よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

日本のOSS運動の原点は楽市楽座、連講結にあり!

2006年01月19日 | オープンソース物語
麻生川静男さんの紹介で、恵比寿ガーデンプレースでOSDLジャパンの初代ラボディレクター高澤真治さんとお会いした。ひと時の楽しい会話のなかで、なぜ日本にはオープンソースコミュニティが育たないのか、というテーマに花が咲いた。

敗戦から高度成長期、バブル崩壊までの時間の経過のなかで、オープンソース運動を見ると、たしかに日本のオープンソースコミュニティ運動はおとなしいものだ。でも、400年のスパンで見てみると実は日本には世界にも類を見ないほどの豊かなオープンソース運動があったことが分かってくる。

楽市楽座(らくいちらくざ)は、近世のころ織田信長、豊臣秀吉などにより城下町などの市場で行われた自由経済政策である。「楽」とはモノや情報の流れ、人々の交流ややりとりがオープンで自由な状態となった意味。

従来の高額な税=トランザクションコストの減免を通して新興商工業者、起業家、クリエーターを育成し経済の活性化を図った。これにより、農具から鉄砲にいたるまで、非常に広範な「ものづくり」に画期的なイノベーションが沸き起こった。転じて茶の湯などの当時一流の高級サービスの発展、普及にも効果があった。このように、楽市楽座を通して文化の興隆も活性化され、江戸時代の連、講、結などのコミュニティ運動へも繋がっていったのだ。

さて、日本語で いう「連」「講」「結」とは英語ではForumのことである。名前のついた連(forum)は3人から100人ほどのメンバーから成るが、メンバーは1回限りで解散することもあり、長く続くこともある。

江戸時代には、主にソフトづくり、研究、遊びまで目的は多様だった。俳諧、狂歌、落とし咄、浮世絵、博物学、団扇や手拭いなどの「遊び」であるが、結果として商品化され、市場に出回ることはいくらでもあった。学問の世界での連はよく活用された。蘭学や国学の形成を支えたり、実際に武士、商人、職人たちの情報交換の場でもあった。 

江戸時代のインターディシプリナリな大天才、平田篤胤にいたっては、全国に平田学の一門を展開し、息吹舎と呼ばれる3000人規模の学問コミュニティを組成していた。民間信仰では富士山信仰が冨士講としてこれまた全国に発生していた。

江戸時代の連の特徴は、決して巨大化せず適正規模を保つこと、存続を目的としていないこと、コーディネイターはいるが強力なリーダーはいないこと、費用は参加者が各々の経済力に従って負担すること、パトロンと芸術家、享受者と提供者の分離がなく全員が創造者であること、様々な年齢、階級、 職業が混在していること、メンバーの出入りが自由であること、他の連と密接なつながりがあること、メンバー各々が多名であること、などである。連に参加する創造的な人間は、活動によって複数(ときには数十個)の名前を使いわけているのが普通だった。

以上が日本的なオープンソース・ムーブメントのごく大雑把なデッサンだが、要はこれらの系譜に立って考えれば、日本だからこそ実現できるオープンソース運動がおおいにありうると思うのだが。

オープンソース楽市楽座なんてのは、どうだろう。