散歩日記X

札幌を中心に活動しています。食べ歩き・飲み歩き・ギャラリー巡り・読書の記録など

恒例の締め

2019年07月06日 20時20分48秒 | 飲み歩き・すすきの界隈
ということで、すすきのに出てきたときの締めは、バー「N」へ。

1杯目はスーパーニッカをストレートで頂く。「どうしたんですか」と理由を聞かれるも、ちょっと腹が苦しいというカッコ悪い理由であった。特に鬱屈がたまっているのを吹き飛ばそうとしたわけではない。



2杯目はアクアビット+ペルノー+抹茶リキュールのカクテル。予想通りではあるが、ペルノーが他を圧する。



3杯目はポートアスケイグ10年。ついにヴィンテージ物が出たという感じだが、なかなか甘味があって美味いウイスキーだ。



そして常連氏が来てつい会話が盛り上がってしまい、トマーティンカスクストレングスをハーフショットで頂く。2週間くらい瓶が開かないので、いつになったら開くのかなと思っていたが、自分で封を切ることになってしまった。

開けたばかりでどうなのかと思ったが、これはなかなか上質だ。トマーティンの通常のものは少し大人しい感じもするのだが、これはアルコール度数の高さもあってパンチが強い。最後に飲むのにふさわしい、しっかりした味であった。



ということで、結構酔っぱらって帰宅。今日は活動時間が長くて疲れた。

気になっていた

2019年07月06日 18時37分52秒 | 飲み歩き・すすきの界隈
さて夕方、一杯飲みに行くとしますか。疲れていたら琴似に戻ろうという考えもあったのだが、何となくすすきのにたどり着いてしまった。そういえば気になっていた店があるので、立ち寄ってみるか。ということで「YS」へ。

ここは焼鳥2本280円定額の、割と最近あるパターンの店である。看板が黄色いからやけに目に付くなと思っていたのだ。





まずは乾杯ドリンクという50円か55円の1杯目があるので、ブラックニッカハイボールを注文。「うちは通しがないので、早く出る一品目どうですか?」といわれ、冷やしトマトを頼んでみる。


→トマトは思ったほどは早く出てこない。

まずは焼鳥だよね。オーソドックスなももネギ間タレとやげん塩で行きますか。





まあ、普通だな。やげんは2本のサイズがかなり違うね。ホッピー黒を注文し、どんぐり(うずら卵味付)も頼む。





後で焼酎のお代わりをしたが、「ストップするまで入れます」と言われ、ビビッて半分くらいでやめることになった。黙っていれば、ジョッキの上まで焼酎を入れてくれた気がする。



焼鳥第二弾は皮タレ、ささみおろしポン酢。



ささみは意表をつく良く焼きで、表面に焼き色がついている。香ばしいのは良かったが、もう少しソフトに焼くべきかなとも思う。



焼鳥が2本ずつ注文なので、腹がいっぱいになった。勘定はいたく安かったが、若い店員諸氏のやけくそっぽい掛け声はいかがなものか。オッサンよりも、若い人たちがワイワイ飲む店かも知れないな。店のシステムは悪くないと思うのだが。

外に出ると、まだまだ明るい。今日は人出がすごく多いように思う。


三笠にて(2)

2019年07月06日 17時28分34秒 | 旅日記
そして見学の最後は、いわゆる立坑と言えばの旧奔別炭鉱立坑である。残念ながら数十メートル離れたところまでしか近寄れなかったが、スケールの大きさは随一かな。





立入禁止だったよ。



ということで、ここから札幌に移動開始。岩見沢インターでSAに立ち寄った所、謎の馬の像(実は3体あった)を発見(彫刻作品ではない模様)。私は車に乗らないので、こういう機会は貴重だ。





夕方札幌に到着し、大通公園で降ろしてもらう。今回の見学ツアー、非常に中身が充実したもので、企画者、運転車、同行メンバー全員に感謝したい。

また来年も面白いことを考えましょう。

三笠にて

2019年07月06日 15時34分56秒 | 旅日記
美唄から三笠に移動。三笠では三笠市立博物館をスルーして、その裏手にある三笠ジオパーク野外博物館を見るのだ。



博物館の上に恐竜が顔を出している。前回来た時にはこれは気が付かなかった。



橋を渡って、野外博物館ゾーンへ。





まずは森林鉄道跡。何がどうなったのかよく分からないが、この石の土台の上を鉄道が走ったのだろうか。



次は旧幾春別炭鉱の錦立坑櫓。大正9年に出来たもので、現存するものでは北海道最古だとか。



旧錦坑坑口。ここから横に移動して、錦立坑に入ることができたのだそうだ。硫黄を含んだ冷泉が流れ出ているということで、周辺には硫黄の香りが少しするのだ。





石炭層が地表に露出したところ。私の年代だと石炭は当たり前に見たり触ったりしたのだが、最近の若い人はそもそも見ることが少ないのかも。



これはジオパークならではの見もの、褶曲で地層が垂直に立ったところである。こんなものが見られるとは知らなかった。



そして、ひとまたぎ覆道。何をひとまたぎするのかというと、途中までは5千万年前の幾春別層、途中から1億年前の三笠層に地層が変わり、5千万年をひとまたぎということらしい。なぜ時代が飛んでいるかというと、一時期、地表に地層が出たため、1億年~5千万年の間の部分が浸食された無くなったと考えられているようだ。



その間には恐竜の絶滅期が含まれているので、両側の地層から出てくる化石は全く違ったものなのだろう。



今度は森林鉄道の線路上に人力・手掘りで作られた神泉隧道。上野山清貢がここの画を描いたこともあるらしい。



そして最後は川が大きくカーブしている桂沢神居古潭。旭川の神居古潭は有名だろうが、ここにこんなものがあるとは知らなかった。



街を上げてジオパーク押しらしく、街灯にはジオパークに認定されたことを示す幕が下がっていたが、不勉強なせいかこんなに興味深いエリアだとは知らなかった。札幌の人にもあまり届いていないのだから、もっと知らせる工夫が必要かもしれない(夜、三笠出身の人に聞いたら、ジオパークの事は良く知らないとのことであった)。

俳人宮尾可南の句碑。



郁春別媒田の碑。炭砿鉄道事務所長の山内堤雲の功績をたたえたものらしい(ネット情報)。



作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、唄:倉橋ルイ子による「幾春別の詩」。倉橋ルイ子が三笠出身なのだそうだ。


美唄にて

2019年07月06日 14時08分58秒 | 旅日記
赤平から滝川インターで高速に入り、美唄へ。美唄では美唄軽便鉄道東明駅舎を見学する。



鉄道は大正3年に開業し、昭和47年の三菱美唄炭鉱閉山まであったらしい。何と私が生まれた時まであったのか。しかも、当時祖父母が美唄にいたので、誰かが気を利かせてくれれば、私も乗れたのではあるまいか。

駅裏にはドイツ製のタンク機関車が保存されていた。なかなか状態も悪くない感じ。



そして朽ちかけた昔のホームだろうか。



残念だったのは駅舎内を見学できなかったことで、何かイベントが無いと開けないのかな? 常に人がいるというのも難しいだろうし、かといって人がいなければ、鉄道関係のものを持ち出す輩もいそうだし…。



駅裏のサイクリングロードも維持管理が大変なためか、閉鎖になっていた。

赤平にて(2)

2019年07月06日 13時00分49秒 | 食べ歩き
赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設から移動し、旧赤間炭鉱ズリ山階段へ。その前にも北端赤間炭鉱選炭工場跡がある。



ズリ山に登ることのできる日本一という777段の階段は登らず! 体力がないのではなく、時間がないのである。



赤平の街中に戻り、ここで昼食。私の発案でがんがん鍋を食べることになった。私が一度行ったことのある寿司の「M」は開店しておらず、初めてとなる「Y」寿司へ。がんがん鍋というのはかつて炭鉱マンが食べていた、豚ホルモン・豆腐・野菜などの鍋物である。もともと当たり前すぎて名前などが無かったので、「がんがん鍋」と名づけることにより、新名物として売り出したものである。寿司屋で作るものかというとそういうことではなく、地方都市のお寿司屋さんは街の宴会場でもあるため、何でも作ることができ、それもあってがんがん鍋を出しているようだ。

5人全員ががんがん鍋セットを注文。しばし待つ。



セットはご飯、がんがん鍋、蕗の煮物、沢庵の4品。早速、鍋を食べると、豚ホルモンは腸だけではなく、レバなどの部分も入っている模様。味は味噌ベースでカレー風味。少し癖があるから、万人向けにカレー風味を加えているのかもしれない。さらにこれに一味、または七味唐辛子をかけて食べる。ご飯との相性がいい。

そして蕗の煮物、色の薄い沢庵が嬉しい。前回食べたがんがん鍋とはまた違う味に満足して店を出る。


赤平にて

2019年07月06日 11時40分14秒 | 旅日記
本日は二日酔いを抱えて目ざめ、かろうじてカレーの朝食で目を覚ます。そして、普段の出勤よりも早く家を出て札幌駅へ。



知り合いの皆さんと連れ立って、総勢5名でちょっとした見学ツアーにいくことになった。札幌から赤平に移動し、存在は知っていたものの、初訪問となる「赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設」へ。駅から少し離れているので、こういう時は車に乗せていただけるのがありがたい。

まず目に入るのは住友赤平炭鉱立坑である。天気も良いし、気持ちがいい。



そして10時からのガイド付き見学に参加することになった(有料で800円。午後13:30にもう一回ある)。



ガイダンス施設の中にも炭鉱関係の展示があるため、それを見て待ち、やがてツアーの概要・注意事項説明が始まった。ツアーはそれほど危険に感じたことはなかったが、ヘルメット着用である。足元に少し段差があったりするが、かなり年配の人も参加していたので、ほとんどの人は大丈夫ではないだろうか(松葉づえ使用とかは辛いと思う)。



さて、立坑ヤード内に入ると、ああこの風景、絵画作品で見たことがあるな。作品名などが思い出せないので調べられないが、多分間違いないと思う。



石炭や人を載せて運ぶ車両や、複雑に入り組んだレールがあり、見るもの一つ一つが興味深い。元々、この炭鉱の石炭層を最初に発見したのは、松浦武四郎なのだそうだ。そして、最初は鉄道が無かったため採掘はされず、やがて施設ができて石炭が掘られるようになったとのこと。

ここから地下数百メートルまで降りられるいわばエレベータがあるのだが、何と分速720mと当時日本最高速で、この記録を抜いたのが横浜ランドマークタワーだというから恐ろしい。往時には職員を含めて4780人の人が働いていたそうだ。

2階に上がると、そのエレベータの巻き上げ機がある。



ヤードをひとしきり見たところで外に出て、移動。途中に坑口浴場の建物があった。先ほどのヤードと道路をはさんで地下でつながっていたそうで、坑道から上がってきた人たちがまずは風呂に入った場所である。



炭鉱で働く人の給料だが、第一線(石炭採掘)で働いている人は大学初任給の2倍くらいだとか。但し、電気代はタダ、風呂や会社専用の映画館まであったそうで、福利厚生がとても手厚かったそう。何しろ昔は、映画の封切りは炭鉱から、白物家電・自動車も炭鉱から普及したと言われたくらいだったとか。

途中に宮本光庸「山本信夫氏像」を発見。今調べてみたけど、宮本光庸は結構有名な彫刻家なのね。



そしてやはり炭鉱には付き物であっただろう神社の名残りとして、狛犬、弘法大師像(?)もあった。

 

ガイダンス施設でトイレ休憩を取って、次へ。



今度は自走枠整備工場で掘削機器などを見る。

次の写真は横坑の床と天井を同時に削る機械。さらに左手奥にあるカバーを油圧で押し出して、落盤を防ぐという超画期的な機器なのである。観光客の中には炭鉱といえばつるはしで石炭を掘るイメージを持っている人もいるらしいが(まさか私はそんなことは思わないが)、予想以上に高度な機械が使われていたことが分かる。



そしてやけに目に付く、格好いいマシン。ウルトラ警備隊のマグマライザーに引けを取らないかも。



建物はあちこち少しほころびが見え、廃墟アートっぽくなっているのも趣がある。



かつて炭鉱マンとして働いていた方がガイドツアーであったので、実体験からの迫力ある話が聞け、見るものすべてが興味深く、あっという間に1時間半が経過してツアー終了。これはぜひ一度見るべきものであると思う。