かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

まるでバブル期に乱立したゴルフ場開発をみているかのようです。

2015年01月13日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

やっぱり、どうしても黙ってはいられない気持ちです。


 太陽光発電のソーラーパネルが至るところにできるのを、群馬の山のなかに住んでる私たちからみると、まるでバブルの時にゴルフ場が次々につくられた景色が再現しているように思えてなりません。


 環境にやさしい自然エネルギー。

 

 自然エネルギーへの転換はまぎれもなく必要なことですが、今進んでいるのは、10年もつかどうかの助成頼みのやり方ばかり。

 短期戦略としてきちんと位置づけられているのならいいのだけど、やはりり20年、30年後のことは考えてはいないとしか思えません。

 

 日本という国は、許認可については異常に煩雑な手続きがつきまとう構造を持っていますが、景観や自然環境の維持のためには、他の先進国と比較しても、ほとんど野放しに近いような状態です。

 

 

 

確かに、休耕田の有効活用や、つぶれたゴルフ場などの敷地をうまく再利用するのは良いことだと思います。

容易ではない原発に依存しないエネルギー戦略を、国の戦略としてかかげ、助成をつけてそれを推し進めることも悪いことではないと思います。

 

でも、日頃、山のなかで暮らすわたしたちから見ると、それらの事態は、自然にやさしいエネルギーの生産のためという合法的なみかけを装いながら、どう見ても大規模な環境破壊が行われているとしか見えません。

高齢化とともに、土地を活用できない地権者にとっては、遊ばせている土地が収入源になることは願ってもないことで、さらにそれが深刻なエネルギー問題の解決に役立つとなれば、断る理由はありません。

 

でも、今、外資も含めて乱立している業者たちの経営は、10年後、20年後、ほんとうに大丈夫なのでしょうか?

太陽光発電エネルギーの高額買い取りは、より長く続ける方向へふたたび努力できたとしても、この山々の至るところが切り開かれ、光り反射するパネルが山のそこかしこにできる光景は異様にしか見えません。

パネルの下の日当りの悪い空間を利用して、野菜をつくることもすばらしいアイデアだと思います。

しかし、土地の利用基準、考え方がまったく野放し状態で、この開発がどんどん進んでいます。

これは、私達が願うエネルギー政策ではなく、あくまでも自然エネルギー転換を加速するための過渡期の政策であることを十分理解してもらいたいものです。

その先にどうするのか。

技術革新やコストダウンがはかられた後、どのようなエネルギー政策を目指しているのでしょうか。

太陽光パネルが老朽化して処分するときの問題。

エネルギー政策と「環境」政策は一体のもの。

エネルギー政策と「景観」問題も一体のもの。

 

再生可能エネルギーは、確かにCO2削減や脱原発、リスク分散のためでもありますが、普及させる一番のツボは、「エネルギーとお金の地産地消」でしょう。


本来は、小規模ゆえに、設備や投資も自前で出来るものです。


お金が中東やアメリカメジャー資本に流れないだけではなく、地域内で回るお金が増え、しかもそれが地域内で完結する。

徹底すれば送電設備も劇的に減らせます。

売電のために送電設備を残すより、送電線や送電鉄塔を減らすことのメリットもこれからは考えるべきでしょう。 


ここをきちんと押さえていれば、多少のコスト高は決してマイナスにならないし、安易にメーカーの一見おいしい話に乗せられることもないことと思います。

 

いま日本中でおきているこの光景の異常さ、都会の暮らしからは見えないかもしれませんが、
間違いなく後世に禍根を残すものといえます。

政策が大きく変わるとき、新規参入を妨げないしくみというのとても大事であると思いますが、
無原則であるばかりに、公然と地域の破壊が進行してしまうことが少なくありません。

どうかこの異様な光景の実態を、多くの人に知ってもらいたいものです。 

 

 

コメント (2)
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