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よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

セレンディピティとシンクロニシティ

2005年04月30日 | 日本教・スピリチュアリティ
果たして運は能力なのか、能力が及ぶ範囲の外にあるまったくの別物なのか?

運は能力の一部門であるという考え方がある。そのひとつの発現としてセレンディピティ(serendipity)という言葉は「偶然幸運に出会う能力」を意味する。

シンクロニシティ(synchronicity)も共時、共起、偶然に積極的にかかわる自覚的能力を予兆するものである。

偶然幸運に出会う能力は、能動的に環境にはたらきかける操作の範疇ではなく、環境から自分への働きかけ、メッセージ、予感を感じ取る受動的な領域に属する。とすると、セレンディピティはシンクロニシティを用意周到に活用する自覚的readinessとでもいうような意識の力を含意する。

こんなことを考えるには、「幸運の流れをつかむ哲学~パワー・オブ・フロー~」が面白い。ただし、チクセントミハイが定義するフローとは異なり、より広いものとなっている。あるいはチクセントミハイのフローを発展、進化させたものがこの本の主題であると言ってもよいだろう。

著者のベリッツによればフローとは、「自分や他者や世界との垣根を取り払い、宇宙と調和して生きているという実感を味わわせてくれるもの」で、訓練や習慣によってシンクロニシティの気づきは高まり、幸運を呼び寄せることができるという。まさに偶然幸運に出会う能力をいかに開発するのかというテーマを中心に書かれている。

このへんがアメリカ人の心理学者や認知心理学者のオモシロイ(人によってはちょっときわどいかもしれないが)ところで、プラグマティックなノウハウ開発や実践方法の紹介に余念がない。読み物として刺激的。


アイディアのスパーク

2005年04月22日 | 日本教・スピリチュアリティ
ビジネス関係のミーティングや打ち合わせは山のようにあるが、こと新しいビジネスの種や、こりゃオモシロイ!と感じるようなことは、フォーマルなビジネスミーティングからはあまり出てこない。

リラックスして昼飯を食べながら、世間話をしたり、近接した業界の話をしたり、共通の知人の話に花を咲かせているときに、ふとパッといいアイディアがconversationのすき間に飛び出てくるものだ。

ミーティング・マネジメントという領域がけっこうアメリカのビジネスシーンでは注目されているが、いいアイディアを得るためのミーティングのコツは実は、脱フォーマル・ミーティングだ。アジェンダや議題として、あんまり構造化しすぎるのもよくない。いろんな脈絡のなかで、もてるリソースをからめて面白い話に花を咲かせば、エンドルフィンが多量に分泌される。そして会話そのものがフローとなる。そんななかで、アイディアがスパークして思いがけないアウトプットが出てきたりする。そんな瞬間がたまらなく楽しいし、好きだ。


シンクロニシティの季節

2005年04月01日 | 日本教・スピリチュアリティ
シンクロニシティ、synchronicity (非因果的連結)

シンクロニシティは意味のある偶然とでもいってよいだろう。通常の因果律では因果関係が見いだせない事象における関係性を説明する考え方なので、シンクロニシティは「共時性」ともユング派の研究者によって訳されている。この分野の著作では、デイヴィッド・ピート『シンクロニシティ』が秀逸だ。

複数の出来事が原因→結果というようなシーケンシャルな因果関係を飛び越えて、意味的関連を惹起して同時に起きることである。だからシンクロニシティを「共起性」といってもあながち誤訳ではないだろう。しかし、こと学問の作法でシンクロニシティを実証的、客観的に説明することは難しい。

なぜなら、出来事、偶然、非・超因果、意味、同時、共起、主観を内包するシンクロニシティには、必然的にランダムネス(雑然性)やタービュランス(乱流性)やストレンジネス(奇妙性)やコンプレクシティ(複雑性)がつきもので、このようなことがらは実はサイエンスの枠組みでまだきちんと説明がなされていないからだ。

しかし、遊びごころで、シンクロニシティの眼で日常生活を眺めることはこのうえなく楽しいものだ。日常を非日常的に見直せるだけでも十分、遊戯性に満ち溢れている。ちょっと振り返ってあげてみようか。

・ビジネスの展開上、こんなバックグランドを持った人が欲しいとアツく思っていたら、そのような人から応募があり採用にいたった。

・久しぶりにアメリカに行きたいと願っていたら、公共機関から賞をもらい、その余禄として無料アメリカ視察旅行に招待された。

・「こんな本を書きたい」と思っていたら、出版社から連絡がありトントン拍子で話がすすみ、6ヶ月で本になった。

・通常では入手できない古典的なツーリング自転車(30年前に製造停止)を数奇なプロセスを経て知人から譲りうけた。しかもタダで。

・会いたいなあとつねづね思っていた人が突然、自分の講演会に参加してくれて10年ぶりに再会した。

・温泉旅行をしたいと思っていたら義理の両親から唐突に熱海、箱根の温泉旅行に誘われた。

経験則的に言うと、シンクロニシティはフロー状態にいるときによく起きる。フロー体験をしているときは、何事かに真剣に集中し、意識が高い次元で冴えわたり、いろいろなことに敏感に気づき、オープンになっているときだ。人間関係のなかでシンクロにシティが発現するとき、多くは相手も関連したテーマなり、出来事、想念でフロー状態にいることが多い。また僕にとっては、ある特定の数列が、この30年以上にわたってシンクロニシティーをもたらしつづけている。

読書や執筆活動によってもシンクロニシティーがよくもたらされる。読書は純粋に意識的なフロー体験であり、興味があることがら、関心のあるテーマによって意識が心地よいテンションで充満されるときシンクロニシティが頻発する。いずれにせよ、シンクロニシティーは”way of life”にとって貴重なスパイスであることにはかわりがないだろう。







フロー体験とカタルシス

2005年02月04日 | 日本教・スピリチュアリティ
麻生川さんのコメントに触発されて考えてみた。

フロー体験は外面的報酬とは隔離され、ひとつの活動に深く没入し、その経験それ自体が楽しいので、純粋にそれをするということのために多くの時間や労力を費やすことができる状態。したがってフロー体験は、悲しい、辛い、煩わしい、妬ましい、腹が立つ、焦るといたネガティブな感情とは隔絶した、うれしい、楽しい、歓喜に満ちた十全感、充足感、楽観、自己効力感をもたらしてくれる。

さて、カタルシス(catharsis)という言葉はそもそも医学用語で、排泄物を体外に出して身体をきれいにするという作用を意味している。それを、アリストテレスが、その偉大な詩学のなかで精神世界の叙述において含意をもたせ援用したものであると言われている。

フロー体験をある種の精神的なカタルシス体験としてとらえることもできるだろう。つまりフロー体験には、日常直面するようなネガティブな感情、もしくはネガティブに反応してしまう認知神経的なエネルギーを浄化・転換する作用があると見立てるとこができる。

また脳神経科学・発達認知神経科学の知見を借りれば、フロー体験はエンドルフィンのような神経伝達物質の分泌を活性化する作用があるという類推も成り立つだろう。エンドルフィンは、脳内で痛みを止めたり、気持をよくしたり、快感を誘うだけでなく、自律神経を介して体温の変動や血圧の低下、また食欲の増進や、胃腸分泌の抑制などにも作用していることがわかってきている。呼吸の抑制、嘔吐にも関わり合いがあり、リビドーの増進にも関与しているし、認知行動、学習効果の促進にも作用する。

いずれにせよ、心身的にホリスティックに健康であるためには、人は本来潤沢なフロー体験と接続される必要がある。近年、健康管理学の分野でも予防医学の延長線に構想されたwellnessを増進するためにフロー体験のデザインがとみに重視されている。アウトドア系アクティビティ、趣味、読書、仕事、そして生活のなかで、いかにフローをデザインしてゆくのか。

こんなことを考えるだけでも楽しくなる。フローを体験することのみならず、フロー体験を考えることも、けっこうフローだ。




フロー体験

2005年01月28日 | 日本教・スピリチュアリティ
フロー体験とは、極度にハマッテイル体験、没入している体験のことだ。外部からなんの報酬を得なくても、まったく気にならない。やっていることそのものが報酬なので、内発的に動機づけられている状態でもある。

フロー体験に関しては、認知心理学の領域でチクセントミハイが、「フロー理論の展開」のなかで味わい深い記述的分析を加えている。チクセントミハイによると、フロー体験とは、ひとつの活動に深く没入して、他のなにものも問題とならなくなる状態。その経験それ自体が楽しいので、純粋にそれをするということのために多くの時間や労力を費やすことができる状態。

さて、チクセントミハイによって記述されたフロー経験は、新しいHRDにとっても示唆に富む。

フロー経験とは、自己が行為の場を高い中注力をもって統制し、効果的に環境に働きかけているときに感じる「自己効力感をともなう楽しい経験」のこと。そしてフロー体験とは、外発的な利益とはまったく無縁の、それをすること自体が報酬となる自己目的的(autotelic)活動である。

この自己目的的活動により積極的にいそしみ、内発的な動機を豊かに持っている人にはいくつかの特徴があるとされる。

・自己目的的パーソナリティとは、結果として生じる外発的な目標に達するより、むしろその活動プロセスを楽しむ、人生を楽しむ傾向にある人。

・自己目的的パーソナリティを持つ人は、新しい挑戦をこよなく愛し、自分の能力をフル活用することに楽しみを感じる。

・自己目的的パーソナリティを持つ人は、明確な将来目標を持ち、他者から評価を受け、また深い情緒的体験を有する。また、幸福感が強い。

細かなマネジメントの現場では知的アウトプットが大きな会議やオモシロイ雑談がフロー経験を提供してくれる。本の原稿を書いているときはフロー体験の真っ只中にいる。講演やプレゼンテーションしているときも、けっこうフロー状態だ。大まかなところでは、起業や事業化などのトータルなビヘイビアも、アップダウンはありながらもフロー体験をもたらしてくれるものだろう。プログラミングの最中にフローを体感する人もいれば、流れるような経理処理業務の最中にフローを感得する人もいるだろう。

いずれにせよ、結果のみを追求するスタイルではフロー体験は疎外されてしまう。近年のダメな成果主義(プロセスをとらえずにたんなる結果主義だけ求める)人事のゆきづまりは、フロー体験を仕事から疎外する方向に誘導してきたことに一因があるんじゃないか。

ともあれ、人生の時間の1/3以上を占める仕事のなかで、より多くのフロー体験を得るためには工夫や仕掛けが必要となる。フロー体験の強弱は、仕事のオモシロさを大きく左右するし、生産性にも影響を与えることとなる。いろいろなビジネスパースン、研究者、プロフェッショナルに接していて分かることは、仕事ができる人のなかには、仕事のなかにフロー体験を作り上げている人が圧倒的に多いということだ。

プライベート(私秘的)な時間においてもフロー体験を確保しておくと、社会的文脈のなかの仕事でのフロー経験に接続されることが多いと思う。

ただし、「個人的」な時間はたくさんあっても、その時間が豊穣な「私秘的」な時間になっていないと、真のプライベートな時間にはならない。けっきょくなにも生み出さない空虚な時間になってしまう。