業革命以来、主流を占めてきた生産管理理論(Production Management)は、製品=プロダクツと生産過程=プロセスをア・プリオリに峻別することで発展してきている。しかし、バザールのようなOSSコミュニティではソフトウェアというプロダクトと、ソフトウェアを創るプロセスは二つには分かれ得ない。知識が行き交う365日、24時間開いている「場」は、プロダクトとプロセスが不即不離の入れ子構造になっているからだ。

このように旧来の学問的な枠組みを素朴に当てはめるだけでは、OSSコミュニティを正しく理解することはできないし、ヒッペルの先端的な議論を持ち出してさえも、OSSコミュニティを研究する視点、OSSコミュニティを実践する視点との間には、恐ろしいほどの距離が横たわっているようだ。特に日本では。

アメリカはどうか。研究と実践を繋ぐプロフェッショナルという社会的階層が充実している。経営コンサルタントやベンチャーキャピタリストという人種がその典型である。シリコンバレーでは、こんな見方があたりまえだ。曰く、OSSコミュニティは歴然としたイノベーション創出の場である。そしてイノベーションはキャッシュフローをもたらす。よって知的資産としてのOSSコミュニティやOSSのダウンロード件数の現在価値を算出して投資基準にすると。

いずれせよ、どちかがオモシロイのかといえば、やはり実践する方だ。イノベーションに肉迫できるからだ。