よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

Oxford, Skoll~慶應シンポジウム

2008年12月04日 | 日本教・スピリチュアリティ


2週間くらいまえに読み始めたAlex Nichollsの"Social Entrepreneurship"
そのなかで、Ms.Kim Alterという社会起業に関するコンサルティングと教育活動をしている人が書いた章に感銘をうけた。社会企業のビジネスモデルを類型化してわかりやすくまとめてある。

ああ、こういう人に会って話をしてみたいと思った。なかなかの美人でもある。笑)

それから、渡辺教授からSkoll財団と慶應義塾大学が社会起業シンポジウムをやるということでパネリストを頼まれた。ひとつ返事でOK。数日後にプレゼンテーターのリストがwebに掲載された。

そこで、おおビックリ。Ms.Kim Alterがそのセッションでスピーカーをするのだ。労せずして彼女と会えることになった。ラッキー。

話のポイントは:

4つの戦略的なレンズ(フレーム)がある。
・Stakeholder Engagement
・Knowledge Development
・Resource Allocation
・Culture & Value

このフレームを活用してインドの社会事業を支援してきた事例の紹介。組織開発コンサルティングでよく使うフレーム手法。NPOと株式会社がシナジーを効かせて協働するモデル。

専門的な話も実におもしろいが、この話のながれを彼女にコーヒーを片手にすると、「それってSynchronicityですよね」ということになり意気投合。市場、社会性、イノベーションがクロスする場で、独自の場づくりをする社会起業家にとって、Synchronicityを感知したり、発動させたりするある種のmentalreadinessは重要な能力要件じゃないか。

いい「場」には、なるほど特殊な磁力がでているようだ。その場に、知的な志向性を共有するpractitioner やthinkerが集まり、いろいろなアイディアが共有され、クリエイトされてゆく。

カジュアルな雰囲気でとてもクリエイティブな集まりだったと思う。シンポジウムもよくデザインされていた。

生涯修行、臨終定年

2008年11月26日 | 日本教・スピリチュアリティ

松原泰道老子。
65歳から書き始め101歳になる今年まで140冊の本を書いてきた傑人だ。140冊である。半端な数ではない。

師のデビューは35年前の「般若心経入門」で65才の時。著作の数も半端ではないが、ものかきを始めたのが65歳というのも凄い。65歳で引退ではなく、文筆活動デビューなのだ。65才を過ぎてから1年に3.8冊のペースで書き続けてきていることになる。強烈な著作活動だ。

しかも文明の利器=パソコンやワープロではなく、原稿用紙に向かって一文字一文字を原稿用紙のます目に書きいれるスタイルだという。なかなかできるものではない。

もともと創作経典(仏陀の言葉とは無縁で後世になって書かれた経典)の部類のほうはさほど関心がなかったのだが、松原老子の「観音経入門」だけはアメリカに留学する前に読んでおいた。Lotus Flower Sutraはコテコテの観音様=観世音菩薩の奇跡、奇瑞をこれでもかこれでもかとひたすら賛美する文芸作品的expressoinだが、老子の解説の妙は、はたと気づかせる機知に満ち満ちている。

それ以来、師の本には不勉強のいたりで接してきてはいないが、101歳になる今年、141冊目の著作を出版するという。

その名も、

「人生を豊かに生きる12章」(祥伝社)

老子は、とにかく生きているうちはすべて勉強。
なにかを学ぼうという気持ちを持っていることが
人を若返らせるという。

また「言葉の杖」をもつ大切さを説く。
窮地に陥ったとき、身体窮まるような困難に出くわしたときの体
を支えてくれる言葉。

師の言葉の杖は、生涯修行、臨終定年だという。


合理的経済人を疑え

2008年08月27日 | 日本教・スピリチュアリティ

主流経済学が想定する人間は合理的経済人。

需要も供給サイドも市場においてプレーヤーは自らの利益を最大化するように行動する。やがて競争原理のふるいにかけられ均衡に達し、価格が安定し適正な利益がプレーヤーにもたらされる。自らの利益を最大化するように行動することが、最大多数の最大幸福をもたらす、なんてベンサムは説いた。

「市場」で展開されるビジネスは競争原理と合理的経済人を前提としているから、人は自分の利益になることしかしない、とか、なんでも損得勘定で考える、ということが基本となる。

ビジネススクールでの教育もいきおい競争原理に打ち勝つ合理的経済人養成になりがちだ。したがってマジメにビジネスを勉強しすぎると、自分の金銭的利益を最大化する行動をとる。市場経済が想定する合理的経済人を地でゆくような人だ。

・自分の利益を最優先してものごとを進める。
・機密を漏洩する。
・恩をアダで裏切る。

残念ながら、こんなことを平気でするMBAホルダーを知っている。

たぶんその人なりに言い訳や、言い分はあるだろうが、
もう、そうゆうような人とは二度と一緒に仕事なぞやりたくない、
と身の周りの人が思い、ひとりかけ、ふたりかけとなる。

こんな反省があってかどうか知らないが、最近のビジネススクールでは倫理(Ethics)を正規科目にしている。べつに倫理を正規科目になんかしなくてもいいのだが。

人間の心模様の喜怒哀楽、葛藤、懊悩、煩悩、機微に触れるのは歴史や文学にまさるものはないだろう。これらを一般教養なんていうノッペリしたコトバでかたづけるのはよくない。他者と深い部分で交わることができる共感性に裏うちされた人間力こそが、どんな仕事にとっても大切だと思う。

専門科目の履修で忙しいかもしれないが、僕のコースやゼミでは件のMBA氏のような人間は創りたくない。時間をつくって歴史や文学に親しんで欲しい。そして卒業してからも長くつきあえる友人を一人でも多くつくってほしい。

ソーシャルアントレプレナーにとって自覚的に合理的経済人モデルを超越することが大切だとおもう。なぜなら、社会起業家は共感という無形資産をテコにしてモノゴトを進めるからだ。


突然、古~い記憶が蘇った瞬間

2008年06月05日 | 日本教・スピリチュアリティ
右脳系の記憶には自信があるほうだ。一回会った人ならば、名前は忘れても顔は絶対に忘れない、と密かに思っていた。

決して自信過剰なほうではないのだが、今日、めずらしく、どうでもいい自信を深めてしまった。

東工大で社会起業家の集まりがあるというので、出かけていった。大学院で講義しているアントレプレナーシップ論のなかでも、「株式会社の起業はホネも折れるし、大変。これからは、医療、福祉、犯罪防止、農業、継続教育などの分野で社会起業しよう!」と常々熱く語っている。それやこれやで東工大社工国際社会起業家養成の渡辺孝先生の集まりに参加させていただいた。

名刺を交換してインドレストランでビールを飲みながら、テーブルの前に座っていた某女史の顔をビールの飲みながら、眺めていたら、どっかで見たことがある!?とふと気がついたのだ。

恐る恐るたずねてきると、はやり、その女史はXX年前に某予備校で同じ教室にいた人。

たぶん、世の中、袖を触れるような近場にいても、そうとは気づかないでいることのほうが圧倒的に多いのだろう。もしかしたら、幼稚園、小学校、中学校の時の友人、知人と駅前の雑踏かどこかですれちがっているのかもしれない。ただ、忙しさにかまけて気がつかないのだろう。

まあ、世の中こんなこともあるのか、と思ったのである。ちなみにN田さんの記憶の中に僕が痕跡をとどめなかったのは、残念といえば残念でもあるのだが・・・。

と言いながらも、いろいろありすぎてもクラス会などは出ずらいことも、ままあると聞くこともある。なので、まあ、いいのではないかと変に納得した今宵であった。

オープンソースカンファレンスFall2006

2006年10月29日 | 日本教・スピリチュアリティ
業務アプリ・レイヤでのオープンソースといえば、ビジネスモデルはセパレートライセンスのもとで、無償のコミュニティ・エディションと有償エディションを並列的に扱うのがスタンダードになりつつある。

昨日のニュースで、Scalixが日本法人を設立、というのがあり、社内でちょっとした四方山話に花が咲いたばかり。

新宿は大久保のオープンソースカンファレンスFall2006で小一時間、SugarCRMのスピーチをさせていただいた。その講演が終わるやいなや、そそくさと前のほうに歩み出て僕に名刺を差し出す方がいた。名刺を見れば、VP, International Sales, Scalixと。おお、シンクロニシティか。昨日の四方山話にいささか興味を抱き、この会社の方に会いたいなあと思っていたからだ。セミナー会場で挨拶させていただいたブラウアーさんによると、ScalixはSugarCRMのビジネスモデルを相当詳細に研究したうえで、かれらのソリューションの提供方式をセパレート・ライセンス方式にしたとのこと。

なるほど。

Scalixは,Ajaxを活用しMicrosoft Outlookライクなユーザー・インタフェースを実現したWebメール・ソフト。ドラッグ&ドロップでメールをフォルダに移動させたり,マウス操作でスケジュールを設定したりできる。

その後、日本スケーリックスの久保社長さんとも歓談。業務アプリケーション領域での汎用性のあるソフトウェアは、コマーシャル・オープンソースにどんどんなってゆくと常々言ってきたが、もはや、これは抜き差しがたい現実となっている。今後は業務アプリケーション領域でのコマーシャル・オープンソース同士の連携というテーマも熱くなるだろう。





和歌山県立医科大学から高野山奥の院へ、摩訶不思議の旅

2006年01月29日 | 日本教・スピリチュアリティ

和歌山県立医科大学付属病院にてヒューマン・サービス・マネジメントとクリニカルラダーのテーマで講演。

とんぼ帰りするつもりが帰りの飛行機のフライト時刻がやたら遅い。待っているのもなんなので発想を転換して、一路高野山へ。大円院の宿坊に泊まり、朝は6時から勤行。密教寺院の作法は観想、荘厳、護身法から入り、理趣経、般若心経などの読経と続き、不動明王真言、光明真言などのマントラ、回向で終わる。密教寺院での勤行はひさしぶりなので、心身が引き締まる。その後、本堂で修行僧の渡辺さんとしばし楽しい雑談。

早朝こめかみが痛くなるような寒さのなか、霊気が凛としてこの山上の盆地には立ち昇る。金剛峰寺の枯山水にはうっすらと雪が積もっている。霊場ならではの空気が、この土地の奥底にはある。

密教寺院の修法は究極のヒューマン・サービスなのかもしれない。そもそも真言密教は即身成仏を本題とし、霊的存在として人間を捉え、導師による修法も、行者による修行も、霊的異次元との交流、霊的成長、霊的進化を促進するものだ。もし、ヒューマン・サービスという言い方が許されるのならば、真言密教の修法は、トランスゼンデンタール・ヒューマン・サービスとでも形容されるべきか。

病院では不健康、疾患にかかっている状態の人間に介入するヒューマン・サービスを提供する。医療サービス、看護サービスである。密教寺院では、健常レベルにある人間を、さらに高い霊的存在へと進化させるヒューマン・サービスを提供する。いや、加持祈祷による病気回復も密教の守備範囲なので、病気の人間に対しても、いやさらにすべての状態の人間に対して密教的なサービスは展開される。

今後、産業構造のサービス化によって、サービスサイエンス、ヒューマン・サービスが注目されることになるだろうが、サービスの幅はかくも広く、深遠だ。経済学、経営学、マネジメント・サイエンス、行動科学、認知科学などの学際アプローチに加え、異端視されることは承知の上で宗教学的なアプローチもぜひ必要なところだろう。宗教学といっても、人間存在に対する洞察の深さ、ダイナミズムは密教が顕教を凌駕するので、密教的なアプローチがぜひとも面白いのだが。

                ***メモ***

千葉神社は北斗七星を祭る神社、妙見神社とも呼ばれる。
神社なのに密教的。
神社ではなく、密教寺院として北斗七星を祭るのならわかりやすい
のだが?さて。

このなぞ解きを高野山でやってみた。

高野山清浄心院には星供曼荼羅がある。別名、北斗曼荼羅。
この曼荼羅の中央には北極星を象徴する釈迦金輪が置かれる。
その周囲には北斗七星、九曜が配される。

千葉神社は長保(1000年ころ)の時代、「北斗金剛授寺」と呼ばれていた。
このころは真言密教の寺だった。そして星供曼荼羅をベースに太一(北極星)
信仰の山だったのだろう。

政治的な理由で神社に改組されたのをきっかけに、主祭神の実体は北極星だが、
神社らしく天之御中主大神(あめのなかぬしおおかみ)=北辰妙見尊星王(
ほくしんみょうけんそんじょうおう)とかわり、眷属が相殿と呼称を変え、
経津主神、日本武尊が配置された、と。

ここでは経津主神、日本武尊はあくまで脇役。

仏教か神道かは信仰の様式。
実体は北極星信仰。
仏道でも神道でもかまわない。
どんな道でも行く先が同じなら、
細かなことは言わない。
・・・・というようなおおらかな
構えが見えてくる。

森羅万象に神性・仏性を見出すことが主要テーマで、宗教という手段方法は
柔軟に変化させる、宗教という手段方法にはさほど固執しない融通無碍
さ。

一神教からは、柔軟を通り越して無節操、原理の欠如と見られること必至。
ただし、一神教的世界観が限界をきたしている昨今、この無節操さ、融通無碍
さには光明を見る思いもあるが、さて。


                ***メモ***

密教寺院での勤行は、強烈なフロー体験をもたらすものである。
一定のリズムのもとでの読経、印、真言、所作、観想は、フロー体験を
もたらす要素が充満している。

いや、認知心理学あたりが、「フロー体験」を説明する1000年以上も前に
この特殊体験を誘発するプログラムを体系化していたわけだ。


なにものにも代えがたいもの

2005年12月02日 | 日本教・スピリチュアリティ
ひさしぶりに仲間と集まって、わいわい、がやがや、飲めや、歌えのひと時に没入した。特殊な方向性を共有する特殊な男たちの特殊な集まりだ

現代社会では、帰属する共同体、帰巣すべき仲間集団が、希釈化、形骸化しつつあるという。たしかにそうかもしれない。

そんなのっぺりとして、うすらさびしい、絆を体感できない時代の冷たさを背中にヒヤリと感じるがゆえに、帰属する共同体、帰巣すべき濃厚な意味空間の存在は稀有なものだと思う。この仲間は、10年、20年、30年と時間がたつにつれてなにか凝集性が増しているようだ。

サイトをまとめてくれた松村くん、どうもありがとう。

セレンディピティと運

2005年07月22日 | 日本教・スピリチュアリティ

「あの人は運がいい!」ということをイマ風に表現すると、「あの人には偶然幸運に出会う能力つまりセレンディピティ(serendipity)がある」となる。

人の行動は複雑で雑然としている。複雑で雑然な人がなんとなく感じる運のよしわるしは長らくサイエンスの実証的分析の埒外に置かれてきたが、近年は認知科学、脳科学ではしきりにセレンディピティという概念に光が当てられるようになってきている。人間だれしも運をよくしたいもの。セレンディピティを豊かにして運を高めるためにはどうしたらよいか?なんてことにも分析の矢が向けられつつある。

(1)潤沢なフロー経験をもつ
仕事や趣味の世界で豊かなフロー経験を過去、現在有している。すべてを忘れて没頭できるなにかをもつ。フロー経験を良きエピソード記憶として蓄積する。

(2)プロセスを楽しみよく笑う
成果、結果よりもプロセスそのものを楽しめる。そのことじたいを行うことが無条件で楽しいなにかを持っている。そしてよく笑うこと。笑うと眠っていた遺伝子も活性化するそうな。

(3)シンクロニシティに敏感になる
身のまわりの出来事に注意をはらい、出来事の意味に注意する。つまり、シンクロニシティーに敏感になりシンクロニシティーを発動させるようにする。良き偶然を引き寄せる。

(4)まわりに対してオープンになる
いろいろな経験と周囲に対して前向きで、オープンな意識・行動状態を維持する。自分の内面といろいろなヤリトリを一生懸命やり続ける。そして感謝の気持ちを持ち続ける。

ざっとこの手の文献をレビューすると、こんなことが共通項として書かれているし、身のまわりを見渡してもそんなふうか。ただし、これだとたんなる「~思います」だけだ。あるいはたんなる観察による素朴な仮説の域を出ない。

サイエンスの作法で実証するには以下のプロシジャーが必要になるだろう。

(1)まず「運のよさ」を因子分析する。何度か回転をかけてドメインを精緻化して、運のよさを計測する質問をつくる。
(2)その質問表を最低100人位の無作為に選ばれた人々に対して回答を得る。
(3)運がよいと自覚している人の集団、グループAを特定する
(4)運がよくないと自覚している人の集団グループBを特定する。
(5)Behavioral Event InterviewをグループAに対して実施し、運がよいと自覚している人たちの行動特性、能力特性をコーディングし記述する。

あーあ、疲れた。








自転車の空間

2005年05月02日 | 日本教・スピリチュアリティ
連休なので3日連続でいつものトレーニングコースの印旛沼サイクリングロードを走る。この季節、桜はとうに終わりをつげているが、自転車ならではの季節感覚に感じ入る。

新緑の緑が透明な風の折り重なったカーテンのように頬をなぜる。それもほのかに甘い薫りをおびつつ。しっとりと汗に上気した首筋に緑の空気の層はやさしくも爽やかだ。ふと、新川の向こう岸の小高い山々を見上げると、昨日の山々とは異なる緑の重奏にはっとさせられる。

緑が違っている。

昨日はまだ淡い緑が幾万という重なりを奏でていたが、今日の緑は昨日よりも明らかに濃い。太陽の角度、日光の強弱などの要素も昨日と今日とでは異なる。緑の中身は転変流転をくりかえすよに時々刻々と変わりつづける。

転変流転を繰り返すありとあらゆるもののなかにどっぷりとつかっていると、その変化に疎くなってしまうのだろう。だから、ちょっと違った角度から間をおいて観るというきっかけが、思いがけない再発見をもたらしてくれる。

日常では向き合えない非日常。普段は見過ごしてしまっているあたりまえの風景。あたりまえの所与のものとして、注意が向かない豊穣な時のうつろい。

日常の中にある非日常、非日常のなかに棲まう日常に気づかせてくれる空間を大切にしたい。自転車に乗ってると、そのような空間が体の周りを流れてゆく。そこはかとなくも豊かなフロー体験をもたらしてくれる。あらためて自転車はすばらしい乗り物だと思う。


フローとシンクロニシティを追加

2005年05月01日 | 日本教・スピリチュアリティ
年の初めからブログをつらつら書き込んできましたが、早いもので4ヶ月経ちました。当初はマネジメント関連のことがらを雑記帳のようにエントリしてましたが、今後は、もっとフロー体験やシンクロニシティを中心に観察したり、意味を紡ぎだしたり、考えてゆこうと思います。

フロー体験志向が強く、シンクロニシティに対する感受性がまあまあ鋭敏で、またそれらの恩恵に日々預かってきました。また、コーネル大学の大学院でヒューマン・サービス・マネジメントや認知心理よりの行動科学をやり、また個人的には自転車ツーリング、登山、秘境探索、異文化交流、組織・人材開発コンサルティング、起業、会社経営などの経験を通して、フロー体験やシンクロニシティに関する洞察、仮説と検証もだんだん貯まってきたので、ここらをひとつの小さなターニングポイントにします。

まあ自分の防備録を兼ねた雑記帳であることは同じですが。「フローとシンクロニシティ」というカテゴリーに関連テーマをエントリして行きます。